2 『謎の少女は夕暮れの神社に佇む』
土手に咲く名もない花を見おろし、クコは慈しむように微笑んだ。
サツキも小さな自然の彩りに気づき、この世界に息づく生命を感じる。改めて、ここは一つの現実だと思える。
この世界にも歴史があり、それぞれの思惑を持った人々がいる。
クコはその中でも過酷な旅を強いられている。それでも、譲れない目的に向かって、平気そうに顔を上げている。今朝クコの涙を見たことで、彼女の弱さにも触れた気がしてから、
――もっとクコの力になりたい。
と、サツキは胸の奥で強く思うのだった。
そうやって山道を歩くこと一時間、
紀努衣川温泉街。
このあたりを流れる紀努衣川を中心とした温泉街で、王都を含む武蔵ノ平野の最北にあり、『
碧い山河、ゆったりとした人波。
それらは旅人の前に、ただ優しく在るようだった。
自らは干渉することなく、来た相手をおだやかに迎え入れる、そんな情緒の街に思える。
お店も少なめだが、宿は多く、日帰りで入れる温泉もたくさんあった。
サツキがこの世界に来て見た中では、クコの記憶を除けばもっとも栄えた街である。
「まずは温泉街を歩きましょう」
「うむ」
南風が、この街の匂いを運んでくれる。
旅人たちにまぎれて二人は歩く。
「さすがに『王都の奥座敷』と言われるだけあって、隠れ家のようにゆったりできる温泉旅館が多いみたいですね」
「クコも初めて来たような言い方じゃないか」
「はい。そうですよ」
サツキは頭に疑問符が浮かぶ。
「でも、医者の娘と知り合ったんじゃなかったのか? ここで」
「知り合ったのは王都です。そのあと、こちらに移ったようですね。元々こちらが住まいで、一時期だけ王都に来たと聞きましたが」
「そういうことか」
だからかクコも新鮮そうに温泉街を見ている。
通りには浴衣姿の観光客らしき人たちもよく歩いていたし、旅人も多そうだった。
温泉街をいろいろ見ながら一時間ほど歩いた。
その至る所に、桜の模様を描いた
二人は、橋の前にやって来た。
この橋の前は特に多くの行灯が立ち並んでいて風情がある。夜になれば温かい灯りをつけてくれることだろう。
「やっと着きました」
「着いたって、医者の娘の家はこっちじゃないんだろう?」
「はい」
クコは平然とうなずく。
全長が一五〇メートル近くもある大吊橋で、橋を吊っているロープも美しい曲線を描いている。ロープからなにから、橋を彩るものは荘厳な黒色をしており、足下の板だけが白い。コントラストがハッキリしている。
「じゃあ、別の目的があるのか」
ふふ、とクコは楽しそうに微笑む。
「この紀努衣楯馬大吊橋は、縁結びの橋だと言われているそうです。実は、あのトンネルを抜けた先にある、縁結びの鐘がお目当てなんです」
「いい仲間と出会えるように、だな」
「はい。仲間探しを始める前に鐘を鳴らしたいと思いまして」
「うむ。賛成」
クコに手を引かれ、サツキもまっすぐ伸びたミルク色の橋に足を踏み入れた。
歩くと橋は揺れる。
揺れやすい橋だが、足下は安心感がある。下を見なければ、だが。
「綺麗な川ですね」
「だな」
「濃く澄んだエメラルドグリーンは、なめらかですが力強いですよ」
「そうか」
橋の下には翡翠色の紀努衣川の流れが望める。
だが、あまり高いところが好きではないサツキは、あえてクコのように何度も見ようとは思わなかった。
吊橋の中間地点には、ちょっとした広場もあった。
他の通行人とすれ違い、橋を渡りきる。
ここから右手に曲がり、階段をのぼって、その先にあるトンネルへと歩く。
クコはパンフレットを見てから前方を指差した。
「あれが
「お土産屋さんでもらったパンフレットに載ってるんだな」
温泉街を歩くためのパンフレットがどこのお店にも置いてあり、自由に持っていける。
トンネルの前まで来て、二人は立ち止まる。
「さっき買った提灯を出しましょう」
「うむ」
サツキは帽子を手に取り、帽子の中に手をつっこむ。
この帽子は、《
提灯を二つ取り出した。
「この楯馬トンネルは、黄緑色の照明が適度な間隔でついています。しかし、お店の方は暗いと言っていましたからね」
「結構トンネルも長そうだ」
「入りましょうか」
楯馬トンネルに入る。
距離は約七十メートルほどあり、暗いこともあって長く感じられた。いかにも洞窟らしかった。
トンネルを抜ければ、少し歩くとすぐに鳥居と社殿を見られる。小さくてささやかなもので、社にはなぜか大きめの将棋の駒がひとつ立っていた。
「これが
「必ず願いが叶うと書いてあるな」
サツキはパンフレットに目を落とした。
「特に縁結びとあります。そして、あちらに見える縁結びの鐘を鳴らすと、良縁に恵まれるそうです」
「なら、やるしかないな」
「もちろんです!」
歩きながらサツキは聞いた。
「クコは神社って知ってるのか?」
「ええ。知ってますよ。晴和王国以外ではそれほど多くありませんが」
「この世界にもあったんだな」
「あら。では、サツキ様の世界にもあったんですね」
「うむ。まあ、俺の住んでいた国以外にはあまりなかったが」
「はい、どうぞ。サツキ様はこの世界のお金を持っていませんでしたもんね」
「ありがとう。すまないな」
小銭をクコからもらい、サツキはクコといっしょにお賽銭を入れた。
手を合わせて願い事もする。
――良い仲間と巡り会えますように。そして、アルブレア王国をブロッキニオ大臣の手からクコたち王家の元に取り戻せますように。
