9 『浮橋陽奈は天動説を否定する』

 天都ノ宮の一角に佇む、とあるもんじゃ焼き屋。

 うきはしは、ここでひとり昼食を取っていた。

 この王都に来てからは衣装も変え、黄色い着物と緑色の袴である。頭につけたうさぎの耳のカチューシャだけは変わらない。

 その恰好で、ヒナは鉄板に向かってヘラを動かしていた。


「あたしってばうまいじゃない。ふふん」


 得意になって鼻を鳴らし、ヘラで土手を作る。

 ふと、表情に憂いを滲ませ、ぽろっとつぶやく。


「お父さん、文字焼きだって言ってよく文字を書いてくれたっけ……」


 それがもんじゃ焼きのルーツだとも言っていたのを思い出す。


 ――お父さん……。


 深刻な顔でうつむくヒナの後ろで、柄の悪そうな声が聞こえてきた。


「おやっさん! おいにも一つ持ってくるでごわす!」


 ヒナの隣のテーブルにどかっと座る。


「腹が減ったどん」


 顔に深い切り傷があり、目の周りを赤く縁取り、赤毛の短髪を逆立て、出で立ちはジーンズに白いシャツを着てその上に着物をゆるくまとっている。足下がブーツなのはまだいいとして、リング状のイヤリングも悪趣味に光っていた。おかしな和洋折衷である。年は四十歳くらいだと思われる。背は一八〇センチを超える。

 一瞥し、


 ――なんなのこいつ。横柄な人……。


 意識を引き戻されたヒナは、目の前のもんじゃ焼きを切り取る。


「いい頃ね! いただきまーす」


 はむ、とヘラで一口食べて、ほっぺたを押さえる。


「おいしぃ。さすがはあたしね」


 ヒナはその調子で食べてゆくが、若い男性の店員が隣の客に注文を取る際、問題が起きた。


「ご注文はどうなさいますか?」

「注文どん? おすすめでいいでごわす」

「了解しました。当店おすすめ『伝統の天都ノ宮もんじゃ焼き』をお持ちします」

「ごわァ!? 今、なんと言ったどん!」


 急にいかめしい表情になって声も強ばり、店員は身体をビクつかせる。


「あ、あの、『伝統の天都ノ宮もんじゃ焼き』です」

「ふざけるなどんっ! ごわアッ!」


 と、客はテーブルをひっくり返した。


「ひゃぁ!」


 ヒナは驚いて声を上げ、すぐに口を押さえる。目をつけられないように視線をそらしながらも、チラ、チラ、と観察する。

 客はどなった。


「おいは伝統とか大っ嫌いなんでごわす! ごわアァァッ!!」


 拳で店員を殴りつける。血が出るまで何度も何度も殴りながらしゃべり続ける。


「踏襲ッ! 現状維持ッ! 保守ッ! 古くさいモンはみんなみんなみんなみんな嫌いどんッ!」


 突然叫び出して暴れ出す客を、他の客たちは引いたように見ている。止めに入って今度は自分が殴られることになったらたまらないのだから、当然と言える。


「維新ッ革新ッ進化ッ交換ッ! このきりむらもんはそんなそんなそんな進歩が好きなんでごわす! どんッ! どんッ!」


 と、ガモンは店員を踏みつけた。

 そして、腰に差した刀を引き抜き、


「血を吸わせてやるどん」


 ニタリと顔をゆがませ、店員の流血部分に刀の刃を添わせる。

 すると、接触した面からずずずぅっと血を吸い尽くしてゆく。

 店員が青白い顔になってようやく、ガモンは刀を離して光に当てた。もう刀に血の付着はなかった。刀にすべて吸収されているようだった。


「ひひひ、ごわわ」


 笑って、言葉を紡ぐ。


「《けつしょくじん》。血といっしょに力を吸い取らせてもらったでごわすよ。力といっても腕力どん」


 ペロッと刃を舐めて、恍惚の表情を浮かべる。


「うまぁいどん」


 詠嘆し、突然我に返ったと思うと、


「てめえら! なに見てるどんッ! ごわアッ!」


 ぐるっと見回し、鋭い眼光で周囲を黙らせる。元々だれもしゃべっていなかったのだが、ガモンを見る者もいなくなった。みんな縮こまっている。

 ヒナはガモンから視線をそらし、先程から焼いていた目の前のもんじゃ焼きの状態に気がつく。


「あ、こげてる……」


 思わず声を漏らし、また口を押さえた。

 ガモンは声のした方向、つまりヒナへと視線を移した。


「そうやってなんでも変わるモンでごわす! ほっといたらなんでも焦げて腐って朽ちていく! そういうモンどん!」

「……」


 ヒナは下を向いたまま、もんじゃ焼きに手をつけない。

 だが、ガモンはしゃべるのをやめない。


「この『人斬りガモン』、幕末に名を馳せたはいいが、倒幕のみで革新を果たせなかったどん! それもこれも、邪魔なやつらが多すぎるからでごわす! また戦国時代に戻るなんざ愚の骨頂どん!」


