19 『善場蛍蔵はもう一度語る』

 夕方。

 寿司屋『ほたる』。

 店主、ぜんけいぞうはねじりハチマキを巻いている小柄の板前である。メガネが似合い、人好きのする笑顔を振りまいて楽しそうに寿司を握っている。年は三十代半ば。


「いらっしゃい!」


 明るい笑顔で迎えられ、四人は席につく。

 店内では、サツキとクコがわくわくそわそわしていた。クコにとっては久しぶりの寿司だし、サツキもしばらく食べていなかった。バンジョーなどは食べるだけだというのに気合が入り、背広を脱いでシャツの袖までまくっている。


「まずはマグロだよな。楽しみだぜ」


 袖をまくり終えてすぐ、バンジョーは花瓶を発見する。

 カウンターテーブルの端に、青いバラを生けた花瓶があり、隣には黒いスミレの花瓶もある。


「お? ここも青いバラだぜ」

「お客さん、気づいちゃった?」


 板前のケイゾウが楽しそうに話しかけてきた。


「オレも持ってるんすよ!」

「え? なになに、好きなの?」

「まあ、勧められるままにって感じっす」

「最初はみんなそうだよ? 姉妹共にいいんだよねえ」


 と、ケイゾウは壁に貼られた王都少女歌劇団『春組』のポスターと見比べる。


「姉妹?」とバンジョーは首をひねる。

「お客さんはスダレき?」

「もちろんっす!」

「実はアッシ、知ってるんだよ」

「寿司屋なら知ってて普通じゃないっすか?」

「寿司屋みんな知ってるわけでもないよ?」


 ――確かに、スダレの寿司はオレも聞いたことなかったぜ。


 ケイゾウは優しい顔で言う。


「アッシがこっちに来たときからの常連でね」

「へえ。いつも出してんすね」

「ああ。いつも出してやってさ。とにかくさ、応援してやろうよ」

「応援っすか?」

「そうそう。アサリ&スダレ姉妹をさ」

「確かに姉妹といえば姉妹か」


 どちらもマルスダレガイ科だから姉妹と言ってもいいかもしれない。


「で、お兄さんマグロだったっけ?」

「押忍」

「スダレ好きってことで、サービスしちゃうよ」

「ありがとうございます!」


 ここは寿司屋だが、料理人バンジョーには別のメニューが浮かぶ。


 ――スダレは酒蒸しにしてもうまいんだよなあ。でも、スダレの寿司なんてのも食えるのか。楽しみだぜ。


 ケイゾウはにっこにこで寿司を出す。


「特別サービスだい! へいお待ち!」

「マグロかよ」


 バンジョーがぼやくように言うと、今度はケイゾウが首をかしげた。


「あれ? お客さん、マグロって注文しなかった?」

「はい! したっす!」

「ならいいや。おもしろいなあ、お客さん!」


 あっはっは、とケイゾウは笑っていた。バンジョーにはやっぱりなぜケイゾウが急にスダレの貝殻の話をしたのかがわからなかった。

 そのままケイゾウは別のお客さんの相手に移り、


「それでは、わたしたちもいただきましょう」


 とクコが声をかけた。

 サツキは「うむ」とうなずき、おそるおそる寿司を口に運ぶ。


「おぉ……! お、おいしい」


 サツキの世界の寿司と変わらない。魚ごとの素材の味がわずかに異なるくらいだろうか。素人にはわからない違いである。

 ふふふ、とクコは笑いかける。


「サツキ様。今日はいろんなネタを食べましょう」

「うむ。それがいい」


 クコはにこにことうなずき返す。

 おいしそうに頬張り堪能するサツキを見ると、どんどん食べさせてやりたい気持ちになる。


「こっちは炙りサーモンね。この《あぶじお》をちょちょいとふりかけてっと」


 ケイゾウが岩塩のような粒をふりかけると、またたく間にサーモンの表面が炙られていった。


「すごいです。ケイゾウさんの魔法ですか?」

「そうなんだよ。《あぶじお》っていって表面を炙るだけの魔法だけどね」

「いいえ、お仕事とマッチした素晴らしい魔法だと思います」


 かっこつけた顔でケイゾウは礼を言う。


「ありがとう! ……て、本当は魔法道具なんだけどさ。だれもつっこんでくれる人いないから自分で言っちゃったよ」


 はっはっは、とひょうきんに笑っていた。

 さっきまで「うめえ」しか言っていなかったバンジョーが、箸をとめてサツキに聞く。


「なあ。サツキの世界では、食べ方の作法とかあるのか?」

「ネタの食べ方とかいろいろあるみたいだけど、俺は好きな順番で食べればいいと思う」

「だよな。どんどん食おうぜ」


 マグロから始まり、サーモンやイカやエビ、えんがわ、いくら、とにかく食べられる限りいろんなネタを食べた。

 食事中、サツキはバンジョーにも寿司のことを教えてやり、愛想のいい板前ケイゾウが大将のこの店では、ケイゾウが陽気にしゃべってくれた。


