10 『勇者×召喚』

 二ヶ月後――。

 季節は冬になっていた。

 十二月の下旬。

 ガンダス共和国に到着して、船着場のあるラナージャという都市に辿り着く。

せんきゃくばんらいこうわん』ラナージャ。

 世界有数の金融センターにもなっていて、商業地でもある。

 そこで、バンジョーとは別れた。


「あばよ。また会えたらうまいもん食わせてやるぜ、クコ」

「ぜひ。またお会いできることを願ってます。ありがとうございました、バンジョーさん」


 深々とお辞儀をして、クコは船に乗り込んだ。


 ――バンジョーさんには、とても助けられました。そして、いよいよ晴和王国です。世界樹では、どんな人に会えるでしょうか。


 アキとエミはさっぱりしたもので、湿っぽい空気はどこにもない。バンジョーと腕を振り回してダンスでもしようというくらいにはしゃいでいた。踊っているのは希望の舞だろうか。それとも、ありがとうのマーチか。最後には握手をしていた。


「また会おうね、バンジョーくん! ボクたちは友だちさ!」

「絶対また会えるよ! バンジョーくんの未来にかんぱーい!」

「じゃあな! アキとエミも元気でな」

「バンジョーくんもお達者で~!」

「バンジョーくーん、《笑顔ノ合図ハイチーズ》」


 その合図を受けて笑顔が爆発したバンジョーを、二人はパシャリとカメラに収めた。


「ばいばーい!」

「ごきげんよーう!」


 いつまでも船上から大きく手を振る二人に向かって、バンジョーも負けないパワーで手を振り返す。

 隣のアキとエミといっしょになってクコも手を振り、ガンダス共和国を発った。


 ――目指す最果ては、まだまだ遠いけれど……今が頑張り時ですね。船の旅なら、たくさん修業できます。


 クコは、晴和王国までの航路を剣の修業をして過ごした。冬の冷たい風が吹く中、甲板での修業はいつも以上に大変に感じたが、少しずつでも目的地が近づいているから気合も入った。もちろん、晴和人で晴和王国に戻るのだというアキとエミも同乗していたため、二人に絡まれることも多かったが、そんな二人のおかげで船の旅も楽しかった。



 また三ヶ月ほどが経過して――。

 季節は巡り、春になった。気温も上がり、甲板に吹く風も柔らかくなった三月の下旬。

 船が晴和王国へ到着したとき、クコはなつかしさを覚えた。幼い頃から幾度もこの国に来たことがある。母ヒナギクの故郷でもあるので、アルブレア王国の外では唯一なじみのある国であった。

 至る所で桜が咲き誇り、クコの気持ちも華やぐ。


「やっと港町・うらはままで来ました。この空気、なつかしいです。晴和王国へ来たときには、いつもここから船に乗っていたんですよね。街の匂いも変わりません。そして、綺麗な桜。わたしには、もうひとつの故郷を思わせてくれます」