 ガモンは言葉を切って、だれにともなく語りかける。


「どうしてこんな戦国時代に戻っちまったかわかるどん? それは、この世に伝統があるからでごわすよ。現状が壊れるのを恐れるやつは、伝統って言葉でいつも新しいものを否定するどん。だから! こういう! 伝統が! 悪いんでごわァアす!」


 ガモンは刀を抜き、窓の横の壁に貼られたメニュー表の『伝統の天都ノ宮もんじゃ焼き』の文字を正面から突き刺した。


 ががごん!


 と、内と外を隔てた厚い壁が、大きな音を立てて破壊された。ドア一枚分が切り取られたような形である。窓ガラスも地面に落ち、パリンッと乾いた音で割れる。

 店の壁が音を立てて壊れたことで、通りを歩く人たちが何事かと見ている。


 ――な、なんて馬鹿力よ。あんなに分厚い壁がひと突きで……。これが、血を吸って強くなったっていう力……?


 ヒナはごくりと唾を飲み込み、ガモンの視界に入らないように、気持ちだけでも身を縮めた。

 勝手に店に入ってきておいて文句をつける迷惑な客に、怖くてだれもなにも言えなかった。


「変わらないのは概念だけで充分どん! けど、それさえも少しずつは変わるでごわす! それが自然の摂理ってモンでごわす! 変わらないだとか時代が戻るなんてのは、地球のまわりを回る太陽が逆向きになるくらいおかしなことどんよ。ごわっごわごわあ」


 笑い出すガモン。

 ここで、ヒナが我慢ならなくなって、バンとテーブルを叩いて立ち上がり、ガモンに向かって言い放つ。


「そんなのデタラメよ!」

「ごわア!? おまえ。おいになんか言いたいことがあるどん!? ごわアッ!」


 キッとにらまれ、ヒナはすぐに後悔した。


 ――しまったぁ……言っちゃった。こんなこと、きっと理解してくれるのは、まだあのしろさつきくらいなのに……。でも……引けない! どんなときだって、あたしはあたしとお父さんに嘘をつきたくないんだ!


 ヒナは震える足を必死に押さえつけて声を張り上げた。


「いい? 太陽が地球のまわりを回ってるんじゃなくて、地球が太陽のまわりをぐるぐる回ってんのよ! 地動説なんかあり得ないんだから! あんたのたとえは前提から間違ってんのよォォーッ!」


