6 『トチカ文明は古代文明を記す』

 ルカの家からは、馬車を出してもらった。

 温泉街を出ようかという場所で、馬車が停まる。

 三人が降りると、壁画の前だった。

 クコが感嘆する。


「壁画ですね!」

「トチカ文明の壁画よ。そこの建物には、壁画に関する資料もあるわ。いろんな絵があるのだけど、仕掛けがあったりするから多角的に見るといいと思う」

「ルカ、まだ案内してもらっていいか」


 サツキが頼むと、ルカは首肯した。


「そのつもりよ」


 トチカ文明の壁画。

 世界樹に関する神話でもあり、壁画という形で古代文明のことも知ることができる。

 晴和王国のみならず、世界中の文明を示した絵も残っており、サツキには興味深いものだった。


「おもしろい」

「そうですね。楽しいです」


 サツキに同意するクコに、


「いや。ただ楽しいだけじゃないんだ」


 と言って周りを見て、近くに人がいないことを確認して語を継ぐ。


「俺のいた世界にあった古代文明によく似ているんだ。古代エジプトの壁画や彫刻を描いたものにオブジェ、世界中のものがある。しかも、ただ似ているだけじゃなく、トリックアートみたいになっているものも多くて遊び心がある」

「トチカ文明の遊び心ですね。楽しいことが好きな人たちが語り継いだせいでしょうか」


 今も目をキラキラさせながらトリックアートを見るクコに、ルカが解説を加える。


「晴和王国の人たちは、遊び心を大事にする人が多かったというわね。特に泰平の時代には他国にない文明の成長があったから、今こうして残っているものが遊び心に満ちているのもそれが理由じゃないかしら」

「核心に触れるものは見当たらなかったようにも思うが、ルカ、来られてよかったよ。ありがとう」

「いいえ。喜んでもらえてよかったわ」


 ルカの微笑を見て、サツキにも笑みが浮かぶ。ルカとは昨日から話してきたが、少しずつ表情が柔らかくなり、サツキへの言葉もお姉さんらしい優しさが含まれているように感じられた。


