3 『二匹の龍は願いを天に届ける』

 サツキとクコは、温泉街を歩く。

 ただ、サツキはどうもだれかに見られているような気がした。振り返って足を止める。しかし、どこにも人影がない。


「さっきから三度目ですね」


 サツキが振り返った回数である。クコに言われて、サツキは歯切れ悪くうなずく。


「ああ。なんだかだれかに尾行されてる気がする」

「ブロッキニオ大臣派の追っ手ではないと思いますが、少し不安ですね」


 また、サッと前に向き直って歩を進めようとして、すぐさまサツキは振り返った。だるまさんが転んだのような具合である。


「ひぃっ!」


 桜の木の陰から出てきたところをサツキに見られて、引っ込む影があった。


 ――今のは……。


 クコも振り返って、ぽつりとつぶやいた。


「今、声が聞こえましたか?」

「うむ、まあ。でも、危険なやつじゃないみたいだ。ただのうさぎさ。行こう」


 先ほどの影は、さっきの神社にいた黒いセーラー服の少女のうさ耳だった。なぜ自分たちを尾行するのかはわからないが、サツキは無視することにした。構わずとも、必要に迫られれば向こうから話しかけてくるだろう。


 ――怪しくはあるけど、悪い人には見えないしな。


 騎士ではなくあの少女だとわかって、サツキは内心ではむしろほっとしていた。

 一方――

 木の陰では、その少女が胸を押さえてぼやく。


「びっくりしたーっ。フェイントかけないでよね、もうっ」


 呼吸を整えて、少女はサツキとクコをコソコソ追いかける。


 ――ていうか、だれがうさぎよ!



 それからしばらく。

 また、クコは突然に振り返った。


「あ!」


 そして気づいた。うさ耳をつけた少女が、ついてきていることに。

 少女はビクッとして木に隠れるが、クコは構わず話しかける。


「やっぱり! あなたはさっきの神社でお会いした方ですね。なにか御用でしょうか」


 決まり悪そうにおずおずと出てきて、少女は答える。


「べ、別に。勘違いしないでよね! たまたま行く方角がいっしょだっただけよ。そ、そうよ。そうきゆうていえんてんぼうだいに来たかっただけ!」

「そうでしたか。サツキ様を見ておられたようなので」

「サツキ……?」


 と、少女はこの少年の名前を反芻するように繰り返す。じぃっとにらむようにサツキを見つめる少女。

 クコはにっこり微笑んでサツキに言った。


「ふふ。サツキ様。気に入られてしまったようですね」


 少女は慌てふためいて、


「ハァ!? ななな、なんでそうなるのよ」


 ビシッと、サツキに人差し指を向けた。


「あんたなんて大っ嫌いよ!」


 これにはクコも驚いたらしく、


「まあ」


 と目を丸くする。

 サツキにはこの一連のやり取りそのものがよくわからないものだったが、クコも呆然としていた。

 少女は急いできびすを返すが、振り返った先には木があった。木の幹にバンと顔をぶつける。

 悔しそうな涙目で、


「ふんっ、覚えてなさいっ!」


 鼻を鳴らして捨てゼリフを吐き、駆けて去って行く少女。

 その背中を見送り、クコはぽつりとつぶやいた。


「なんだったのでしょうか」

「さあな」


 サツキにも、やはりよくわからなかった。




 温泉街を再び歩くこと三十分。

 がわおんせんじんじや前にやって来た。

 花を咲かせた桜が並び、日が暮れかけて来ているため、木々の間には提灯や行灯が温かな照明をつけている。

 ここには二つの神社が並んでおり、隣のがわこくじんじやとはまた別の神社である。


「こちらでもお参りしますか?」

「そうしようか」

「ロープウェイもありますから、このあとのぼりましょう」

「うむ」


 この二つ並んだ神社では、どちらにも同じ願いをした。


 ――アルブレア王国を取り戻せますように。


 クコは神社でそう願った。

 サツキも、願いは同じようなものだった。


 ――アルブレア王国を、無事に守れますように。元の世界に戻れま……いや、欲張るのはやめよう。いくつも祈ってもご利益が減っちゃいそうだしな……。


 食べ物は欲張るくせに、こういうところは変に謙虚な少年である。

 古代からロープウェイの原型はあったという。サツキのいた世界でも紀元前二五〇年の中国にはすでにあったし、インドなどでも険しい山岳部の移動手段であった。十五世紀頃から動力が馬から水力や重力、あるいは風車に置き換えられていった。

