16 『薄明×手紙』
牧場を出たあとは、北に進んだ。
本当はまっすぐ東に進みたかったが、山が険しそうなのと牧場で横切れない場所もあるのとで、北から回るのが自然なルートになる。
「南に行けそうじゃなかったか?」
サツキが聞く。
「はい。南東寄りに道があります。三時間ほど歩けば町にも行けますが、北ならもう少し近くに町があります。修業もあるためあんまり歩き疲れてもよくありませんからね」
東にある温泉街へも行きたいと思っているので、クコとしてはこの道が一番適当だった。
また、サツキの頑張りへの危惧もある。剣術の修業と魔法の修業だけでも大変なのに、サツキがルーティーンとしてこなしている空手の修業もかなりの疲労を伴うものに見える。クールな顔で平気そうにしているが、クコの裁量で負荷を減らせるならそうしたい。いつどこでアルブレア王国騎士と遭遇するかもわからないのだ、もし疲労困憊のときに鉢合わせたら手も足も出ないだろう。
一時間半ほど歩いたあと。
サツキとクコは、小さな村に到着した。
村では宿を取り、修業もした。
空手や剣術の修業をして、最後に魔法の練習もした。
魔法の練習では、サツキも考えていることがある。
「この正拳突きの魔法、実践で使えるかは怪しいところだと思うが、どうだろう」
「通用すると思います!」
「そうか。それならよかった」
「これも一つの魔法と言ってもいいかもしれませんが、魔力コントロールになるのでしょうか。サツキ様、これに名前をつけてはどうです?」
「名前か。どんなのがいいか……」
「うーん……」
と考えて、クコは手を打った。
「あ! では――」
クコは技名を告げた。
それを聞いて、サツキもうなずいた。
「うむ。それでいこう」
「この魔法は、もし戦う必要に迫られたときでも、きっとサツキ様を助けてくださいます。魔力コントロールについても、練習を続ければすぐにもっともっと上達しますよ」
どこか意味深な言葉に聞こえて、サツキは不思議に思う。
「それは……」
口を開いたときに、クコが言った。
「もう暗くなってしまいましたね。一度上がりましょう」
夕日も沈む時間になる。
二人は宿に入った。
この晩、サツキとクコは魔力コントロールの練習もして、あとは寝るばかりとなった。
部屋は今日も一つしか取っていなかったから、布団を並べて寝る。
その前に、クコはサツキを膝枕した。
「サツキ様。また少しだけ、この世界のことをお教えします」
「頼むよ」
「眠くなったら、いつでも眠ってしまって構いませんからね」
魔法《
晴和王国の地図について見せて話し、王都への道も見せた。
そうしている間に、サツキは疲れていたのか眠ってしまっていた。静かに寝息を立てるサツキに気づき、
「サツキ様?」
小さく声に出すが、返事がないので、クコはサツキの頭をなでる。
「おやすみなさい」
しばらくこのまま寝ているサツキを見守っていたが、クコは膝を抜いてサツキを布団で寝かせてやる。布団をかけてあげたら、自分も隣の布団に入る。
翌朝。
まだ六時を過ぎたばかり。
クコは起き出して、手紙を書いた。
置き手紙。
これをサツキの枕元に置き、クコは着替えて部屋を出ようとして、後ろ髪を引かれる思いで振り返り、サツキの脇にしゃがんだ。
「お元気で。大好きですよ」
サツキの額に口づけして、クコは部屋を出た。
クコの荷物は軽いものだった。
お金はほとんど置いてきた。
暗い空の下を歩く。
「たったの五日……なのに、こんなにも胸が締め付けられる。わたしは、思っていた以上にサツキ様のことを好ましく思っていたようですね」
胸が震えて痛む。
いつまでも晴れない灰色の空の下、その痛みを隠すよう視線を落とした。
――心が空き箱みたいに軽い。わたしに、なにもなくなってしまったみたい……。でも、進まなきゃ。先へ。
道は、
大回りすれば人の歩く道が整備されているが、近道を選び獣道に入ってゆく。ここからほとんど東に進めばいい。
森はやや険しいが、歩けないこともなかった。
川がある。
橋を渡って向こう側へ行く。
そのすぐあと、声が聞こえてきた。
「おーい!」
「クコちゃーん!」
アキとエミだった。
幸せの青い鳥を探すと言ってオオルリを追いかけていた二人も、この森に入り込んでいたらしい。
川を挟んだ向こう側から二人が大きく手を振るので、クコも手を振り返す。
だが、それだけで挨拶を済ませると、クコはまた歩き出した。
「早く森を抜けないと……」
クコが歩き去る。
その様子を見届けたアキとエミは、不思議そうに顔を見合わせる。
「エミ、なんか変だったよクコちゃん」
「うん。クコちゃん、なんだか悲しそうだったね」
「なにかあったのかな。サツキくんもいなかったし」
「もしかして、サツキくんが病気になっちゃったのかな?」
「それは大変だ! じゃあ、クコちゃんはお医者さんを探しに?」
「ありえる!」
「じゃあさ、ボクたちが青い鳥を捕まえて、クコちゃんとサツキくんに見せてあげようよ!」