「次はむらに行きましょうか。サツキも、この世界の文明を見るチャンスよ。今よりほんの少し前の景色が見られるわ」




 和戸村は、結論から言うと江戸の風景を閉じ込めたような村だった。

 村と言っても、ここだけが特殊な自治体というわけではない。


「本当の村じゃなく、がわおんせんがいの端にある観光用の区域なの」

「たくさんのお食事処もありますね」

「クコの食いしん坊は相変わらずね」

「そ、そうでしょうか」


 照れたようにクコがやや顔を赤らめ、ルカが指差した。


「あそこの茶屋でひと休みしましょうか。お団子でもいかが?」

「はい!」

「お団子か。いいな」


 三人は茶屋に入り、一服した。

 また外に出て歩く中でサツキが言った。


「芝居をやってるところもあるのか」

「ええ。見たい?」

「見たいが、今はやめておこう。そこまでゆっくりできない」

「でも、なにか見たいものはあるみたいだけど?」


 ルカは冗談でも言うみたいに薄い微笑でそう言い、サツキは小さくつぶやいた。


「忍者屋敷はどうかと思って」

「ああ……、見る?」


 どこかそわそわしていると思えば、サツキは忍者屋敷が気になっていたらしい。年相応らしいところもあるとわかり、ルカは内心で微笑む。


 ――ふふ。可愛いところもあるのね。


 忍者屋敷の前まで歩いた。

 そこで、クコは子供が忍者服を着ているのを見てにこやかに言った。


「あんな小さな忍者もいるんですね」

「アトラクション、なのか」


 サツキが驚いたようにつぶやき、ルカがうなずく。


「ええ。本物の忍者はここにはいないわ」


 ルカはちょっと考える。


 ――先に教えておいたほうがよかったかしら? 楽しみにしてたのに忍者に会えないとわかって、落ち込んでしまったら……。


 心配してサツキを見るが、サツキは思いのほか落ち込んでない。


「サツキ様、忍者体験しましょう!」

「うむ。悪くないぞ」


 乗り気らしい。クコもサツキも楽しそうでルカはホッとした。

 それから、様々な仕掛けが張り巡らされた忍者屋敷を一回りするという忍者体験をして、三人は戻ってきた。


「楽しかった?」


 ルカに聞かれ、サツキはうなずく。


「本格的だった」

「本物をご存知でしたか」


 サツキの言葉にクコが感心するが、ちょっとはにかんだようにサツキは答える。


「いや、俺のいた世界の書物で見たものと比べてな」


 また和戸村を歩いて、村の外に出る。

 ルカは言った。


「これで案内は終わり。まだ午後の四時前だし、暗くなる前に宿のある町にも行けるでしょう。気をつけて」

「はい。ありがとうございました、ルカさん」

「ありがとう。楽しかった」


 クコとサツキも挨拶をして、ルカが最後にひと言。


「お父さんの研究論文、よろしくお願いします」


 二人の背中を見送り、ルカはつぶやく。


「またね」




 温泉街を出たところで、クコが言った。


「ルカさんの件は、残念でしたね」

「そうだな。仲間になってもらいたかったけど……」

「ですが、わたしたちにはルカさんのお父さんから預かった研究論文があります。これを『王都』あまみやに届けなければなりません」

「どっちみち、次の行き先は王都だったんだ。ちゃんと届けないとな」

「はい」


 王都には、クコのいとこであるナズナがいる。行き先の都合上、ちょうどよかった。できるだけ早く届けてやりたいとサツキは思っていた。

 空に、夕焼け色が広がってきた。

 杉並木街道に入った。


せいろうすぎなみかいどう。ここは世界一長い並木道なんですよ」

「へえ」

「この杉並木街道は、せいろうかいどうさいれいかいどう西にしわかかいどうの三つの街道を合わせたもので、三十七キロに及ぶそうです」

「この杉並木の道を抜けたら、こうほくみやだったよな」

「ええ。特に西側ですね」


 サツキは杉並木を見てつぶやく。


「木々の間から夕日が差し込んで、きれいだな」

「そうですね」


 木漏れ日を浴びたクコの顔には微笑みが浮かび、サツキを包むようだった。


「馬車も通る道だから歩きにくさはないし、日が高いうちにできるだけ進みたいな」

「おそらく今日は途中の宿場町に泊まることになります」

「うむ。わかった」


 またしばらく歩いていると、うり坊がいた。イノシシの子供である。


「あら! うり坊です。可愛いです!」


 クコがふらふらと近寄っていき、サツキもそのあとに続いた。計七匹のうり坊たちは、木の根元の穴に身を寄せ合っている。


「でも、なんだかちょっと違う」


 サツキもしゃがんで、うり坊を観察する。


「俺の知ってるうり坊はもっとふわふわしてる感じなんだ」


 うり坊たちは「キィ」と鳴いて、心地よさそうにクコに撫でられている。石のようなひんやりとした感じが手に伝わり、撫でている側も気持ちいい。


「この子たちは、きっとイシイノコの子供のジャリウリコです」

「石? 砂利? イノシシとは違うのか?」

