12 『水の戯れは夜に奏でられる』

 日没前。

 サツキとクコとルカは、『みやここうほくみやの中心部でギョウザを食べた。早めの夕食も終わり、アキとエミとは一度別れる。同じ宿を決めたが、二人はまたどこかへ行くらしい。

 宿の一室で、クコが言った。


「サツキ様。今から少し出かけてきてもよろしいでしょうか」

「一人でか?」

「はい。実は、言いそびれていたのですが、ここはわたしの母の生まれ故郷なんです」

「ああ、じゃあ祖父母に贈るって言ってたフラワーアレンジメントを」

「ふふ。はい、久しぶりに祖父母にご挨拶するいい機会ですので」


 花屋『こうさか』でクコが購入したフラワーアレンジメント。それを祖父母に贈るとクコは言っていたのである。

 サツキは、その祖父母がこの地に住むとは思わなかった。


「コロクさんとオトメさんがお孫さんのお話をされているのを聞いて、わたしも会いたくなってしまったんです」

「わかった。ゆっくりしてきてくれ。合流は明日の朝でも大丈夫だぞ」

「いえ。今回は長居できません。今までも数えるほどしかこちらまで来たことはありませんが、次は母も連れて来るときにします」

「そうか。祖父と祖母の家は近いのか?」

「照花ノ国の国主が住む、はなじょうです」

「なるほど。そういえば、クコのいとこのナズナも、母親はここの出身になるんだよな」

「ええ。叔母のミツバさんは、幕末当時、将軍家だったおと家に嫁ぎました」

「将軍家?」


 急にわからないことが増えた気がする。まさかあのナズナが将軍家の人間だとは思わなかった。


「そのあたりのことは、ナズナさんのお宅にお邪魔したときにゆっくり話そうと思っていたのですが、先に言っておきますと、本来であれば将軍家はナズナさんのお父様が十六代目となる予定でした。しかし、十五代目が『さいしょうぐん』となりました。詳しいことはあとで話すとして、現在ナズナさんの家族は王都の一角で一般市民の家庭として暮らしてます」

「将軍家から退いたあとは、町人になったのか?」

「いいえ。今の晴和王国王家に仕え、政務の一旦を担っていますよ」

「役人ということだな」

「はい。倒幕派はもし維新を果たしても音葉家に政務を手伝わせるつもりだったんです。政治手腕を期待されてというより、飾りとしての側面が強かったのでしょう」

「政治方針も違うわけだからな」


 ここで、ルカが補足する。


「音葉家はまだまだ国民に慕われていたから、飾りとしてでも維新政府の側に置きたかったのよ。倒幕派は『音葉家が維新政府に従僕を誓った』という構図を作り、それを国民に見せたかった」


 クコが続きを引き取り、


「結局、倒幕のみが果たされたため、音葉家が政治に関わる形式だけが残りました。ナズナさんのお爺様、つまり『最後の将軍』は老齢の二代前の国王の補佐のため洛西ノ宮に移っています」


