8 『善場蛍蔵はおもしろおかしく事件を語る』

 リラとヴァレンとルーチェは、『ほたる』という名の寿司屋に入った。

 ヴァレンは勝手知ったるといった様子であった。何度か来たことがあるのかもしれない。

 店内は明るく居心地のよい雰囲気で、格調高さのような垣根もなく、お客さんがお寿司を頬張っている。

 カウンターテーブルの端に、青いバラを生けた花瓶があった。その隣には、黒いスミレの花瓶もある。リラはそれに目を留めて驚いた。


 ――青いバラに黒いスミレ。どちらも綺麗。普通では見られない色だけど、魔法かしら。『みやここうほくみやは、花の名所でこうほくつちも有名だし、王都から近い光北ノ宮から取り寄せたのかな?


 気にはなったが、席に着くと店主とヴァレンがしゃべり出したので、リラは機を失した。

 リラの視線を察して、ルーチェが教えてくれる。


「そちらのお花は瓶が魔法道具になっているんです。お花の色を変える瓶なんですよ。ちなみに、二つのお花は王都少女歌劇団『春組』の姉妹を表しています。黒いスミレがアサリ様、青いバラがスダレ様という方です」

「へえ。そうなんですね」


 その二人を応援しているただのファンか、知人なのか。壁にも『春組』のポスターが貼ってあるしひいきにしているのは間違いなさそうだった。

 貴族的な恰好のヴァレンとメイド姿のルーチェは寿司屋には似合わなかったが、店主のほうは気にしないで、三人においしい寿司を握ってくれて、いろいろと話もして食事を楽しんだ。

 店主であり板前であるぜんけいぞうは、やや小柄でメガネが似合う人好きのする笑顔をキラキラ光らせている。三十代後半だろうか。ねじりハチマキを巻いている。ケイゾウは愛想よく明るい声で話しかけてきた。


「ヴァレンさん、炙りサーモンだったね」

「ええ」

「はい。これをふりかけてっと」


 普通のサーモンの上に、岩塩のような粒をふりかける。すると、その不揃いな粒がじわっと溶けるように表面が炙られていった。


「へい、おまち」

「ありがとう」


 リラはそれを見て、聞かずにはいられない。


「ケイゾウさんの魔法ですか?」

「そうだよ。《あぶじお》って魔法さ。この粒をふりかけると表面を炙ることができるって代物だ」


 威勢よくしゃべるケイゾウに、ヴァレンがさらりとつっこむ。


「ケイゾウさん、魔法使えないでしょ?」

「ああ、そうだった! そうだったよ、アッシは魔法が使えなかったんだ。お客さん、実はそれ、魔法じゃなくて魔法道具なんだよ。あっはっは!」


 リラは「まあ」と言って笑った。

 ケイゾウは照れをごまかすように話題を変える。


「そういや、お客さん。聞いた話なんだけどね」

「なんですか?」

「この王都に来たのは初めてじゃなさそうだけどさ、この数日のことは知らないでしょ」

「はい。今日久しぶりに来たばかりでして」

「だったら、気をつけたほうがいいよ」

「気をつける?」


 と、リラは言葉を繰り返す。


「出るんだってよ」

「出るって、お化け……ですか?」


 おずおずと尋ねるリラに、ケイゾウは笑った。


「いや。人斬りさ。なんでも、夜になると出るらしい。ここ四日くらいの話なんだけどさ、刀を持ったやつは斬っちまうってんだから恐ろしいよ。気をつけなよ、ヴァレンさん」


 腰に剣を差しているのはヴァレンのみなのでケイゾウはそう言うが、言われた本人は気にした様子もない。


「ンフフ。平気よ。夜は出歩かないから」

「それならいいけど。誰彼構わず斬るって聞いたからなあ」


 とケイゾウが言ったところで、リラは背後に人の立つ気配を感じた。

 振り返ると、食事を終えて笠をかぶった男性が立っていた。長いサラサラの髪、面長で糸目、着流しに帯刀し、上背もある。一七九センチといったところか。年は三十も半ばを過ぎたろうか。彼は微笑を浮かべて言った。


「拙者が聞いたところでは、刀を差した剣士だという話です。西洋剣の者は狙われませんよ。また、弱い者も狙われないといいます」


 ヴァレンは振り返る前に問いを発する。


「あら。教えてくれてありがとう。ところで、あなたは?」

「間違った話を聞いたものでつい。拙者はつゆいっさいと申す者です」

「アタシはヴァレンよ。ねえ、イッサイさん。あなたも気をつけてね。アタシ、感じるの。この王都には尋常でない人たちがいるみたいだわ」


 そこまで言ってから、ヴァレンがイッサイを振り返る。

 忠告を受け、イッサイは小さく会釈した。


「かたじけない。ご忠告、覚えておきましょう」

「お客さん、勘定かい?」

「ええ。お願いします」


 ケイゾウに聞かれ、イッサイは勘定を済ませると店を出て行った。

 リラがまだ困ったような様子だったので、ルーチェが明るい声で言った。


「気をつけませんとね。リラ様、ヴァレン様とワタクシは平気ですが、くれぐれも巻き込まれませんように。条件に当てはまらずとも、ふとしたきっかけから巻き込まれることもありますから」

