王都編 破
1 『誘神湊は王都の夜を謳歌する』
「いなせだねえ」
少年がつぶやいた。
晴和王国、
またの名を、『王都』。
時は
提灯と行燈の温かな光に灯された夜の都市を、少年は歩いていた。
世界にいくつかある『水の都』の中の一つに数えられるが、王都は橋が多いのが特徴だった。
水の流れを聞きながら橋を歩く。
橋の真ん中で足を止め、川をゆったり走る屋形船を見下ろす。そこには、着物をまとった亀が人間のように指先でおちょこを持って酒を飲んでいた。
黒い影だけが馬の形をした、存在そのものが怪しい存在が牽引する馬車が、少年の横を通り過ぎる。
灯りが揺らめき、今見たものが一瞬あとには本当にあったかさえわからなくなる。そんな錯覚を起こさせる。
「綺麗だなァ」
川の両岸を美しく彩る夜桜を眺め、少年は風に舞う桜の花びらをひょいと一つつかみとった。
それが少年の名だった。
年の頃は今年十三歳になる。
ミナトはうれしそうに桜の花びらを見つめる。
「雰囲気だねえ」
屋台船の灯りを川面が揺れるように反射させ、桜の花びらを鮮やかに流してゆく。
地上でも夜桜と提灯が風に揺れ、行燈は佇む。
そして空には、丸い月が浮いていた。暗い雲にかかってはまた顔を覗かせる。
幻想的で不気味な夜の王都を楽しみながら、ミナトは橋を渡った。
「懐かしい。久しぶりに帰ってきたが、変わらないねえ。風流ってものだ」
後ろで一つにまとめた髪は長く、だんだら模様を袖にあしらった白い羽織と袴姿、腰には刀を帯びている。背は一六二センチほど。
水音と夜風を相手に戯れていたところを、ミナトは四十がらみの男性に声をかけられた。
「キミ、腰に刀は差さないほうがいい。今の王都ではね」
「どうしてです?」
「ここ四日、王都では人斬りが出ているんだ。それも、狙うのは帯刀した者ばかり。噂では幕末の人斬りだって言うよ」
「へえ。怪しい人もいるものですね」
「だから、刀は布に包んでおきなさい。もしくは家に置いておくべきだ」
「ご忠告、ありがとうございます」
「じゃあ」
と、親切な男性は通り過ぎていった。
ミナトは、だれにともなく、ひとりごちる。
「でもね、刀はサムライの魂だ。手放せないんですよ。伊達に刀は差してない」
またミナトが歩き出そうとしたとき。
通りの向こうから叫び声が聞こえてきた。
「人斬りだー! 人斬りが現れたぞー!」
桜の花びらをつまんでいたミナトは、ふうっとそれを吹き、風に舞わせた。
「綺麗だなァ」
またつぶやいて、ミナトはにこにことそれを見ている。
町娘がカラカラと下駄を鳴らして走り、ミナトに声をかけた。
「ちょっと! 人斬りよ! 人斬りが出たんですって。なにぼんやり笑ってるのよ。聞こえたでしょ?」
「ええ。叫び声ってのは耳に響くものです」
「なにのんきなこと言ってんの! あなた、頭は大丈夫? 気をつけなさいね。腰の物はしまって。これを」
布を押しつけられる。
「ありがとうございます。でも、これを巻いちゃあ、いざってときに抜けませんぜ、お姉さん」
「いざってときにならないように巻くの!」
面倒見のよい町娘は、ミナトから布をひったくって刀に巻いてゆく。
その間も、ミナトは空を見て、
「明日は満月でしょうか」
「知らないわよ!」
「まぶしいくらいだ」
と、ミナトは先の地面に目を落とし、月明かりを引き立てる暗い影を見て微笑を浮かべている。町娘はもはやそれにはなにもつっこまなかった。
刀を布で巻き終えると、
「じゃあね! 本当に、気をつけるのよ? いいわねっ」
わたしは急ぐから、と町娘は走り去る。
「どうもすまないことです」
ミナトが礼を言ってお辞儀し、顔を上げつつ、
「僕は
名乗るが、もう町娘はいなくなっていた。遠くに背中が見えるのみである。
ミナトはにこにこ笑う。
「駆け足が速い人は見ていて気持ちがいいものだ。いなせだねえ」
それから、ミナトは歩を進めて横の通りに目を向ける。するとその先には、斬られて血を流した剣士が転がっていた。ミナトからは顔までは見えない。数人が医者を呼ぼうとしてか周りを取り巻き、騒がしかった。
「まだ息はあるぞ」
「医者はまだか?」
「とにかく見廻組に報告だ」
などと話していた。
ミナトは顔を背ける。
「いやだなァ。天都ノ宮はどうしてしまったんだろう。昔はよかったのに。物騒なのは好みじゃないんだ、僕は」
さっきは変わらないとか言っていたのに、ミナトは別のことを言い出した。
後ろで一つに束ねた髪を揺らし、ミナトはきびすを返した。
空を見上げ、夜桜を仰ぐ。
「綺麗だなァ。夜桜も、見られるのは今宵か明日までだろう」
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