16 『騎士団長オーラフは遅れて到着する』

 晴和王国において、王都は首都という扱いになる。

 そのため、あまみやには数多くの寿司屋があった。

 バンジョーはこの街をこなれたように歩き、一軒の寿司屋の前に案内した。

 伝統ある武蔵ノ寿司の店、名は『やぐら』。

 戸を叩き、開店前の店内に入れてもらうと、バンジョーは武蔵ノ寿司を学びたいと熱く語った。


「オレを弟子にしてください! 寿司を極めたいんです!」

「厳しいぞ。やれるか?」


 身体は細いが凄味の利いた初老の男性が板前である。決意が本物か聞かれて、バンジョーはドンと胸を叩いて威勢よく答えた。


「はい! どんなことでもやりますよオレ!」

「ほう。板前に憧れてたのか?」

「実はオレ、料理人としていろんな料理をつくる旅をしてるんす。でも、武蔵ノ寿司は時間をかけなきゃ学べないと思いました」

「ほほう」


 と、板前もうなる。目の前の若者を、ためつすがめつ眺め、本当にやれそうか品定めでもするかのようだった。


「一ヶ月はやってやる覚悟っすよ! オレは寿司を極めんだ!」

「……」


 板前の眉が、ピクリと動いた。

 ニッと笑うバンジョー。

 しかし、サツキは頭を押さえる。


 ――その程度の覚悟だったか……。


 と、ため息をつきたくなった。

 ルカも諦めたように、呆れたように肩を落とす。

 寿司は、修業期間が約十年と言われている。シャリ炊き三年、合わせ五年、握り一生と昔から言われているのである。それがたった一ヶ月でなんとかしようとは、ゆめにも思わなかった。寿司職人を舐めすぎである。

 クコだけはバンジョーを応援するように胸の前で拳を握って見守っていた。

 板前も呆れて言葉が出ないか、とサツキは思っていたが、いきなり、大声で怒鳴られた。


「バッカもーんッ!! 寿司をなんだと思ってやがる! おととい来やがれ、こんちくしょう!」


 手のひらで鼻の頭をこすると、板前はくるりと背を向けて仕込みに戻った。

 クコは身を縮めて驚きすくんでいるが、バンジョーはまるで意に介さず、土下座をしてみせる。


「いえ。オレは本気です! 長いと迷惑ってんなら、二週間、いや一週間でも構いません。その間に寿司をマスターしてやりますよ!」


 ――逆に短くしてどうする。


 と、サツキは思った。

 これ以上は火に油を注ぐだけになりそうだと判断し、サツキはバンジョーを引っ張って外に連れ出す。


「すみません。お邪魔しました」

「おいおい! なにすんだ、サツキぃ」


 ルカもぺこりとお辞儀してクコを連れて外に出る。


「あっ。ルカさん?」


 四人は通りに出て、通行人の邪魔にならないように、路地に入った。

 バンジョーが聞く。


「なあ、おい。サツキ。なあ。なんだってんだ? 急にどうしたってんだよ」

「あれ以上、あの板前さんを怒らせないために連れ出したのだ。失礼にも程があるぞ」


 言われている意味がわからず、バンジョーは目をしばたたかせた。


「どういうことだ?」

「普通、寿司ってのは修業が十年はかかるとされている。シャリ炊き三年、合わせ五年、握り一生。それだけあの板前さんも一筋に打ち込んできただろうに、それを一ヶ月はやってやる覚悟だって?」


 サツキにジト目を向けられ、バンジョーはぽかんと口を開けた。


「ほへ? マジ?」


 うなずくのも面倒なので、サツキは淡々と説明を続ける。


「一ヶ月ですら侮辱に思う人もいるかもしれないのに、一週間でも構いませんなんて言われたら、本気が伝わらないってことだ」

「この世界でも、サツキの世界と同様に少なくとも十年はかかるのよ」


 と、ため息交じりにルカが言った。


「そ、そんなに大変だったんですね」


 クコが驚くのも無理はないが、バンジョーの驚きようはクコの比ではなかった。四つん這いになって何度も地面を叩く。ボロボロと滝のような涙まで流していた。


「おおおおお! マジかよおお! オレ、スゲー失礼なこと言っちまったぜ! オレはなんてバカなんだ!」


 どうもこの料理人は純粋でまじめ過ぎる。そして人に優しい。憎めない人だ、とサツキは思い苦笑しつつ嘆息した。


「どうする? 料理人として旅を続けるか、寿司職人を目指すか」


 ゴシゴシと涙をぬぐったバンジョーは、すっくと立ち上がり、腰に両手を当てる。


「オレは、料理には無限の可能性があると思ってる。だが、それをひとりですべて表現できるとは思ってねえ。オレはその無限の可能性の中でも、オレにできるうまいもんをたくさんつくって、オレの料理を食った人のたくさんの笑顔が見たい。だから、寿司職人にはならねえよ。今のオレは、もっといろんな料理を見て知って、つくってみてーからよ。なんたって、オレは料理バカだからよ」