「ナイスアイディア! きっと幸せを分けてあげられるね!」
「ボクたち、つい虫取りに夢中になって青い鳥のこと忘れてたけど、ここから本気出すよ!」
「アタシたちの本気、見せてあげないとね!」
「見せるのは青い鳥だよ」
「あはは。そうだった」
「そうと決まれば、頑張るぞー!」
「おぉー! 待っててね、青い鳥ー!」
二人は拳を高く突き上げると、森の中を走り出した。
サツキが目を覚ましたのは、時計の針が七時を回った頃だった。
――まだこんな時間か……。
もう少し寝よう。
そう思って寝返りを打って、隣にクコがいないことに気づく。
目がぱっちり開く。
身体を起き上がらせると、枕元にある手紙に気づいた。
「なんだ……?」
手紙を開く。
そこには、こうあった。
『サツキ様。この五日間、とても楽しかったです。サツキ様となら、どこまでも頑張れると思えました。しかし、わたしの戦いにサツキ様を巻き込むのはやはり間違っています。お金は置いておきました。一年以上、暮らしに困らない程度にはあります。勝手で申し訳ありませんが、わたしがブロッキニオ大臣から国を取り戻し、博士にサツキ様の元いた世界への帰り方がわかったとき、晴和王国まで戻ってきます。それまで、お互いに忘れましょう。お元気で。
読み終えて、サツキはぽつりとつぶやいた。
「勝手なやつだ」
苛立ちよりも悲しさよりも、サツキはこの五日間のことを思い出していた。
「この五日間、楽しかったのは俺のほうだ」
世界樹と呼ばれる大きな大きな木、綺麗な黄色いキスゲの花々、高原から見たきらめく星空、牧場の牛や羊や食事、クコと旅する中で出会った人々、どれも元いた世界では味わったことのない体験だった。
「かけがえのない毎日をくれて、感謝してたんだ」
サツキは小さく深呼吸して、立ち上がった。
――昨日の晩、寝る前も様子がおかしかった。このせいだったんだな。もし戦う必要に迫られたら……なんて言い方、引っかかってた。
手紙を片手に、サツキはこの場にはいない相手に言った。
「俺はクコのこと、まだ全然知らない。でも、助けてくれって言ってるのはわかるよ。この手紙が本心ばかりじゃないこともさ」
障子を開けて外を見ると、空には重い雲が垂れ込めていた。
今にも雨が降り出しそうな灰色の空模様だった。
サツキは学ランにマントを羽織り、帽子をかぶって宿を出発した。
――クコが行きそうな道はわかる。
東に向かって、獣道に入る。
しばらく歩いたあと、橋を渡り、いっそう険しくなる道を進む。
――本当にこっちで合ってるだろうか……。
少し不安になりながらも歩を進めていると、声が聞こえてきた。
――クコか!?
勢いよく振り返る。
そこにいたのは、見知った二人組だった。
「アキさん、エミさん」
木々の間を通り抜けて二人がサツキの前にやってきた。
「おーいサツキくーん!」
「もう大丈夫なのー?」
サツキは二人に聞き返した。
「大丈夫ってなんのことですか」
「なーんだ、もう大丈夫ってことか!」
「治ってよかったね!」
二人の勝手な論法で病気にされていたことなど、サツキは知るよしもない。
「クコちゃんなんてもうずっと先へ行ってるだろうし、教えてあげないと」
「早く知りたいだろうしね」
クコの名前が出たことで、サツキは慌てて質問した。
「クコはいつどっちへ行ったんですか?」
「三十分くらい前に、あっちに行ったよ」
「
アキとエミからの情報を聞きつけ、サツキは走り出そうとする。
が。
二人に引き止められる。
「ちょっと待った」
と、アキに腕を取られ、サツキは足を止める。
エミが《
「なんか出てこーい、そーれっ」
ぽん、と鏡が現れた。
持ち手のない丸い手鏡である。
「あっ! 《
と言って、アキが指を鳴らす。
「サツキくん、これはね、覗き込むと、その人が探している人や物の場所を示す鏡なんだよ」
エミがサツキの手に鏡を握らせる。
アキが説明するには、
「鏡を覗き込むと、鏡の中に三本足の烏が映って、目的の方角に向かってくちばしの先を示して羽ばたくんだ」
とのことである。
「探してる人はクコちゃん。そこまで連れて行ってくれるよ」
「小槌で出した魔法道具だから、役目を果たすと消えちゃうけどね」
思わぬ魔法道具に、サツキは目をしばたたかせる。
「あ、ありがとうございます」
「サツキくん。それに、これから雨が降りそうだよ」
「水たまりができちゃうかも。そういうときはね――」
アキとエミはサツキに助言をしてくれた。
説明を受け、サツキは走り出した。
「ありがとうございました!」
「頑張れー!」
「焦らずにねー!」
アキとエミは、遠ざかるサツキの背中に、人差し指と中指を立てる。
「《ブイサイン》で応援だ」
「《ピースサイン》は安全のお祈りだよ」
「サツキくん、なにかと戦ってるみたいだったね」
「うん。《
最後にエミが小槌を振って、サツキの背中が見えなくなった。
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