9 『海老川智波はその名前を知っている』
アルブレア王国騎士から逃げていたサツキは、ぺんぎんのお面を頭につけた少女にかくまってもらうことになった。
二階建ての木造家屋に入る。
通されたのは、居間とおぼしき畳部屋。家の中には、少女のほかにだれもいなかった。
サツキは礼を述べる。
「ありがとうございます。助かりました」
「私は
まるで十一歳には見えなかった。身長のせいでサツキには九歳くらいに見えてしまう。
「お年も私よりは上でしょう。楽に話されてください」
「うむ。そうさせてもらいます」
と、サツキはうなずいておいた。
「それで、あなたは?」
サツキは名乗る。チナミの自己紹介に合わせ、年齢も述べることにした。
「
「そうですか。サツキさん。十三歳」
チナミは記憶に刻むように繰り返した。
――この名前、確か……。
夕方、紙芝居をやっている後ろで話していた騎士の会話を思い出す。
――じゃあ、この人が王女といっしょに狙われている、城那皐……。
サツキは質問した。
「キミの家には、ほかにだれもいないのかね?」
「チナミでいいですよ。私の家族は今、お隣にいます。家族ぐるみで仲がよいので」
チナミは棚の前でひざをつき、引き出しを開ける。薬箱を取り出した。
「私には応急処置をする知識もありません。親を呼んできましょう」
「いや。薬箱を使わせてもらえたら、自分でやるよ」
まず、上着を脱ぎ、着物の袖をまくる。
――止血方法をルカに教わっておくんだった。
やり方はわからないが、とにかく包帯を巻く。圧迫して血を止める。
とりあえず止血してひと呼吸、サツキはようやく落ち着いて頭が冷静になってくる思いだった。
すっと席を立ち、チナミは水を持ってきた。
「お水をどうぞ」
コップ一杯の水をもらい、サツキはゆっくり飲む。
「悪い。ありがとう。助かったよ」
チナミはサツキの怪我の具合を見て、
「人斬り……?」
「いや、別の事情があった」
「左様ですか。今夜はうちで休んでいかれますか?」
今はまだ、騎士たちが近くに潜伏しているかもしれない。ここから宿に帰るだけならそれほど時間もかからないだろうが、万が一を考えると、願ってもない申し出だった。
「いいのかね?」
「どうぞ。サツキさん、悪い人には見えませんし、まだ子供ですし」
まだ子供なのはお互い様である。
「ならば、お世話になります……いや、この王都には目的もあって来ている。やはり少し休んだら帰ろうと思う」
「そうですか。では、ゆっくりされてください。傷を癒やすものはありませんが」
チナミは休んでいくことを強要したりはしなかった。淡泊というよりは丁寧な印象でもある。
サツキは、改めて部屋を見回した。なつかしい日本家屋の雰囲気に、気持ちが和らいでくる。
部屋の隅に、将棋盤を見つけた。
「将棋……」
「サツキさん、できるんですか?」
チナミが感心を示した。
「少しだけ。ルールを知ってるくらいで、指したことはほとんどない。チナミは好きなのか」
雰囲気からそう察して聞いてみた。
「はい。父の影響です。見ていたらいつの間にか指せるようになっていました。父とも指しますが、一番の相手はおじいちゃんです。仕事で家にいない父の代わりに、おじいちゃんがよく相手をしてくれて。今は研究のために遠くに住んでいますが、またおじいちゃんと将棋をするのを楽しみにしてます」
はにかんだようにボソボソ言って、チナミはやや視線を下げる。
「次に会うのが楽しみだな」
「はい」
サツキは聞く。
「おじいさんは、なんの研究をしてるのかね?」
「生物全般です。植物に詳しく、竜も調べています」
「無知で悪いんだけど、竜ってどこに住んでるんだ?」
「主に山です。それも一部の山で、古代
「へえ。俺も見てみたいな」
ぽつりとそう言うと、チナミはまた、なつかしそうな、うれしそうな顔で淡々と言った。
「山はいいですよ。以前、おじいちゃんとよくキャンプをしました」
「キャンプも好きなのか。いい趣味だな」
表情は動かないが、褒められてうれしそうなチナミである。どこか誇らしげだ。
「星空もきれいに見えます」
「よく見えるのだろうな」
「はい。友だちは星が好きでよく話をしてくれます。おかげで星座もいくつか覚えました」
「俺は星座などまるでわからないから、詳しい人に聞いてみたいものだ」
二人共はた目から見たテンションは低めだが、会話は意外に弾んでいる。
だが、サツキもいつまでもこうしているわけにはいかなかった。
――ルカを呼ぶようバンジョーに言っておいて、どこを探しても見つからないってのも悪い。そろそろ行くか。
サツキは改めて礼を言った。
「ありがとう。そろそろ行くよ」
「……」
チナミはちょっと思案し、質問した。
「行く場所があるんですか?」
「宿に戻ろうと思ってる。そこで仲間に治療してもらったら、人探しをしたいんだ」
「人探しですか」
「玄内先生という方だ」
「……すみません。知りません。名前はよく聞くのですが、会ったこともないし、話す人によって人物像が違うので、子供たちの間では都市伝説のような感じです」
「そうか。昼間も何度か人に聞いたが、わからないとか今はいないらしいと言われてばかりだった」
サツキは立ち上がる。
「では、俺はそろそろ」
チナミも立ち上がってサツキの前に回り込み、
「もしお連れさんがいるのなら、呼んできましょうか? 怪我をされているし、私なら屋根伝いに走って行くこともできます」
と申し出た。
「そんな器用なことができるのか」
「難しいことではありません」
こんなに小さいのに忍者みたいなことができると聞くと、見てみたくもなる。
今度は、サツキが少し考えた。
「『おかじま』という宿なんだが、遠いだろうか」
「そこですか。約十分です。近いですよ」
「じゃあ、送ってもらってもいいだろうか。オレは道がわからないんだ」
それは予想外だったのか、チナミはちょっと驚いたようだったが、迷うことなくうなずいた。
「はい。構いません」
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