 要約すると。

 新戦国時代の前までは、音葉家が将軍家だった。二百年以上に渡る泰平の時代を作った音葉幕府は、ナズナの祖父が十五代目で『最後の将軍』となった。

 時代が変わり、次代将軍となるはずだったナズナの父は、晴和王国王家に仕える役人になり、王都の住人として一般市民に混じった暮らしをしている。

 探し人ナズナは、一般市民として王都にいるということだ。


「あ、クコ。あんまり話していると遅くなってしまうぞ」

「そうでした。それではいってきます!」


 サツキとルカが送り出して、クコは宿を出て行った。




 この日の晩。

 クコは祖父母や叔父の暮らす城に行ってきて、早々に帰ってきた。もう少しゆっくりしてきてもいいと思ったサツキだったが、クコは戻ってすぐにいっしょに修業をした。


「それでは今日は終わりにしましょう」

「うむ」


 サツキとクコは修業を終えて、温泉で汗を流して布団に入った。

 ルカと三人布団を並べており、真ん中がクコ、サツキとルカは左右にいる。サツキが本を読んでいると、クコはすぐに眠ってしまった。疲れていたのだろう。

 二十三時。

 まだルカも本を読んで勉強していると、サツキは身体を起こして言った。


「ちょっと修業してくる」

「そう」

「部屋も暗くして、寝ていていいぞ」

「わかったわ」


 サツキは布団から出て、また修業をしに行った。

 ルカは部屋の窓から、外で修業をしているサツキを眺める。


「本当に努力家ね。クコが出かけてたときだってひとりで修業してたっていうのに」


 深夜にも温泉に入れる宿だから汗は流せるとはいえ、こんな夜の十一時過ぎにまで修業をするのは、よほど強くなりたいからだろう。


 ――しかも、ただ努力を重ねているだけじゃない。全力……。必死に、全力を尽くしてる。


 サツキがやっている空手の修行は、ルカにはとても美しく見えた。


 ――何年もかけて磨いてきた美しさだわ。でも……さっきもあれだけやったのに、まだそんなに集中してやるの……? ……いいえ、ここまでやるからこそ、美しいのね。


 たったの三十分、サツキはまた力を絞り尽くして修業を終える。

 明かりは消して寝ていていいと言われているから、ルカは部屋の明かりを消しておいた。

 もう零時になる。

 温泉に入って汗を流してきたサツキは、何事もなかったように窓際に座った。


 ――まだ、寝ないの?


 ルカが不思議に思って見ると、サツキは本とノートを取り出した。


 ――あれは、《おせ》した私の部屋の本。今から、勉強するのかしら?




 昨日、いちふみむらの宿でルカはサツキと話していて、本の話になった。


「サツキは本が読みたいの?」

「うむ。勉強のために」

「なら、まずは私の部屋の本がいいわ。私が場所を把握している物で、所有権が私にある物ならば《お取り寄せ》できるから。なにか読みたい本はある?」

「この世界の歴史かな」

「武将にスポットを当てた時代小説と、年表つきで歴史について学べる晴和王国史、どっちがいい?」

「時代小説がいい。武将はどんな人がいる?」


 何人か名前を挙げ、旧戦国時代の武将について書かれた時代小説をサツキは借りた。


「どうぞ」

「ありがとう。時代小説での武将たちの知恵は勉強になるんだ。戦においてどんな駆け引きをしたのか、どうやって調略をして仲間を増やしたのか、その時代とこの時代の価値観の相違など、これからアルブレア王国で戦うなら必要になると思ってさ」

「勉強家ね、サツキは」


 光る知恵で戦国の世を駆け抜ける武将たちは、確かに勉強になるだろう。だが、ルカよりも年下の少年がそれを考えて読むのは、なかなかできることじゃない。


 ――本当に偉いんだから。


 読むばかりでなく、ルカがあげたノートにメモを取っている。

 隣で読書していたルカが、サツキのノートに目を落とす。


「なにを書いてるの?」

「ページ数と内容だよ。あとで見返しやすいようにさ」


 ノートには、まず本のタイトルと作者名を記し、次に『p32 この時代、陰陽師は易者として星を読み、主君に吉日を示した。参謀としての役目もあったのである。施政の方策をさずけることもあり、軍略を共に練ることもあった。しかし、軍の指揮権はなく……』などと、冒頭を書き、必要に応じてもっと長く書き出したりもする。

 また、『参謀役。陰陽師、易者のように軍の指揮権を完全に持たないのもあり。その代わり指揮系統は……』と自分の考えも書き添える。


 ――魔法と戦闘の修業に一辺倒になるんじゃなく、サツキは常に考えてる。思考し続けることは大変で、かなりの根気と強い意志が要る。サツキが進もうとしているのは、茨の道。私も、この子のためにならどんな力にもなってあげたい。


 そうした想いで、ルカは自分も勉強のために本を読む。

 昨晩もそんなふうに過ごした。




 そして、サツキは今も月明かりを頼りに本を読み、ノートを取って勉強している。


 ――あなたは、そういう子なのね。どこまでもまっすぐ必死で、きっとめげないのね。どんなにつらく険しくても。その瞳に見えたひたむきさを、私は支えたいと強く思うわ。


 集中するサツキの横顔を、布団の中からついじっと見てしまう。


 ――大丈夫。あなたの頑張りは、だれかが見てる。ううん、私が見ていてあげるから。


 おそらく、サツキという少年は、だれかに見られていても見られていなくても、変わらずに頑張るのだろう。しかし、ルカは理解者にもなってあげたかった。

 ちょっとした暇を見つければそうやって勉強するサツキなので、今日もすでに結構な勉強はしている。目をこすり、ノートを取る。


「ふう」


 とサツキはひと息つく。

 サツキは、妙な胸騒ぎがしたのである。

 近くを流れる川の水音が聞こえる。ふと、ラヴェルの『水の戯れ』のフレーズが聞こえてきた。光北ノ宮は浦浜と並んでジャズの街でもあるから、ピアニストがひとりで練習しているのかもしれない。ジャズアレンジの利いた、静かで美しい音色だった。しかし不安にもさせる旋律に感じられた。

