10 『海老川智波と歩く王都の夜は夏祭りの如く』

 二人は外に出た。

 海老川家には裏口から入ったから、表口はわからなかった。

 表口は比較的明るかった。

 この明るい通りで、いきなり騎士が斬りかかってくることはないようにも思われる。

 サツキは通りにあるいろいろな屋台について話を聞いた。


「五冊の本が並んでいるだけだが、本屋か?」

「あれはカタログ販売のお店です」

「通信販売みたいなものだろうか」

「?」


 チナミは無言でサツキを見上げ、小首をかしげている。サツキは言い直す。


「いや、カタログを見て注文したら、後日届けてくれるのかと思ったんだ」

「いいえ。違います。その場で、カタログから出してくれます。『世界の目録ワールドインデックスふくひろかずさんという方がやっているのですが、れいくにへいくにを経て西洋なども巡り、世界を回ったことがあるそうで、いろいろな商品があります。うちの両親とも友人なのでたまに利用します。買うほうでも、売るほうでも。買い取った物を販売することもされていますから」


 カタログの前に黙って座っているヒロカズは、どこか静かな優しさが垣間見える雰囲気がその顔にあった。ハットをかぶり、タキシードにも似た衣装をまとっている。首にまいたスカーフが似合う。


「魔法なのか?」

「はい。《ほん》といって、本の中に物を閉じ込める魔法と、取り出す魔法です」

「泥棒の心配はないのかな」

「ないでしょう。契約しないと取り出せませんから、盗んでも意味がありません」

「なるほど」


 今度は別の屋台を見つける。

 動く絵が置いてあった。金魚がゆったりと泳ぐように動く絵、時折目をこする猫の絵、月が満ち欠けする絵、雨が降ったり止んだりする絵、滝が流れ落ちる絵、お城をバックに桜の花びらが舞う絵、秋の庭園にもみじが一枚ずつひらりひらりと落ちて赤い地面に積み重なる絵など、幻想的なものが多い。


「いいな、あれ。動く絵……GIFみたいだな」

「?」


 またチナミが不思議そうにサツキを見上げる。


「ええと、何枚もの写真や画を再生して映像化する、みたいなものを、俺の知っているところではそう呼ぶこともあったんだ」

「《さいせいかい》。数枚の画を一枚に閉じ込めて、常に再生され、動いているように見える絵です。サツキさんの言っていた説明と同じものです。『みょうかい案内人ストーリーテラーがわとめろうさんの作品です」


 そういえば、とサツキは昼間の喫茶店を思い出す。


 ――あの喫茶店でも、波が打ち寄せる絵があったな。あれもこの人の作品なんだろう。


 少し離れたところで見ていた二人だが、その屋台にサツキよりちょっと幼い男の子が周囲を気にしながら駆け寄り、


「鬼が太鼓を鳴らす絵をください」


 とトメタロウに聞いた。


「ごめんね。今は盗まれてしまってないんだ」

「そっかぁ……」


 残念がる男の子に申し訳なく思ったのか、声をひそめて、


「実は、盗まれたとき、うちの庭を走って逃げる子供がいたらしいんだよ。昼間、洗濯物を取り込もうとした家内が、女の子の人影を見たって言うんだ。それから、『痛っ』て小さな悲鳴を上げたのはわたしも聞いたんだよね。すぐにわたしが外に出て『子供を見ませんでしたか?』って聞いて回ると、通行人からも子供の目撃証言が確認できたよ」

「どんな子ですか?」

「それがわからないんだ。男の子がいたってみんな言うのに、その男の子は関係ないって言う。じゃあなんでその話をするのか聞けば、子供を見たって話だって返される。だから女の子を見なかったか聞き直すと、男の子はいたって言われる。不思議な証言だったよ。でも、声の感じから犯人は子供だろうと思うし、愉快犯なら明日にはちゃんと返ってくるさ」

「でも、明日からは父ちゃんと母ちゃんが一泊旅行から帰ってくるから出て来られないよ」

「今ある物しか売れないしなあ」


 男の子は目を上げて、パッと表情を明るくした。


「あ! じゃあ、あの船が波に揺れてる絵をください。あの船かっこいい!」

「ボク、お金はあるかい?」

「あります。トメさん、これ」

「うん。確かに。ありがとう」

「ありがとうございます。やったあ、自慢できるぞぉ」


 絵を買ってうれしそうにこそこそ立ち去る男の子を見ながら、チナミは歩き出す。歩きながら言った。


「あの方は昼間、紙芝居をしています」

「だからあの子も知ってたんだな」

「夜にはこうやって絵を売っていますが、これは子供たちの一部が知っていることです。紙芝居はお金になりませんが、絵の宣伝にはなりますから、本業はこっちなんでしょう」

「へえ」

「王都の銭湯では、壁に絵が描かれているのですが、山にかかる雲が動きます。海の波も揺れますし、船もゆったり流れます」

「風情があるな」

「みんなあのトメさんの絵なんです」

「俺もそんな絵を見ながら湯に浸かりたいものだな」


 サツキは、不思議な世界のお祭りに参加している気分だった。

 チナミが浴衣姿で、屋台が建ち並び賑やかなせいもあるだろう。浴衣の袖とうなじからは夏の匂いを思い出させる。情緒的で神秘的な夜の王都は、夢を見せられているかのようでもあった。この少女と二人で、どこか異世界のお祭りを散歩して、どこに向かっているのもわからなくなる錯覚に陥る。