 深呼吸して、通りを行く道士服の人を見、また海兵服の人を見てつぶやく。


「でも、晴和王国の中でもこの港町はやはり異国情緒もありますね。『かいまどぐち』浦浜。そうくにやメラキア合衆国の香りも混じってます」


 港町の風はいつも遠くから流れてきて、また遠くへ吹いてゆくようだった。


「なつかしむのは王都に着いてからにしましょう」


 晴和王国の中で、クコがよく訪れるのは『おうあまみやくらいのものなのである。そこには、いとこのナズナも暮らしている。

 アキとエミはクコに言った。


「じゃあ、ボクたちとはここでお別れだね!」

「アタシたち、クコちゃんのおかげで楽しい旅になったよ!」

「いいえ。こちらこそです」

「ついつい、クコちゃんにつられてはしゃいじゃったもんな!」

「ね! クコちゃんの笑顔のパワーは偉大だよ!」


 クコはぽかんとしてしまう。この二人のおかげで、クコも楽しくなったが、自分の影響でこの常に陽気な二人がはしゃいでいるなど夢にも思わなかった。


「クコちゃん、ステキな瞬間をたくさんありがとう!」

「また会おうね! 大好きなクコちゃんに、笑顔のパワーを送るよ! 《笑顔ノ合図ハイチーズ》」


 パシャリ、と笑顔が全開になったクコを二人が撮影する。

 エミが言葉を続ける。


「おまけに《うちづち》。クコちゃんにはきっといいことがあるからね!」

「うん、間違いない! 探してる人にも絶対の絶対に会えるよ! ボクたちは全力で応援してる!」


 クコは二人にお辞儀をした。


「ありがとうございました。お世話になりました。またお会いできる日を楽しみにしています!」


 顔を上げ、クコはきびすを返して歩き出す。

 二人はクコの背中に呼びかけた。


「なんだかわからないけど、負けるなー! 《ブイサイン》」

「きっと大丈夫だからね! 《ピースサイン》」

「ばいばーい!」

「ごきげんよーう!」


 必勝祈願と安全祈願をしてくれた二人に元気をもらい、クコはまた一礼して手を振った。


「アキさんとエミさんも、良い旅を」


 そして、クコは世界樹を目指して歩き出した。



 クコが最初に降り立ったのは、おうみさきくに

 現在でいう神奈川県の横浜市から西側と静岡県の一部が領土になる。晴和七大貿易港の一つうらはまこうを持つ。

 ここで言う国とは、明治以前の令制国のようなもので、現代日本で言うところの都道府県と同じような行政区画の呼び名である。ただし、国ごとに治め方が異なるため、個性は出やすくなる。

 浦浜港から、クコは北東へ進路をとった。

おうあまみやへ行くためである。

 浦浜からほんとんどズレることなくただただまっすぐ進めば世界樹に行けるのだが、なぜ王都へ行くのか。その理由は、列車が走っているからだった。

 列車は、『王都』天都ノ宮から『みやここうほくみやまで走っている。

 光北ノ宮は、しょうくににある。

 そしてこの国に、世界樹がある。

 照花ノ国は栃木県に相当する。

 今でいう宇都宮市の一部と鹿沼市の一部は、小さい王都とも言われ、王都の北の宮として、光北ノ宮と呼ばれる。

 そして、照花ノ国の中でも世界樹があるのは、日光。

 日光東照宮があった位置が当てはまった。

 ここ照花ノ国は、『ひかりみやこ』あるいは『かいさいて』とも称される。

 つまり、浦浜に到着した翌日には『王都』天都ノ宮へ行き、そこから数時間列車に揺られて『花卉の都』光北ノ宮まで行ったら、あとは歩いて世界樹を目指せばよい。

 またこの地域では、世界樹を擁することから、世界樹にまつわる伝承とそれを基盤とした文明があった。

 トチカ文明。

 世界樹に関する伝承を紡いだ文明とされており、この文明が世界樹を創造したわけではないということだった。むしろ、世界樹を守るための守護神をまつる文明だとさえいえる。

 いくつもの壁画が残っており、文献もあった。

 それらによると――。

 守護神は、以下の四柱。

 頂上に住むとされる火ノ鳥。

 常に大樹を移動し続ける栗鼠りす

 樹皮を食み養分を管理する鹿。

 地下へ伸びる根と一体化した蛇。

 サツキとクコは、この中でも火ノ鳥を偶然にも目撃することができた。

 だが、謎も多い文明らしい。

 漢字では、『栃花文明』と書かれる。

 昔はカタカナでの表記のみだったが、のちに栃花という文字が発掘されたことから、漢字ではそう書かれているということである。

 このトチカ文明には、藤馬川博士が言った異世界人の伝承もあった。

 だから、クコもトチカ文明の伝承を信じて世界樹を目指して晴和王国までやって来たのである。

 また、世界樹があるあたりの海抜は634メートルほどにもなるらしく、その語呂合わせで世界樹より南の平野をさしへいと呼ぶそうである。


 列車を降りたら、クコは馬車を使って世界樹へ向かった。

 浦浜から王都までも馬車を拾えたし、そのおかげで晴和王国に降り立ってからたったの三日で、世界樹ノ森の前にたどり着く。

 はやる気持ちを抑えきれず、世界樹ノ森へと入った。

 深い樹海になっている世界樹ノ森は、道標となる魔法道具《世界樹ノ羅針盤マジック・クロノグラフ》の準備もあり、道に迷うようなトラブルもなく、とうとう世界樹ノ森を抜けて世界樹の根元に到着した。


