13 『忍者の末裔は騎士を翻弄する』

 クコは呼吸を止める。

 王都の翳りに吹く冷たい風をよけ、闇夜の隙間に潜んでいた。


 ――わたしの知らない騎士の方……もう行ったみたいですね。


 騎士が離れたのを確認し、路地の陰から出てくる。


「宿には戻れない……」


 歩き出す。

 とりとめもなく歩き続ける。

 常に周囲への警戒を欠かさない。

 が。

 不意に、腰のあたりになにかとぶつかった感覚がした。

 視線を下に向けると、そこには着物をまとったカメがいた。


「気をつけな。前を見て歩くことだ」


 カメは渋い声だった。

 着物のカメは二足歩行で、声ばかりじゃなく顔つきもダンディーである。背は一メートルもない。

 クコはぺこりと頭を下げる。


「すみません」

「おう」


 歩きすぎようとしたカメだが、急に振り返って言った。


「嫌な視線を感じるが、おまえさん、だれかに狙われてんのか?」

「はい」


 答えてから、クコは慌てて、


「ええと、詳しいことは言えないのですが……」


 カメはやや目を細めてクコをじっと見ると、


「そうかい。ちょっとついてきな。安全なところに連れて行ってやる」

「でも、巻き込むわけには……」


 不安そうにつぶやくクコを、カメは笑った。


「へっ。断るにしても、そこはおれが何者かわからないからって言うもんだぜ。お人好しなことだ。まあ、安心しな。知り合いの店に行くだけだからよ」

「お店、ですか?」

「ああ。タカアキってやつなんだが、金させ出せば人殺しでもテロリストでも匿ってくれる」

「まあ」


 と、クコは驚く。


「行くぞ」

「は、はい」


 カメのことはまだ信頼まではしていないクコだが、つい返事をしてしまう。

 なぜか甲羅だけは着物の外側にある不思議な構造のカメに続いて、クコは甲羅の模様を見つめながら後ろを歩く。

 角を曲がったところで、カメは振り返ってクコの横を通り過ぎた。

 一瞬のことに、クコはすれ違ったのに気づくのが遅れた。

 カメは曲がり角から顔を出して、甲羅からマスケット銃を取り出した。本来ならば甲羅に入らない長さだから、魔法かもしれない。


「アルブレア王国の騎士が、なんの用だろうな」


 それだけ言って、カメは二発の銃弾を撃った。

 乾いた音が空気を破る。

 クコが通りに顔を出すと、そこには、銃弾をくらったと思われるアルブレア王国騎士が二人、倒れていた。


「追われていたのですね……」

「機をうかがってたみてえだな。だが気にするな。《痺レ弾エレキテルバレット》でしびれてるだけだ。二十四時間は動けねえさ。あいつら二人、ちょうど剣を抜いちまったところだし――おうまわりぐみに補導されるだろうぜ」

「……」


 さっきは、宿の部屋に女騎士が強襲してきて、宿を飛び出した。同室のルカはバンジョーに呼ばれ、外に出てまだ戻ってきていなかった。バンジョーにあとから聞いたところでは、サツキがなにか事件に巻き込まれた様子だったという。


