14 『宝来瑠香は喫茶あいのでコーヒーを味わう』

「バンジョーさんは、いつ晴和王国までいらしたんですか?」


 クコに尋ねられ、バンジョーは朗々と語った。


「一昨日王都に着いたんだ。さし寿を学ぼうと、いろんな寿司屋に行って寿司ばっか食ってるぜ」


 武蔵ノ寿司とは、武蔵ノ平野一帯の職人が握る寿司である。武蔵ノ平野はサツキの世界でいう関東平野とほとんど同じらしいから、江戸前寿司のようなものだと思われる。


「そうでしたか。できればまたいっしょに旅をしたかったのですが、それでは仕方ありませんね」

「この国に来たばかりで、すぐに帰るわけにもいかないもんな」


 残念がるクコにサツキはそう言った。

 しゃべっているうちに客が食事を終えて屋台から去る。そこで、バンジョーは遅まきながら思い出す。


「そうだ。カレーライスだったぜ。今から準備するから食っていってくれよな」

「ありがとうございます」


 とクコが丁寧にお辞儀して席に座り、サツキとルカもお礼を述べて席に着いた。

 屋台には花瓶が一つ置いてある。それがこの屋台には不似合いに見えた。同時に、サツキは「あ」と驚く。


「青いバラ……こんなものがあるのか」

「お? サツキ、気づいたか!」


 得意げにバンジョーが胸をそらすので、クコが尋ねた。


「素敵なバラですね。ロイヤルブルーなんてめずらしいです」

「《しちさいびん》って魔法道具なんだ。花瓶に絵の具を溶かした水を入れると、生けた花がその水を吸って絵の具の色になるんだぜ。赤いバラが安く売ってたから、逆に青にしてみたってわけよ」

「まあ! 元は赤いバラでしたか!」


 バンジョー自身も感心したようにバラを見つめて、


「こんだけ青いと、赤かった面影もないよなあ。バラが青くなった途端クコにも再会できたし、ラッキーな花瓶だぜ」

「この子が引き合わせてくれたのだとしたら、感謝しないといけませんね」


 クコは花瓶の青いバラにニコニコと微笑みかけ、「ありがとうございます」としゃべりかけていた。


「王都にはこんなものも売ってるのか」


 サツキがそう言うと、バンジョーが答える。


「《みやここうほくみやで仕入れた商品らしいぜ。今朝市場に食材買いに行くついでに散歩してたとき見つけたんだ。市場の親父さん、オレが屋台を出してるって話したら、花瓶の一つでも置いたほうがいいって教えてくれたんだぜ」


 それで勧められるままに買ったようである。


「よい買い物でしたね」

「おう」


 爽やかなバンジョーを見ていると、これも買い物の楽しみの一つだと思えてくる。


 ――実際にバンジョーのそれはよい買い物だったようだし、俺の刀この桜丸にしても、買い物とは縁だな。


 サツキは今朝、列車の中で読んだ本を思い出す。


 ――列車の中で読んだ陰陽師の本でも、この世界のお金の単位「りょう」は、良いの「りょう」に通じるから、お金を大事にする人は良い買い物や縁に恵まれるとか書かれていた。