「はい。心に留めておきます」

「それならば安心ですっ!」


 と、ルーチェがニコニコと笑った。

 戻って来たケイゾウは、まだ話し足りないらしく、ぺらぺらと別の話もしてくれた。


「あと、怪盗事件と疫病事件もあるんだよ。疫病事件のほうはまだ数件、気にする時期じゃないかもしれないけど、怪盗事件のほうは別だ。うちの隣は和傘の職人でね、三日ほど前に盗まれたらしい。予告状もあったんだってよ。名前はライコウって言ったかな」

「予告状ですか」


 真面目に話を聞くリラに気をよくしたケイゾウは、もう少し教えてくれる。


「予告状じゃなくて犯行声明だったかも。たしか和傘の柄は鬼だって言ってたな。他にも、聞いたところじゃあ鬼の絵の入った物が別の場所でも盗まれたっていうんだ。必ず返すから安心されたしって紙が添えられていて、翌日には戻ってくるそうだよ」

「まあ。そんな事件が。不思議ですね」


 実際の被害者でもないケイゾウ自身は犯行声明の紙を持っていなかったので、リラたちはそれを見ることもなかった。

 ヴァレンとケイゾウは別の話でも盛り上がり、やや長居したが美味しいお寿司をいただいて楽しい時間も過ごせた。




 その後。

 三人も食事を終えて寿司屋『ほたる』を出る。

 ヴァレンが言った。


「さあ。ここでお別れね。不安はないかしら? 大丈夫?」

「はい。少しだけ歩いたら近くの宿に泊まります」

「そう。わかったわ」


 ルーチェが残念そうに眉を下げた。


「もう少しごいっしょしたかったです。でも、仕方ありませんね」

「本当にすごい魔法でした。おかげでこんな短期間にここまで来られました」

「いいえ。ワタクシの魔法を開発し進化させてくれたのも、お兄様とヴァレン様ですから」


 リラはお辞儀をする。


「ありがとうございました。楽しい時間を過ごせました」

「また、会ったときにはよろしくね。いい旅を。チャオ」

「早くお姉様に会えるといいですね。リラ様に幸運がありますように。お気をつけて。では」


 ヴァレンがマントをなびかせてきびすを返し、ルーチェが綺麗なお辞儀をしてからヴァレンの背中を追って小走りしすぐに一歩後ろにつく。

 リラはその二人の背中に、もう一度お辞儀をした。


「大変お世話になりました」


 すぐには背を向けられなくて、数秒立ち尽くしてしまう。


 ――この広い王都で一人……。もう少しだけ、ヴァレンさんとルーチェさんといっしょにいたかったな。でも、これから出会える人たちを想うと、心トキメク。大丈夫、この切なさも連れて、会いにいけるわ。


 遅れて、リラも背を向けて歩き出した。


 一気に晴和王国まで来たのはいいが、リラは一転、一人になった。




 ヴァレンとルーチェはあまみやを歩きながら話していた。

 ルーチェの顔にはいつも携えている微笑みはない。


「ヴァレン様。リラ様は、やはりあの青葉家の王女様でしょうか」

「そうね。十中八九」

「アルブレア王国は今静かですからね。国王様の姿もしばらく見えていないそうですし、王女様姉妹のお話もここのところ聞きません。なにかあるのでしょうか」

「あるから、あの子は旅をしているのよ。それがなにかはわからないけれど」


 神妙な顔だったルーチェは笑顔に戻って、


「リラ様は、ヴァレン様には気づいたでしょうか」

「気づいていないでしょうね。アタシたちが何者なのか、知らないほうが彼女の身のためよ」

「いずれ、また会えるといいのですが」

「ええ。一時でも旅の道連れになった仲だものね。それに、アタシあの子のこと気に入っちゃったし、今度こそアナタだけでなくアタシ自身も力になりたいものだわ。そのときまで、チャオ。可愛い『画工の乙姫イラストレーター』さん」


 ルーチェが振り返ると、もうリラの姿は見えなくなっていた。


 ――運命が導いてくださると信じましょう。リラ様、それまでお元気で。


 ヴァレンはマントをはためかせバッと両手を広げる。


「今、世界がざわめいている。泣いている。叫んでいる。けれど、世界はためらっている。羅針盤をなくしている。そして、今だからこそ、世界は革命の時を迎えようとしている。なにかを求める人々によって。これからが楽しみだわ」

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