 窓の外を見つめ、ぽつりとつぶやく。


「『王都』天都ノ宮。どんなところだろうか……」

「庶民文化が栄えた大都市よ」


 視線を布団にいるルカへと移す。


「ルカ。起きてたのか」

「なんだか、目が冴えてね」

「そうか」


 ルカは言った。


「サツキ。そろそろ布団に入りなさい。もう眠いんでしょ? これ以上は、効率が下がるわ」

「そこも見られていたのか」


 困ったように苦笑を浮かべるサツキを見て、「ふふ」とルカは微笑む。


「代わりに、私が王都について話してあげるわ」

「うむ。頼むよ」


 サツキはおとなしく布団に入った。

 二人、天井を見つめながら、ルカは話した。


「それで、王都だけどね。今の新戦国時代が始まる前は、二百年以上の泰平の時代だった。夕方クコが言ってた音葉幕府の時代ね。それまでは武家中心の社会で庶民の地位が低かったのだけど、世が泰平になると庶民の地位が向上し庶民が晴和王国各地で独創的な文化を次々に生み出していった。町人文化が花開いた時代よ。王都はそれが特に顕著だったの。だから、晴和王国は世界一の経済大国にまでなった。いにしえから世界四大国だった晴和王国がさらに飛躍した転換点ね」

「俺の世界の江戸みたいだな。武士は食わねど高楊枝という言葉があって、武士は管理階級だったが、商業に手を出さずお金がなくても清貧や体面を重んじる気風があったんだ」

「貴族を商業からしめ出すことは、権力者に富を集中させないためにはいい政策よね。権力者にお金をもたせるとロクなことにならないわ」


 モンテスキューもそう評価し、武士を町人の上に置く身分制度を『知恵の秩序』であると言った。


「だから、経済を回す庶民の地位が上がったんだな」


 逆に、ローマ帝国衰微の一因には、貴族が商業をすることが許され、一部の権力者とその家族が富を独占したからだと言われている。

 実際、江戸時代では、勝海舟の先祖が武士の権利を買って農民から武士になったように、職や身分の移動は可能だったから、庶民にもある程度以上の自由はあったのである。


「でもね」

「なにかね」

「世界有数の大都市であるがゆえに、人が多い。つまり、あらゆる魔法がばつした不思議な場所でもあるのよ」

「へえ」

「世界樹を持つこの照花ノ国の山から清水は湧き出し、流れ出し、大地を貫く大河となる。小さな川が大河となる場所が、王都。そこから世界も広がる。人も多く、それだけ出会いも多くなる」


 ルカが身体を起こして、サツキを見やった。


「サツキ」


 同じようにサツキも身体を起こす。


「ん?」

「王都で、人捜しをしましょう。王都には私の魔法の師、げんない先生がいるはずよ。『ばんのうてんさい』と呼ばれ、『ほうがくたい』でもある。医者でもあり、『きんだいかいがくちち』とも言われている。あまねく叡智を持った発明家。『せいはつめいおう』とも呼ばれる偉才の人。あの人の力があれば、私たちの目標は必ず成就できると思う。仲間にしましょう」


 そんな人がいれば、百人力だ。

 サツキは一も二もなくうなずいた。


「うむ」

「明日は早いわ。アキさんとエミさんに起こされるでしょうから、もう寝ましょう」

「そうしよう。おやすみ」

「おやすみ」


 二人は再び横になった。


 ――玄内先生。会ってみたい……。


 サツキは静かに期待した。どんな人だろうか。修業で身体は疲れていても、頭が冴えてしばらくは眠れなかった。

 いつしか『水の戯れ』の演奏が終わっていた。

 川の流れる音ばかりが耳を柔らかに打つ。

 玄内のいる王都へ行くのは、翌四月八日。

 だが、すでにこのとき、サツキが巻き込まれる王都を舞台とした物語は、静かに幕を開けていた。

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