「お兄さん、よく知ってるなァ! しかもこだわりすぎずに自由に食うのは、うちの店にも合ってるよ」

「大将! うまい酢飯のことが知りてえんだけど、コツはないんすか?」


 バンジョーに聞かれ、大将は溌剌と答える。


「アッシが大事にしてんのは熱だね。ちゃんと熱々の炊きたてご飯に寿司酢を混ぜて、そのあとうちわで扇いで荒熱を飛ばすとご飯をピカピカになんだ。つやで出て――」


 といった調子で、賑やかに食事を楽しんだ。

 ケイゾウとバンジョーは話が合い、ほとんどが寿司の話だったが、途中でケイゾウが話を変えた。


「そういや、もう暗くなる。剣を持ってるなら気をつけなよ」

「気をつける……?」


 クコが首をかしげると、ケイゾウは腕組みしてうなずく。


「この王都に来たのは初めてじゃなさそうだけどさ、この数日のことは知らないでしょ。なんでも、出るんだってよ」

「出るって、お化け……ですか?」


 おずおずと尋ねるクコの反応を見て、ケイゾウは笑った。


「はっはっは! 今日、この話をしたら同じこと言った子がいたよ。だが違う。出るのは、人斬りさ」

「人斬りぃー!?」


 バンジョーが大げさに驚いて、イスごとひっくり返った。

 その反応がうれしいのか、ケイゾウは雰囲気を出すように声を落として、


「なんでも、夜になると出るらしい。ここ四日くらいの話なんだけどさ、刀を持ったやつは斬っちまうってんだから恐ろしいよ。お客さんから聞いた話じゃあ、狙うのは刀を差した剣士だってことじゃねえか。西洋剣だからお姉さんは狙われないけど、そっちの帽子のお兄さんは怪しいね。弱い剣士も狙われないとか言ってたし、子供だから大丈夫だとは思うけどさあ」


 昼間、イッサイと名乗る客が言ったことも付け加えて教えてやった。

 サツキは微笑を浮かべて、


「ご忠告、恐れ入ります」


 とだけ言った。

 起き上がって顔だけテーブルの上に出したバンジョーは、サツキを見て、


「気をつけろよ」


 と心配してくれた。


「うむ」


 ケイゾウはまだしゃべる。


「それから怪盗事件もあるんだよ。怪盗の名前はライコウ。うちの隣の傘職人が鬼の柄の和傘を盗まれたらしいってんだ。もう返って来たみたいだけどね」

「おお、そいつならオレも盗まれたぜ。ソースを盗まれたんだ」


 などと、バンジョーとケイゾウが話す。

 そんな会話をする四人の横に、ガタッと乱暴にイスを引いて座る人があった。

 客は開口一番、大きな声で注文した。


「おすすめを出して欲しいどん!」

「へい! 今日のおすすめはやっぱり初鰹だね!」

「じゃあそれをもらうでごわす」

「あいよ!」


 ケイゾウが客に寿司を握って出した。

 目元や顎には赤い隈取りがしてあり、顔には常人離れした切り傷が刻まれ、ジーンズに白いシャツ、その上から目立つ着物を羽織っている。逆立った短い赤髪も異様だった。

 サツキは彼が役者かなにかなのだと思った。


 ――おかしな衣装だが、この世界じゃあアリなのか……? 役者なら普通なのだろうか。


 赤髪の客は寿司を頬張り、ケイゾウに言った。


「うまいでごわす! だが、なにか新しい試みはないんでごわすか?」

「悪いね、お客さん。まだそっちのお客さんに話を聞いたばかりでね、やってみたいけど試作もする前の寿司さ。いわばアッシの頭の中に構想があるだけでしかないんだ。新商品ってのなら三ヶ月前に作った軍艦巻きがあるよ」

「なかなか悪くない店でごわすな」

「ありがとね。軍艦巻き、食べるかい?」

「いや。その構想の中のモンをもらうどん!」

「まだどうなるかわからないよ?」

「それでいいどん」

「あいよ、じゃあ待っててね。今、準備するからさ」


 準備を始めるケイゾウを、赤髪の客は楽しげに見ている。そしてその顔がバンジョーに向いた。


「あんたが考えたメニューってことどん?」

「おう? おう! そうだぜ! ずっと前に作ったやつだ!」

「てことは、あんたも料理人でごわすか」

「オレはだいもんばんじょう。料理人さ。料理一筋の料理バカだ。オレから料理を取ったらなんも残らねえ。バンジョーって呼んでくれ」

「バンジョーの服は新しいでごわすな。メラキアの出身でごわすか」

「なっはっは! この服を買ったのなんて結構前だぜ。でも、メラキアの出身なんてよくわかったな?」

「なんとなくでごわすよ。おいはメラキアとか新しいモンが好きなんでごわす。で、そっちは?」


 目を向けられ、クコとサツキとルカが順番に挨拶した。


「クコといいます」

「サツキです」

「ルカです」


 名前だけの簡単な挨拶に、赤髪の客は名乗り返した。


「おいはガモン。きりむらもんでごわす」

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