 ――サツキ様とルカさんのことも心配です。しかし、自分の身の安全が今は第一。アルブレア王国騎士が狙っているのは、わたしなのですから。


 カメは再びクコの横を通り過ぎ、声をかける。


「早く来い。また変なのに見つからねえうちに行くぞ」

「はい」


 返事をしたあと、クコは聞いた。


「でも、どうしてわたしを助けてくださるんです?」


 カメは顔だけ振り返らせ、横目に答えた。


「ああ。それか。ただ、おまえさんに似てる知人がいて放っておけなかっただけさ」


 ――半分、おまえもすでに知り合いみたいなものなんだがな。


 また前を向き、カメは語を継いだ。


「馬鹿正直で人を疑うことを知らねえとこもそっくりだな」

「ふふ。そうでしたか」


 それからはひと言もしゃべることなく、カメは前を歩くのだった。

 数分歩き、クコが連れて来られたのは、『凍結』と書かれた旗が立つ家の前だった。




 ルカはバンジョーからの報せを受け、外に飛び出した。

 サツキを探すために歩いているが、一向に見つからない。

 バンジョーに聞いた、サツキと別れたという場所にも来てみたのだが、やはりなんの痕跡も残っていない。

 そのあとも、ルカは王都の夜道を歩く。


「サツキ……」


 今、クコが宿の部屋で女騎士に襲われて外へと逃げ、カメと出会ったタイミングなのだが、そんなことは一切知らない。だから、ただサツキの安否が気がかりだった。


 ――本当は、サツキと二人で、夜の王都のどこかにいるげんない先生を探したかったんだけど……。


 ルカは目を皿にして道行く人々を観察する。

 そこにサツキの姿はないが、ついでに玄内のことも探していた。


 ――サツキを探しながら、玄内先生も見つかったらラッキー。そんな計算は、もうない……。


 この幻惑の街を振り切るように走り出す。


 ――今も、サツキは事件に巻き込まれているかもしれない。サツキを探さないと。


 小石につまずきかけ、着物の袖をはためかせて持ちこたえる。


 ――玄内先生は、本当にこの街にいるの……?


 自分の記憶の中にある、三年前の玄内の姿を思い浮かべる。


「ダメだわ」


 つぶやき、右手でこめかみを押さえる。

 頭痛ではない。

 だが、痛みに近い感覚がする。

 足を止め、家の壁に手をかけて、息を整える。


 ――あの人は幻のように揺らぐ。医者としても私に知識をくれたし、魔法学者としては私の魔法を両親から受け継いだ形に器を作ってくれた。でも、あまねく分野における学者でもあり、発明家であり、画家であり、陶芸家であり、文芸家であり、武道家でもある。八面六臂にして変幻自在、いつなにをしようとしているのか、まるで雲のようにつかめない。どこか一点を見ようとすれば気づいた時には別の顔になっている。全体を見ようとすれば多彩な色に目がくらみ、かえって陽炎のような虚構に迷い込む。


 そんな都市伝説のごとく、玄内という人には出会うことさえ難しい。


 ――一度会えなくなると、次はいつ会えるかわからない。探すのは簡単じゃないからこそ、サツキもいっしょに探して欲しかった。探そうという人は多いと聞くけど、あの人は自由人で気の向くまま。追えば近づいているようで、いつの間にか目を欺かれている。


 昔はちょうどルカの父・リクと研究をしていたから、毎日のように家にやって来ては顔を合わせていた。考えてみれば、それはかなり貴重なことだったのである。


「出会えるのは、よほど運のいい人たちね……」


 玄内はどこにいるのか。

 だれが見つけるのか。


 ――いいえ。まずは、サツキとの合流が先決よ……。サツキ……!