 今夜きりの少女との出会いと冒険は、サツキを特別な気持ちにさせる。

 さっきまでは心に余裕がなかったために気づかなかったが、提灯の模様や柄は様々で、昼間とはまた違った印象を受ける。


 ――昼間は、提灯に鬼の顔が描かれているだけだと思ってた。でも、よく見たらまばたきしてる。口を開けて動いてる。


 風に吹かれて表情まで動かす鬼や猫の顔の提灯たち。単に風のせいなのか、提灯の口がカタカタ笑っているようにも見えた。

 そんな中でも、歌舞伎役者の絵が描かれていた提灯――その歌舞伎役者と、目が合った。ぐるっと目玉が動いてこっちを見た気がしたのである。


 ――……なにもない、よな。


 特になにもないが、妙に不安な気持ちにさせられる。

 慣れればこれも繁華街的な喧噪に感じられるようになるのだろうか。


「提灯ですか」


 サツキの視線に気づき、チナミが聞いた。


「うむ。目が合った」

「気にすることはありません。しゃべりませんし、危害を加えることもしません。この王都でのああいった提灯は、ながこうすけさんという方の作で、魔法《ひゃくめんとう》によるものです。作者のコウスケさんを見かけたことはありませんが、その方の作品は王都に多くあります」

「へえ」

「あの提灯は木の枝や炭など、エサを与えると明かりを灯し続けます。それだけです」

「そういえば、さっきの紙芝居師の《さいせいかい》はまた鬼の絵が盗まれたみたいだったが、鬼でも提灯は無事なんだな」

「ここは無事です。でも、歌舞伎座の前の提灯は鬼の顔の物だけ、十個が盗まれたようです。もう返ってきたそうですが」

「歌舞伎座だけ、か……」

「?」


 チナミがサツキを見上げる。

 サツキはその視線に気づき、小さく微笑む。


「ちょっと気になることがあってさ。もしかしたら、この怪盗事件を追えば、俺の探している玄内先生に辿り着ける気がして」

「会えるといいですね」

「うむ」


 さっきの屋台では犯人子供説を聞けたし、材料は少しずつ増えている。ただ、本当に女の子の人影が犯人で愉快犯なのかはわからないが。


「しかし、この王都では、変わった魔法を使う人がたくさんいるんだな」

「王都には職人や商人など、あらゆる人がいっぱいいますから」


 目の前を、馬の形をした影が牽引する馬車が通り過ぎる。


「あれは?」

「影馬車ですね。王都ではたびたび走ります」


 また少し歩くと、人が集まっているテーブルが見える。テントの下のテーブルには、大人たちが二十人ほどいる。

 サツキはテントに書いてある文字を読んだ。


ふだ……?」

「それは、子供たちが遊ぶカードです。《ふだ》という魔法によって動物などの生き物をカードにします。自分のペットをカードにしてもらう子もいます」


 そう言って、チナミは自分の手に持っているぺんぎんの顔の巾着袋から、カードを何枚か取り出して見せてくれた。


「へえ。動物か。ぺんぎん、いいな」

「はい。お気に入りです。デッキを作って対戦をする子も多いですが、私は見て集める専門です」

「そうか。いろんな動物の札があるんだな」


 カードにはちゃんとステータスも書かれてある。チナミの持っているそれがどれほどの強さかはわからないが、サツキの世界での様々なトレーディングカードゲームのようだった。

 チナミはテントのほうを見つめ、


「夕方まで、子供たちはあそこでふだで遊びます。夜は、大人たちが賭け事をします」

「問題も起きそうだ」

「いいえ。あそこは、リョウメイさんが取り締まっているので滅多なことではルールを破ることはできません。イカサマができないようになってますから」

「そうなのか」


 ――みんながルールを守っていて治安がいいのはいいことだ。まあ、怪盗事件や人斬り事件みたいな治安を乱す事件はあるけど。


 サツキは聞いた。


「その巾着袋はいつも持ち歩いているんだな」

「はい。でも、カードのために持ち歩いているわけではありません。《しょうげんぶくろ》という魔法道具で、『王都』あまみやの子供たちはみんな持ってます。だから『あまみやきんちゃく』とも呼ばれています。見た目以上に物が入って、五十リットル分は入るかと」