 ここがわロープウェイは、がわの水の流れを利用した水力によって運用されていた。さらに、遥か下を流れる川との間には高さもあるため、重力の利用もある。

 ロープウェイを乗る際、管理員のおじさんに忠告される。


「もう夕方になるから、クマも出る。気をつけなさい」

「わかりました」

「ありがとうございます」


 サツキとクコはロープウェイに乗り込む。

 景色がよかった。


「見てくださいサツキ様。先程の展望台とは違った眺めのよさです」

「日が暮れて来ているし、温泉街の雰囲気も変わるというものだな」


 標高約三百メートルを、五分くらいかけてのぼった。

 ロープウェイを降りて、木組みの蒼穹庭園展望台にのぼる。ヒノキ造りの展望台は、標高七一〇メートルにもなる。九メートルほどの高さを階段であがって頂上につくと、そこから見える眺望にクコはうっとりとした吐息を漏らす。


「行灯や提灯が幻想的ですね」

「空も茜色に染まってきたしな」

「まあまあじゃない」


 と、さっきのうさぎ耳の少女が腰に手を当てて言った。


「……」

「……」

「なによ?」


 不機嫌そうな目を向けられ、クコが答える。


「あの、獣人ですか?」


 クコの目線がうさぎ耳に留まっているのを受けて、少女は望遠鏡を片手に空を見ながら、


「そんなわけないでしょ。あんた馬鹿?」

「す、すみません」


 今度はサツキが聞いた。


「クコ、獣人はよくいるのか?」


 相手はクコである。しかし、答えたのはうさぎ耳の少女のほうだった。望遠鏡から目を離してサツキにぐいと詰め寄る。


「あんたそんなことも知らないの? 魔法で動物の姿や獣人になる人もいるけど、そんなのほとんどないわよ」

「そうか」


 サツキは顎に手をやり、考える。


「ふむ。つまり、一般的にめずらしい存在。だが、いないわけではない、ということか。興味深い」

「あんた、記憶喪失かなにか?」


 うさぎ耳の少女のジト目を無視して、サツキは嘆息する。


「いや。まあ、キミには関係のない話だ。忘れてくれ」

「ちょっと! あたしのことキミって、あたしにはうきはしって名前があるの! あたしは『がくもう』浮橋陽奈よ!」

「俺のことあんたって言ってたのはどこのだれだ」


 呆れたようにサツキがぼやくが、ヒナはサツキの顔をじっと見たまま不満そうにしている。


「なにかね?」

「今度はそっちが名乗るのが礼儀よ」

「そうだったな。俺はしろさつき

「わたしはあおです」


 ヒナは口の中で繰り返す。


「サツキ。城那皐。覚えたわ」

「ん?」


 その声が聞こえなかったサツキが小さく首をかしげる。


「なんでもないわよ。あたしはやることがあるから」


 と、ヒナは望遠鏡を覗き込んだ。

 クコはサツキに向き直る。


「ヒナさんも忙しいようですし、わたしたちは上に行きましょう」

「うむ」


 二人は階段をのぼって頂上を目指した。

 上に行く途中、道には鳥居があった。

 千本鳥居というもので、下から見上げると無限に鳥居があるように見える。

 頂上にたどり着き、神社の前で足を止めた。


「龍だ」

「二匹の龍。これを心龍門といいます。向かい合った二匹の龍の像が、ハートの形になっていることが由来だそうです」


 パンフレットを見ながらクコが言った。

 門の真ん中に金色の玉があり、それを左右から二匹の龍が持っている。クコの言葉通り、像が二匹合わさってハート型になっていた。


「あの玉には、なにか意味があるのか?」

「はい。この場所が天に近いことから、玉には昇龍のパワーが宿っているようです。玉に大願を託し、二匹の龍がその玉を天に届ける。この神社は下の紀努衣川温泉神社と同じ神様の神社ですから、同じ願いを上下二つの神社で願い、この門を通ると大願が叶うということみたいですね」

「よし。じゃあ、さっきと同じ願いを祈るとしよう」

「はい」


 サツキは願った。


 ――アルブレア王国を、無事に守れますように。


 そのために、自分は呼ばれたのだ。

 だが、サツキはわかっている。


 ――祈るばかりじゃいけない。ここでもらったパワーを糧に、頑張らないとな。神への祈りは、頑張るための誓いを立てることだと思うから。


 願い事を終えた二人は、千本鳥居を抜けてまた蒼穹庭園展望台まで戻ってきた。

 ヒナはもう、そこにはいなかった。

 カラスの鳴き声だけが残っていた。

 クコが展望台から視線を切り、サツキに顔を向けた。


「では、降りましょう」

「うむ。医者の娘に会わないとだもんな」

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