 ルカは顔を上げて、再び駆け出した。




 バンジョーは、走っていた。

 道もわからぬ王都の通りを駆け抜ける。


「どこにいるんだ見廻組!」


 オレンジ色のスーツは目立ち、時々振り返る人もいる。しかし、見廻組は見つからない。


「サツキがもう帰ってるってんならそれが一番だ。でも、なんか事件に巻き込まれてる気がしてならねえ」


 また、クコの顔も浮かぶ。


「あんまりサツキの帰りが遅いと、クコが心配するだろうしな」


 そのとき、バンジョーの足元に小石が飛んできた。


「うおっと! なんだよ」


 小石をよけて聞くと、騎士が得意げに名乗った。


「オレはアルブレア王国騎士、『地獄の住人オーガ楊栓破部流ヤンセン・ハヴェル。おまえ、クコ王女と知り合いだな?」

「お? そうだけど、だったらなんだ! オレは急ぐんだ!」


 すぐに駆け出そうとしたバンジョーに、ハヴェルは背中の大きな剣を抜いて斬りかかる。


「だったらその首をいただくってんだ! そおぉらッ!」

「なんだおまえ! 頭おかしいんじゃねえか?」


 バンジョーはそう言いながら、ひらりとかわしてみせる。鮮やかな身のこなしで飛び退いて、パッと手をあげた。


「オレはおまえに構ってるヒマはねえ! 急ぐからよ!」

「ふざけるな! 王国に刃向かう敵め! 始末してやる!」


 ハヴェルが追いかけてきて、バンジョーは走る足を止めずにチラと振り返り、呆れたように言った。


「あいつやっぱりおかしいぜ。いきなり斬りかかってくるわ、始末するとか言うわ。まあ、足はそんな速くねえ。……が、あのままじゃあ、あいつ、クコやサツキに手を出しそうだな。オレはただの料理人だけど、やるしかねえか」


 バンジョーは走る速度をゆるめた。


「よし、疲れたか! くらえ!」


 追いついてきたハヴェルが振りかぶるや、バンジョーは桜の木の幹を蹴ってハヴェルの後方へとくるっと回って着地する。


「なんだと!」

「《スーパーデリシャスパンチ》!」

「ぐおお!」


 背中を思い切り殴られ、ハヴェルは大きくよろめいた。

 だが、すぐに気を持ち直して剣を振り回す。

 その間にも動いていたバンジョーはハヴェルの周りを駆けて言う。


「おまえ、その剣を使うにはちょっと小さいんじゃねえか? 体格に合う剣を使ったほうがいいと思うぞ」

「う、うるさーい!」


 それは、ハヴェルがもっとも言われたくないことだった。


「よくもオレが気にしていることを! オレは決して小さくはない! 晴和人と比べりゃあ平均よりちょっと高いくらいさ! オレは小さくなんてないんだ!」


 身長一七二センチ。アルブレア王国人の男性の平均値より低いことは、ハヴェルのプライドが許さなかった。


「くらえ! くらえ! くそっ! なんで当たらない! おまえ、それほどに動けるとは、いったい何者だ!」

「オレか? オレはバンジョー! 旅の料理人だ。料理バカってやつだな。オレから料理を取ったらなんにも残らねえ」

「りょ、料理人だと……!? ただの料理人で……」

「まあ、動けるってのについては、オレが忍者の末裔だからかもしれねえな。忍術は使えねえんだけどよ。なはは」


 笑いながらバンジョーは走り、一気に詰め寄ってハヴェルを殴った。


「《スーパーデリシャスパンチ》」

「ぐほおおっ!」


 身体が宙に浮き、飛ばされた身体が地面に転がり、ハヴェルは苦しげに咳をする。


「ぐはっ、ごほっ、うはっ」


 バンジョーはそこら中を駆け回り、ハヴェルが姿をうまく捉えきらない中、どこからか声をかけてくる。


「意外とタフじゃねえか! つえェ気持ち持ってんだな!」

「……ま、まさか、オレの《すなもん》をまんまと受けたにもかかわらず、《蟻地獄デザート・インフェルノ》を一度も発動させずに動き続けるなんてな……。それに、驚くべきパワー……」


 ゆっくりと立ち上がり、ハヴェルは剣を構えた。


「だが、これで――」


 忍者らしく素早く動き撹乱するバンジョーの姿を探して視線を巡らせたとき、ニッと歯を見せた笑顔のバンジョーが目の前に現れた。


わりぃ! オレも急いでんだ! 《スーパーデリシャスパンチ》!」

「ぐふほおおおおおおぉ!」


 鳩尾に拳がめり込み、ハヴェルは吹き飛ばされてしまった。

 今度こそ、ハヴェルは完全に気を失う。

 バンジョーはさっと手をあげた。


「じゃあな! オレはサツキと見廻組を探すんだ。もう邪魔すんなよ」

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