「便利だな」

「小さく持ち歩けても、軽くならないのでそこは注意です」


 なるほど、とサツキは納得する。サツキがアキとエミにもらった帽子、《どうぼうざくら》は六十四個という個数制で重さがないのに比べて、《しょうげんぶくろ》は軽くはないがより詰め込める感じだと思われる。

 奇奇札の店の前を通り過ぎながら、チナミは言った。


「私が知っている昼の王都と夜の王都の違いは、他には少年少女歌劇団と歌舞伎くらいです。場所は王都歌劇場と歌舞伎座で異なりますが」

「どちらも見てみたいな」

「私はどっちも好きです」


 不意に、サツキは二本足で立って歩くカメとすれ違う。

 カメは、まるで人間のように着物をまとっていた。その上から甲羅をしょっているように見える。背はチナミよりも低く一メートルに満たないが、指の間に水かきがあることなどを除けば人間と動きが変わらない。

 チラ、とカメはサツキを一瞥し、そのまま歩きすぎてゆく。

 リアルな存在感に、サツキは不気味とも違った妖しい空気を胸に吸い込む。


「この王都には、カメもいるのか」

「たまに人ではない見た目の方もいます。でも、元は人間かもしれません」

「……」


 もう一度カメを振り返り見るが、背の低いカメは人波にまぎれて見えなくなっていた。

 サツキはぽつりと言った。


「でも、カメって甲羅と身体は一体になっていて外れないんじゃなかったか?」

「……」

「たぶんだけど」

「そうですね。まあ、人それぞれです」

「だな」


 そう言って顔を見合わせて、サツキはチナミはふっと小さく笑った。

 チナミはサツキの手をそっと握った。

 サツキがその手を見下ろすと、チナミはなんでもないことのように、いつもの表情のない顔で言う。


「ここから大通りを外れて、ガス灯がなくなります。大通りで人斬りが出たこともありませんし、事件は起こりにくいものです。でも、それ以外はなにがあるかわかりません。帽子で顔を隠していてください。私が手を引きます」

「うむ。ありがとう」

「いいえ」


 手をつないで歩く。

 そうした中で、同じデザインの服を着た二人組が歩いていた。二人の手には提灯がある。

 片方は四十代後半、もう片方は十代後半だろうか。

 また少し近づくと、提灯の文字が見える。『見廻組』と書いてある。

 サツキは文字を読んだ。


まわりぐみ?」


 これにチナミが答える。


「王都見廻組――王都の治安維持組織です」

「警察みたいな感じか」

「はい。あちらのねじりハチマキの人が組長のおおうつひろさん。あの人はすごく強いそうです。『おうばんにん』とも言われています。もう一人は確か新人さんですね。『がくせん』と言われていたように記憶しています」

「へえ」


 王都見廻組組長の男性は、頭にねじりハチマキを巻いているのが粋だった。眉も太く、渋さと力強さがある。背は一七七センチくらいだろうか。

 組長ヒロキはサツキとチナミの横を通りかかる際、足を止めた。


「やあ、チナミくん。キミたち、夜道には気をつけなさいね」

「はい」

「気をつけます」


 サツキとチナミが答えると、ヒロキはうんとうなずき、横にいる十七歳になる少年に言った。


「コウタくん、行こう」

「はい」


 コウタと呼ばれた少年は、かくひらこうという名でチナミの予想通り新入り隊士だった。


「子供たちが夜でも安心して歩ける王都にしないといけないな」

「ぼくもそう思います」


 うん、とヒロキはうなずいた。


「そのためには、人斬りを取り締まらないといけないな」

「同感です」


 二人の背中を見て、サツキとチナミもまた歩き出す。

 通りを曲がったところで、チナミが言った。


「もうそろそろ着きます」

「そうか」

「もしまたなにかあれば、いつでも私の家に来てください。遠慮はいりません」

「すまない。ありがとう」


 そのとき、サツキは視線の先にクコがいるのをみとめた。


「知り合いがいる」

「……」

「あの白銀の髪の人だ」


 握られていた手の力がゆるみ、サツキの手がチナミの手からするりと抜ける。


「そうですか」

「案内はもう大丈夫。ありがとう、助かったよ」

「……」


 チナミはなにを言うべきか迷ったような間を空けて、それから口を開いた。


「お気をつけて」

「うむ。チナミも帰り道、気をつけて」


 サツキはクコの元へと歩いてゆく。

 クコはチナミに小さく会釈し、チナミも同じように返してきびすを返した。

 そのあとで、チナミは、振り返ってサツキとクコが歩いて行く後ろ姿を見る。


 ――城那皐さん、不思議な人だったな……。


 また、そこで、チナミは夕方の騎士たちを思い出す。


「あなたを狙うオーラフ騎士団長という人、相当強そうだった。気をつけてください。でも、それより」


 と、クコを見てやや目を細める。


「どうしてだろう、あの女の人、なんか変……」


 白銀の髪を持つ少女が佇む宿屋の二階には、窓から半身を出して、三味線を弾く青年がいた。怪しくなにかを伝える警報にもチナミには聞こえた。

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