「魔獣化したイノシシで、肌が岩石のように硬くて丈夫なんですよ。大きいものだと、体高が二メートル近いといいますし、体長では三メートル以上になるそうです」

「へえ。じゃあ、あの岩くらいに……」


 サツキが林の中に置かれた大きな岩を指差すと、その岩がもぞっと動いたように見えた。


「まさか……!」

「動いた気がしたけど、気のせいかもしれない」

「ええ。そうですよね」

「イノシシって、雑食性だけど基本的には草食で、本来はおとなしいんだ。けどテリトリーに侵入してしまうと、襲われることもあると聞くな」

「はい。イシイノコも人間を襲うことがあるそうです。子供を守るために、突進を……」


 そこまでクコが言いかけたとき、岩がこちらを向いた。顔がある。それは、岩石のような肌をしたイノシシ、イシイノコだった。


「あれって、本物の……」

「はい! イシイノコです!」


 イシイノコは、サツキとクコをその目に捉えると、走り出した。


「フゴォォォォォォォォオ!」


 雄叫びを上げてこちらに突進してくる。

 サツキとクコはもう走り出していた。


「ごめんなさぁぁぁぁぁぁぁい!」


 クコが謝りながら全力疾走する。


「謝ってる場合か」

「でも、悪いのはわたしたちです」

「それより、イノシシは人間より足が速いんだぞ」

「イシイノコは普通のイノシシよりは駆け足が速くありません! 全身全霊で走れば逃げ切れます。たぶん、ギリギリで」

「わかった!」

「フゴォォォォォォォォオ!」


 岩石のような肌をしているためか、その分だけ身体が重たい。だから走るのが遅いのかもしれない。

 しかし、サツキとクコが全力で走ってやっと距離を縮められずに済むかどうかいった具合だから、充分に速いといえる。

 街道の一本道から外れて林の中をどんどん進み、木々の間を縫うように走って、傾斜のある森を駆け上る。


「サツキ様」

「なんだ?」

「どうやら、イシイノコは斜面を走ってもスピードがあまり落ちないようです」

「つまり……?」

「はい。この作戦は失敗です」

「……」


 クコが振り返り、イシイノコとの距離が随分と縮まっているのを見て、悲鳴を上げた。


「もう追いつかれてしまいますー!」

「あれは……崖か?」

「と、止まりましょう」

「うむ」


 崖の淵で、二人は足を止めた。

 後ろを見ると、崖の下は木々が茂っていて正確な高さはわかりにくい。おそらく五十メートルはあるだろう。落ちたらひとたまりもない。

 イシイノコも追いつき、いつ突進しようかと鼻を鳴らしていた。

 これをなだめようと、クコが懸命にしゃべりかけた。


「すみません。あの子たちとお友だちになりたかっただけなんです。だから、わたしたちは……」


 少しずつ、イシイノコの興奮も収まりかけていた。これもクコの想いが通じてきたからだろうか。

 だが、続きを言いかけたとき、パラパラっと砂埃が舞う。クコの足元が、崩れかかっていたのである。サツキはそれに気づいて手を伸ばす。


「クコ、崩れる」

「え?」


 瞬間――

 バキッと亀裂が入り、崖が崩れてしまった。

 サツキはギリギリでクコの手をつかむ。

 宙に投げ出されたクコを引き上げようとするサツキだったが、それどころかサツキの足場まで崩れてしまった。

 二人はもう崖から落下するしかなかった。


「うわぁっ!」

「サツキ様ぁぁぁー!」


 クコはサツキを守るためか、ただサツキを抱きしめて、二人はいっしょに落下していった。


 ――もう、道はないのか……?


 この魔法世界、最初に頼れるものは魔法だと思った。しかし自分の魔法ではどうにもできない。クコの魔法もこの状況を解決する性能ではない。


 ――ダメかも……しれない……。


 そう思ったとき。

 生い茂った木々の枝や葉がほんのわずかにスピードを緩める。

 残り十数メートルだから、その効果だけでは生存は難しいだろう。


 ――せめて、枝をつかんで……。


 枝をつかもうとする。

 が。

 サツキの手が枝をつかむことはなかった。葉っぱの茂りに隠されて捉え切れず、木々の減速装置も通り抜けてしまった。


 ――もう……手は……。


 残ってない。

 諦めたと同時に、サツキとクコの身体は大きな布の上にすぽっと包まれる。すぽっ、すぽっ、すぽっ、すぽっ、すぽっ、すぽっと、七回も布がクッションになって、減速した。

 驚くべきことに、地面に到達するときには、落下スピードもほとんどなくなり、布が地面と身体の間の緩衝材となって、ちょっと痛いくらいで助かった。


「あら……? わたしたち、助かったんですか?」

「う……うむ。この布は、着物……」


 女物の着物を広げたものだった。一番下にあったのは、大きな風呂敷である。

 呆然と自分たちの生存に驚くばかりのサツキとクコの元へと、ゆったり歩いてくる人影があった。

 二人が同時にそちらへ顔を向けると……。

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