 その純粋な想いに、サツキはふっと小さく笑みを浮かべる。


「じゃあ、今夜はいっしょに寿司を食べよう。食べながら、寿司について俺が知ってること、教えるよ。それであとで自分なりに研究すればいい」

「おめえ、いいやつだなぁ! サツキぃ」


 そう言ってサツキをひしっと抱きしめるバンジョー。その目の端には涙がたまっていた。

 サツキは苦笑してクコを見やる。

 クコはサツキにうなずいた。


「では、今夜はいっしょにお寿司ですね。楽しみです」




 日が暮れかけたきた。

 サツキやクコたちのいる場所から、一キロ以上離れたところに話が移る。

 王都にはところどころに空き地もあり、この場所も空き地だった。

 空き地では、子供に紙芝居を見せている男性がいた。六十を過ぎ、小柄でサングラスをかけている。不気味というより不思議だった。紙芝居の前には、子供たちが二十人ほどもおり、彼らに向けてしゃがれた声で紙芝居を読んでいた。

 そのすぐ後ろで、会話する四人の人間がいる。

 アルブレア王国騎士だった。

 世界樹ノ森でクコを見失ったあとも、ずっとサツキとクコを追い続けていたのである。


「バスターク騎士団長はあれ以来まるで連絡が取れない。我々だけでも、なんとか王女をとらえなければならないと思うがいがかでしょうか」


 そう言ったのは、偏照競匂ヘンツェル・セルニオという騎士だった。魔法《潜伏沈下ハイドアンドシンク》により、地面に潜り移動することができる『りゅう』。息を止めている時間だけといった制限はあるが、うまく使えば対象に気づかれずに近づくことができる。一七八センチ。二十六歳。

 四人の中では二番目に若い。

 彼の発言に、もっとも若い張質鉛砂簾惇バルチェーン・ジャストンが答えた。


「ンなもん、探し回ってとっ捕まえるだけだぜ!」


 大柄で身長は一八六センチ。スキンヘッドが特徴で筋肉質の『鋼鉄の野人アイアンマン』。騎士服にはマントがない代わりに、首に鎖を巻いている。どこか悪役レスラーを思わせる。二十五歳。


「にしてもよ、王女は本当にこの王都にいるのか?」

「待とう、あの人が到着するのを。おれらだけじゃ見つけられないよ」

「フンベルトさん、なに言ってんだ。年長のあんたがビビってちゃやってらんねえぜ」


 ジャストンにすごまれて、最年長にして三十歳になる『リンクス』新治水分減門ニーチェス・フンベルトは、情けない声を出す。


「だってぇ……」


 普段はお調子者なのに、自分が意思決定する立場になると弱くなる。フンベルトは一六六センチと小柄なため、ジャストンに迫られるといっそう小さく見える。魔法も、《とうフィルター》という物体を透過して見るのみの魔法だから、戦闘にあまり自信はなかった。

 フンベルトに次いで年長な『でんこうのランス』角名枝彫度ガードナー・エヴォルドが、ジャストンをなだめる。


「まあ、落ち着いてください。そろそろ来ると連絡はあります」


 エヴォルドは、世界樹ノ森でセルニオと共にサツキとクコを追いかけた騎士である。雷の魔法を使う。


「マジで来んのか? あの人」


 おもしろくなさそうにぼやくジャストンだったが、ちょうど、その後ろから声がかかった。


「そろっているな。この『武装殺しコアスナイパー条須央羅伏ジヨーンズ・オーラフが来たからには、もう大丈夫だ」


 四人の顔が一斉にそちらに向かう。


「オーラフ騎士団長!」


 フンベルトが期待と喜びの混じった目で見上げる。

 条須央羅伏ジヨーンズ・オーラフ

 アルブレア王国騎士。バスタークと同じく騎士団長の肩書きを持ち、実力はフンベルトも信頼していた。年も三十五と技術と体力が共に充実している。一八八センチ。逆立った髪を額当てが押さえている。

 オーラフ騎士団長の後ろには十二名ほどの部下もいた。オーラフ自身とフンベルトたちも合わせれば、十七人にもなる。


「ターゲットは、しろさつき。まだ少年だからといって甘く見るな。あのバスタークくんがやられたそうだからな。だが、なにも迷うことはない。王女はこの王都にやって来た。昼間、見た者がいる。王女を引き離し、城那皐を討伐する。それだけの簡単な仕事さ」

「はい!」


 いの一番に返事をしたのは、すっかりオーラフ騎士団長の登場に安心しきっているフンベルトだった。

 目を輝かせるフンベルトにオーラフが自信に満ちた顔で言った。


「終わったら浴びるほどビールを飲もう。フンベルトくん」

「はい!」


 もう勝ったつもりでいるフンベルトの横で、冷静なエヴォルドが聞く。


「それで、作戦はどうするのですか?」

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