「これが、目の前で見る世界樹ですか」


 見上げても上まで確認することができないほど高い。

 高さは3333メートルと言われている。

 あれだけ高い大樹があるのなら、樹海で迷う人も少なそうなものだが、樹海の木々はそれぞれが高く、常に上空を見渡せるわけではない。

 だが、それも乗り越えてクコはここまでやって来たのだ。


「では、始めましょうか」


 藤馬川博士から教わった位置に魔法陣を大きく描く。

 魔法陣は、三角形を二つ重ねる模様で、角は重ならないようにする。六つの点を持つ星形に近い。


 ――藤馬川博士は、模様にも意味があると言ってました。


 クコは藤馬川博士の言葉を思い出す。


「いいですか。これは、《ちょうげんてんしょうかん》と呼ばれる魔法でもあります。まだ人間を対象に試したことはありませんが、わたくしがトチカ文明の伝承にあった魔法陣から創造した魔法です。魔法陣を描くことで、異世界の人間を召喚するものになります。魔法陣は、三角形を点が重ならないように二つ重ねたようにしたもので、それぞれ、三次元を意味するX軸、Y軸、Z軸の三角形と、時間と空間と光の三角形を表しています」

「要するに、三つの次元を二重に移すのですね」

「そうです。そして、二重三角形を円で囲います。このとき、三角形の六つの点が円に接するようにしてください。これを、魔力の働きの高まる位置に描くと、魔法が成功すると思われます。繰り返しますが、まだ人間相手に試したことはありません。わたくしが試したところでは、別世界と考えられるところから不思議な花と石を転移されたことがあるのみです」

「花と石、見せてくださったことがありましたね」

「そして、わたくしの魔法《げんそうえいしゃ》。想像している映像を、空間や本や壁やガラスや鏡など、いつの時代のどこにでも映し出すことができるものです。妄想でも過去の記憶でも映像化できます。映像を出現させる場所の把握は必要ですが、勇者様を召喚する魔法陣に、映し出します」

「つまり、どうなるのですか?」

「魔法陣は、あらゆる次元を超え、陣とどこかの異空間をつなぐものでもあるのです。これによって、いつかの時代にいる異世界の勇者様に、召喚直前に映像を見せられると思われます。ただ、情報量は少ないほうが成功もしやすい。そのため声だけとします。わたくしの説明を聞かせられれば、話も早くなりましょう。ついては、先に魔法をかけておきます。世界樹の根元に。クコ王女は、わたくしの指示する位置に大きく描いてください。大きければ、少しくらいズレても大丈夫ですから」