 叫んだあと、


 ――あたし、殺されるかも……。


 と泣きそうになる。

 だが。

 意外な展開になった。

 ガモンは、ヒナの言葉を聞いて笑い出した。


「ごわッハッハ! ごわごわ」


 とても愉快そうに腹から声を出して笑った。

 ヒナは今にも腰を抜かしそうになりながら、敵対をやめない。


「なにがおかしいのよ!」

「いやいやいや、いやいやいーや、すまんどん! おいは楽しくなったんでごわすよ」

「はい?」

「地動説はあり得ないでごわすか。いいこと聞いたでごわす。そんなこと、証明できるどん?」

「それをしようと頑張ってんのよ。いつか必ず……いいえ! 近いうちに絶対の絶対の絶対に証明してみせるんだから! この『がくもう』、浮橋陽奈がね!」


 宣戦布告までかましたが、ガモンはやはり楽しそうだった。


「ごわははは! 概念すらも革新しようとする人間は初めてでごわす。いやいやいーや、最高どん。おい店員、おいに酒を持ってくるどん」


 どうやら、ヒナは気に入られたらしかった。

 ここでさらに敵対するのは得策ではない。今のうちにひっそりと逃げ出すに限る。だが、ヒナはこのガモンが好きになれず、また怒鳴られるの覚悟で言った。


「店をこんだけ滅茶苦茶にしたあんたに、だれが酒を出すっていうのよ」

「どん?」

「みんなあんたに迷惑してるって言ってるの。出直しなさい!」


 今度こそ殺されるだろうか、とヒナはまた足をぷるぷるさせる。

 しかし、ガモンはすっくと立ち上がった。


「ごわっはっは。今日は機嫌がいいでごわす。じゃあまた来るどん」


 ひひっ、とガモンはヒナに不敵に友愛の情を持って笑いかけた。

 もちろん、ヒナは笑顔など返さない。

 がらり、とガモンが戸を開ける。


「邪魔したでごわすー」


 ガモンが店を出ると同時に、ヒナは目の下に指をやってあっかんべえをした。


「あたしは伝統とか革新とか関係ない。真実を究明したいだけなんだから! もう来るなー。べーっだ」


 がら、と戸が開き、


「そうだ。また会ったら、おごってやるどん」


 唐突に戻って来て顔を見せたガモンに、あっかんべえの形をしたまま、ヒナは言葉を返す。


「は、はーい」

「じゃあなでごわすー」


 再び、戸が閉まる。ヒナのあっかんべえのポーズも気にしないで、ガモンは去って行った。

 ヒナは腰を抜かしてべたりと座り込んだ。

 そこでやっと、店内から「おおっ」と客たちがどよめいた。「すごいぞ」、「あんたは偉い!」などとヒナを称賛する声もあり、ヒナは腰が抜けて立てないもののすぐに得意になった。


「ま、まあね~!」

「あの『ばくまつよんだいひとり』の一人にあそこまで啖呵切れるなんてやるなあ!」

「『ばくまつさいあくきりむらもんを止められるのは、同じ四大人斬りの『れいしょうしにがみ』くらいだもんよ」

「あとの二人はもう死んだって話だしな」

「剣だと王都にはあの『けんせい』がいるし大丈夫さ」

「いや。そもそもこの王都には、『おうてんのう』がいる。『おうばんにん』と『おううらばんにん』、『おうかんしゃ』、そして『おうしゅしん』って四人がいるんだからなにも怖がることはないって」

「いや、守護神って言われるげんないとかいう人は都市伝説みたいなもんだろ」

「都市伝説っていうなら裏の番人もじゃないか。監視者のほうはいろいろやってるのも見るけど」

「玄内って人や裏の番人もなにかやってんのかな?」

「え、玄内って人は『ほうがくたい』じゃないの?」

「おれは『きんだいかいがくちち』って聞いたぜ」

「いやいや、おいらは『さいしょきんだいじん』って教えてもらったよ」

「玄内先生は、絵画の天才の一人にして、多方面の創作もされる『そうごうげいじゅつ』ですよ。ボクはあの人の絵のファンなんです。今のアルブレア国王夫婦の結婚披露宴の見事な演出もさることながら、空気中の水蒸気が風景に及ぼす影響から筋肉などの細微な人体研究により、あの精緻な絵が描けたのだとか。お会いしたことはありませんが、ボクにとっては神様のような存在です」

「それを聞いて思い出したんだが、『最初の近代人』って呼ばれるくらいに人類史上初めていろんなことを思索したから、『こうさくしゃ』って言われるんじゃなかったか?」

「全部合ってるよ。だから『ばんのうてんさい』。まあ、都市伝説だけどさ」

「まあやっぱり、王都といえばおうまわりぐみだよな。王都の安全の大看板はあの『おうばんにん』ヒロキさん! あの人が組長でいる限り、人斬り事件さえすぐに治まるさ」


 などと、客たちは会話を始めていた。

 この日はちょうど、その『おうてんのう』が王都にいる。それも知らず、しかしそれを信じて、彼らに期待しているのである。

 店の奥から出て来た店員が、ヒナにお礼を述べた。


「ありがとうございます。あれは札付きの人斬りです。ずっと王都にはいなかったんですが……。そんなのを相手に、あなたはすごいです」

「いえ、あの、さっきの方のお怪我は……」

「幸い医療系の魔法を持つ従業員がおりましたので大丈夫、だと思います。命に別状はありません。血を抜かれてしまったので安静にさせてますが」


 あれだけ殴られたにもかかわらず命があるだけよかったと思うべきだろうか。いずれにしても助かったようでヒナもほっとひと安心だった。


「新しいものをサービスするんで、食べて行ってください」


 と、店の奥から顔を出した店主らしき人が言って、ヒナは食べていくことにした。まだ三、四口しか食べていなかったから昼食代を無駄にせずに済んだ。


「でも、怖かった~……」


 ひと息つくヒナの横――やっと整え直された席に、客がやってきた。今度の客はどんなやつだろうとヒナが顔を向けると、


「あれ? キミはこうほくみやの蕎麦屋の」

「久しぶりだねー」

「元気?」

「いっしょに食べよーう!」


 以前絡んできた、サンバイザーをつけた騒がしいカップルだった。名前は覚えてもいない。ヒナはその二人を無視して、


 ――げっ。こいつらは別の意味で厄介だわ。


 と思うのだった。

 鉄板は四人用ほどのサイズだからか、図々しくもカップルは同じテーブルに座ってきた。


「エミはどれにする?」

「やっぱりお店のおすすめを食べないとね。アキは?」

「ボクもおすすめがいいな!」

「オッケー! すみませーん、『伝統の天都ノ宮もんじゃ焼き』を二つくださーい!」


 ヒナは大きくため息をついた。


「早く食べて帰ろ」

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