 それを、著者のやすかどりょうめいという陰陽師は『怪異的なこと』と表現していた。


 ――そんな考え方で言えば、特に日本ではお金の単位は「えん」で、「えん」に通じる。つまり、お金すなわち「円」を大事にする人には良い「縁」が巡ってくるってこと。


 そう読み解ける。


 ――不思議だよな、こういう話って。この世界では、『怪異的なこと』も勉強したほうがいいんだろうか……? まあ、あんまり考え過ぎると思考の迷路に入る。切り替えよう。


 一旦、サツキは《どうぼうざくら》の《ぼう》の効果で、買ったばかりの魔法道具《ぶんてんかんせん》を手の中に取り出す。

 扇子を開いて閉じる、という動作をして、頭を切り替えた。


 ――気分もリセットできてすっきりする。いいぞ、これ。


 バンジョーがカレーライスの皿を差し出した。


「とにかく食ってくれよ!」


 三人は、バンジョー特製のガンダス風のカレーライスを食べる。


「おいしいです!」

「ほんとだ。おいしい」

「そうね。美味だわ」


 嬉々と感想を述べるクコに対して、サツキは驚いていた。ルカは静かに味わっている。


 ――この世界に来て初めてのカレーライス。やっぱりカレーってどこの世界でもおいしいんだな。


 ヘッヘッへ、とバンジョーはうれしそうに笑う。


「そうか。さっきはマズいって言われたから心配してたんだ。わかりにくい客もいるもんでさ、おまえらにそう言ってもらえて安心したぜ」


 ほかに客が来ないのを見て、バンジョーは看板を畳む。

 クコは聞いた。


「バンジョーさん。お昼の屋台は終わりですか?」

「おう」

「あの。もう少しでわたしたちも食べ終わります。よろしければ、わたしたちのお話を聞いてもらえますか?」

「なんでも言ってくれよ。おかわりは今からでも出せるしな」

「いいえ。わたしたちのこれからの旅についてです。喫茶店など、ゆっくりお話できる場所で」

「なら、うまいカレーライスを出すって噂の喫茶店にするか」

「はい」


 このあと、四人はバンジョーが気になっているらしい喫茶店に行って話をすることになった。




『喫茶あいの』。

 人の多い通りから離れた、静かな喫茶店である。

 ここには客の姿もあまり見られず、数人がゆったりくつろいでいる。

 レトロな佇まいの店内に足を踏み入れると、音楽が聞こえてきた。鼓膜を震わす音楽は様々な楽器からつくられており、レコードのような温かみさえあった。


 ――濃いウッドブラウンの店内。穏やかで優しいジャズ。いいお店だな。


 サツキはすぐにこの喫茶店が気に入った。

 だが、疑問も浮かぶ。


 ――でも、ジャズ? 音楽がある……。この世界では、レコードプレーヤーどころか、蓄音機すら見かけたことがないのに。


 壁には額に入った絵が掛けられており、その絵は夕暮れの海辺の景色だった。しかし、よく見ると波が寄せてはかえし、動いている。ただそれだけの動きだが、普通の絵は動かない。魔法だろうか。また、歌劇団のポスターが貼られていたり、本や雑誌もインテリアのように少しだけ置いてある。棚にはアンティークの小物や貝殻なども並んであった。


「いらっしゃいませ」


 四十代の女性店員が出てきて、テーブル席に案内してくれる。四人掛けだからちょうどいい。


「どうぞ。こちらです。ご注文が決まりましたら、そちらのベルを鳴らしてください。では、ごゆっくり」


 店員が離れて、サツキは小声でクコに聞く。


「クコ。この世界には、蓄音機はあるのか?」

「とてもめずらしいものです。あまり見かける機会はありませんが、ありますよ。……あ。このお店、楽器を演奏する人がいないのに、音楽が……」

「うむ。魔法だろうか……」


 サツキがつぶやく。

 そこに、先程の店員がやってきた。おっとりとした雰囲気の整った顔立ちで、微笑みを浮かべて教えてくれた。


「そうですよ。娘の魔法なんです」


 水を四人の前に並べながら、


「《なみおく》という魔法で、貝殻に音の波を記憶させることができるんです。ほら。あの巻き貝がそうです」


 手で示してくれたのは、棚に置かれたサザエのような巻き貝だった。確かに、そこから音楽が聞こえてきている。


「ワタシたち夫婦でやっている喫茶店ですが、娘も音楽だけ協力してくれて」

「そうでしたか。素敵な魔法ですね」


 クコが楽しそうに話す。

 ほんの少し会話しただけだが、すっかり打ち解けていた。


「おすすめはブレンドコーヒーです。お客さん自身が甘さを自由に調整できるのが自慢で。ワタシあいとみの《スウィートマドラー》っていう魔法でつくったマドラーを使えば、マドラーを回す方向によって甘さを調整できるんです。砂糖を余分に使わないから太らないので安心ですよ」

「おもしろい魔法です」

「あとは、店主……ワタシの夫、あいかずのりの魔法は《コールドストロー》といって、そのストローを通して飲めば、どんなお飲み物でも冷たい状態でいただけるんです。だからもちろん、アイスコーヒーもおいしいですよ」


 バンジョーはそれを聞いて、


「じゃあ、オレはカレーライスとアイスコーヒーください。あとはなんかデザートないっすか?」

「カレーライスとアイスコーヒーですね。デザートだと、いちごタルトがおすすめですよ」


 サトミがにこりと答える。

 これにはクコも食いついた。


「いちごタルトですか」

「ええ。『いちご王国』光北ノ宮のいちごなんです」

「光北ノ宮のいちごはわたしも昨日食べたばかりです! おいしいですよね!」

「オレも光北ノ宮のいちご食いたかったんだよな! ひとつください!」

「わたしもお願いします。サツキ様とルカさんは?」

「じゃあ俺も」

「私もいただこうかしら」


 サトミは「かしこまりました」とオーダーを書き取り、


「お飲み物はどうされますか?」

「わたしはブレンドコーヒーにします」

「俺はカプチーノをお願いします」

「私はカフェオレを」


 全員の注文を繰り返してサトミはふわりと微笑み、「それでは少々お待ちください」と下がった。




 コーヒーはすぐに来た。

 クコとサツキは一口飲んで、「おいしい」と声をそろえて言ったが、二人共すぐに《スウィートマドラー》を使って甘くした。クコはほんの少しミルクを加えてから、


「反時計回りにかき混ぜると甘くなるんでしたね」

「うむ」


 と何周か回して、同時にまた一口飲む。


「甘くて幸せです」

「ちょうどいい……!」


 ルカも一口飲んで、私はこのままでいいかも、と思いつつも気になってマドラーを使う。


「時計回りに二周。ちょっと苦くなるのよね……」


 口をつけて、驚く。


「あら。本当に違う。繊細な変化」


 バンジョーは《コールドストロー》でアイスコーヒーを飲む。


「うめえ! ちゃんと冷たいな。コップを触っても冷たくないのに。冷たいぜ。不思議だよな。なっはっは」

「きっと、氷を入れて味が薄くならないための工夫だよ」


 サツキがそう言うと、バンジョーがポンと手を打った。


「なるほど! そういうことか! なんて心づかいだ! ちょっとお礼言ってくるぜ! シェフに挨拶だ」


 シェフが挨拶をしたいということならあるけど、シェフに挨拶しに行く人などサツキは見たこともなかった。


「この世界では、おいしかったらシェフに挨拶しに行くのか?」


 真面目な顔でサツキがこっそり聞くと、クコとルカが小さく笑った。


「珍しいケースですが、シェフの方も、おいしいと挨拶されて悪い気はしないと思いますよ」

「普通は逆ね」


 急いでカウンター席に行って、バンジョーは何度もお礼を述べていた。


「いいえ。そんなお礼を言っていただくほどでは……」


 同じく四十代の男性でサトミの夫、カズノリが困っていた。

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