サツキの願いはそんなものだった。
クコは、
――素敵な仲間との出会いがありますように。
とだけ願っていた。
「この上は展望台にもなっているそうです」
「お目当ての鐘もこの上だな」
二人は階段をのぼって、展望台に出た。展望台は小さくあまりたくさんの人は入れないだろう。
展望台には鐘もある。
小さめの鐘だが眺めのよい場所にあるから絵になった。
遮るものなんてなにもない。
果てが霞むほど彼方まで見渡せる。
まだ見ぬ遠い世界がきっとこの中にあるのだろう。
サツキはどこまでも遠くを見据えて、期待に胸をふくらませる。
川の水音がわずかに聞こえるだけの静寂の中に、小鳥たちの戯れも混じった。
――俺とクコの二人から、この物語に仲間たちを加えていかないとな。
そう思って眺望から鐘に視線を戻すと。
ひとりの少女が佇んでいた。
絶景に心奪われていたせいで、少女の存在に気づかなかったらしい。
黒いセーラー服姿の少女。スカーフは黄色。ニーハイの黒い靴下とローファー。肩にはスクールバッグのようなカバンを提げている。背丈は一五〇センチ台半ばから後半、サツキと年も変わらないだろう。黒い髪はショートヘアで、黄色いカチューシャをつけている。だが、サツキの目を引いたのは、少女の頭についた、うさ耳だった。
サツキは一瞬、少女のうさ耳に驚く。しかし、すぐに気づく。うさ耳はカチューシャであった。黄色いカチューシャにうさ耳がついているだけだ。
――この世界には、獣人がいるのかと思った……。
少女は、神社のご神木を見上げて、左肩にカバンをかけて立っていた。右手には、細い筒が握られている。
「そろそろかな」
と、少女は筒を右目に持っていく。
望遠鏡か、とサツキは理解する。
ちょうどそのとき、クコが少女に声をかけた。
「少しよろしいでしょうか」
「なに? あたし、忙しいんだけど?」
不機嫌そうに少女は聞き返してきた。
「す、すみません」
「最近新しく現れた星がなんか変に動いてるし、ほかの星にも変化がある。でも、月はいつも通りだわ」
ぶつぶつ独り言を言ってから少女は望遠鏡を下げてクコを見返す。
「もう鐘は鳴らしましたか? わたしたちも鐘を鳴らしたいので、終わったら場所を貸してもらいたのですが」
「好きにすれば」
「そうですか。お邪魔しました」
クコが少女に目礼だけして、サツキに視線を戻す。
「サツキ様。鐘を鳴らしましょうか」
「うむ」
「いっしょに鳴らしましょう?」
二人で鐘を鳴らす。
たいして大きな音でも派手な音でもなかったが、この優しい鐘の音が温泉街からずっと先まで、どこまでも遥か遠くへ鳴り響いてゆくように、まだ見ぬだれかにも届くように、サツキは祈る。
――良い仲間と巡り会えますように。
サツキは今度はそれだけ願って、クコも同じことを願っていた。
――素敵な仲間との出会いがありますように。
高らかに響く鐘の音が、二人の願いを聞き入れて微笑むように静かにやみ、二人は顔を見合わせる。
「よし。願い事もできた」
「はい。ここから、わたしたちの鳴らした小さな音が、どこまでも響いてくれるといいですね」
「うむ。これだけ眺めのいい場所なんだ、きっとだれかに届くさ」
「そうですね。ここは展望台にもなっていますし、本当に眺めが素晴らしいです。ここからなら、どこまでも……」
景色を眺めて、サツキは言う。
「温泉街ばかりじゃなく、遠くに望む山まで見える。岩肌も迫力があるぞ」
「この紀努衣川温泉は、他の温泉地にはない絶景を楽しめる温泉地ですからね」
「他にも景観を楽しめるポイントがあるようだな」
「
「うむ」
「急ぎましょう。早くしないと、太陽が回って日が暮れてしまいます」
その言葉に、サツキは「ん?」と足が棒になる。
すると急に――先程の少女が眉をつり上げてクコをにらんだ。
「ハァ!? 太陽が回る? 回ってんのは地球のほうよ。知らないの?」
少女の気迫にクコが一歩退く。
「え、そ、そうなんですか? でも、本には天体が地球のまわりを回ってるって書かれてますし……」
「そんなわけ――」
さらにすごんで少女がまくし立てようとしたところで、言葉が途切れる。同じタイミングで、サツキがため息まじりにこう言ったからである。
「そんなわけないだろ、天動説は過去の遺物だ。地球などの太陽系惑星は、太陽のまわりを回ってるんだ。これを公転という」
そこまで言って、サツキは少女の視線に気づく。サツキへ向けられた瞳は、揺れていた。潤んだような光を帯びて、サツキを捉えて離さない。すっかり少女の毒気も抜けている。
サツキは言葉をにごす。
「いや、なんでもない。この世界の星の構造はよくわからないから、今のは忘れてくれ。クコ、そろそろ行こう」
「あ、はい」
慌ててサツキは歩き出す。
――危うく口を滑らせるところだった。
と、サツキは内心反省する。
横に並んだクコをチラと見て謝る。
「ごめん……」
クコは小首をかしげる。
「ん? なんですか?」
あんまりわかってないようだったから、サツキは顔をそっぽ向ける。
「別に。なんでもない」
そんな会話を交わし歩み去るサツキの後ろ姿を、少女はじぃっと見つめる。そして、ぽつりとつぶやいた。
「あいつ……」
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