 要するに、藤馬川博士の魔法《げんそうえいしゃ》が魔法陣を介して異世界にいたサツキに声を聞かせたのである。つまり、あのナレーションの声も藤馬川博士のものだった。

 ただ、サツキにはこれも元の時空とどうつながっているのか判断できない。

 この世界の正体がなんなのか、いつかわかる日が来るのだろうか。

 だが、嘘も誠も包み込んで、クコのすべてを信じて進む決心は、とうに固まっている。

 藤馬川博士は言った。


「確実に成功する保証はありません。しかし、きっと成功すると信じています」

「はい。わたしも信じます」


 魔法陣の説明と共に、そんな会話を交わしたものだった。

 クコはとあるポイントに来て、世界樹を見上げた。


 ――北辰極点。古代人がいた時代、ここは特別な場所だとされていたようですね。


 その位置に来た途端、なんだか特殊な波動を感じられた気がする。

 教わった通りに召喚魔法を発動させた。

 方法は、描いた魔法陣の円の中を、杖や木の枝などでトンと一つ叩くこと。そして、唱えること。

 クコは杖の代わりに、自らの剣を突き刺した。

 一度突き刺すとすぐに引き、光が満ちてきた魔法陣の円内に目をみはる。

 剣を鞘に戻し、指を組み合わせ、静かに唱えた。


「どうかこの地においでください」


 祈りを捧げる。

 すると。

 空に、光の点が現れた。

 それは一瞬のきらめきで、なにが起きたのかも確認できない。

 世界樹の葉はよく茂っているから、クコの位置からはまだまだ見えない。世界樹は常に桜の花を咲かせているから、余計に上空の視認は難しい。

 しばらく待つと。

 世界樹の枝を抜けるように落下してくる影があった。それがクコの目に入る。

 よく見ると、その影は人だった。


「本当に、成功しました! 博士、クコはやりましたよ! 感謝いたします。あとは、あの方とアルブレア王国へ戻らなければなりませんね」


 クコは目をこらす。

 さらによく見れば、その人は異世界人らしく見慣れぬ黒い衣装をまとっていたが、驚くべきは背丈だった。

 少年。もしかしたら自分よりも小さいかもしれない。

 小さな少年は、クコのいる位置へと落下運動を続けてきたが、クコの頭上十メートルほどから、なにかの力でも働いたみたいにふわっと浮くようにゆったりとした落下になった。落下速度が落ちたことで、クコは受け止められると判断する。


 ――この子が、わたしを、わたしの国を、救ってくださるの……?


 期待か達成感か、少年が近づくのに比例してドキドキしてきた。

 ふわりと、羽毛でも抱くようにクコは少年を受け止めた。

 寝ているのか気を失っているのか、少年の目は閉じられていた。


 ――この方が、異世界の人……。王国を救ってくださる、勇者様。なんだか、きれいな方ですね。


 それが第一印象だった。

 クコは自分の腕の中にいる少年を見つめる。


 ――わたしと同い年くらいに見えますが、この子、いくつなんでしょう? 年下の可能性もあります。


 へたしたら、妹のリラと同い年なんてこともあり得そうだ。

 魔力をコントロールして腕と足腰に力をやっているので、クコには少年がとても軽かった。実際、本当に軽いかもしれない。この特別な位置や急に落下速度が落ちたような特殊な影響もあるだろうか。

 しかし、クコはそれよりもこの少年のことが気になってしまっていた。


 ――それにしても……。あどけなく、可愛らしい寝顔ですけど、なぜでしょう。どこか、儚い。


 どうしてだか、クコはきゅっと胸が締め付けられるような気持ちになった。救世主が、自分と変わらない年頃の男の子だったからなのか、儚さに守ってあげたい感情が差したからなのか、自分の腕の中にいるからなのか、それはわからない。

 ただ、この少年には不思議なシンパシーを感じた。いや、共感ではなく、共鳴なのかもしれない。

 そう思ったとき、少年は目を覚ました。

 開くと、大きく凛とした瞳だった。それでいて鋭い。形のよい鷹のような眉がそう思わせる。目を閉じていたときは可愛らしかったくちびるも、少年の意識が戻ると見えるや、引き締まったように結ばれる。全体の造形が聡明さを帯びた。

 クコは聞いた。


「大丈夫ですか? おケガは、ありませんか?」


 こくりと少年はうなずく。


「大丈夫」

「よかった。ご無事でなによりです」


 そう言って、クコは少年を下ろした。

 少年は凜然と背筋を伸ばして立つ。クコより背は低いが、その立ち姿は大人っぽくも見えた。独特の気品がある。自分の腕の中にいたときのあどけなさが身をひそめた、と感じたが、照れを隠すように、少年は細くきれいな人差し指で頬をかきながらお礼を述べた。


「あ、ありがとう」


 その姿はやっぱり子供らしくて、クコは思わず笑みがこぼれた。


「いいえ。とんでもございません」


 これからアルブレア王国を救ってくれる勇者だからもっと強そうな人だと思っていたけれど、自分と変わらない年頃の少年に、すごく親しみを覚えた。


 ――来てくださったのが、この方でよかった。


 このときから、クコは直感でそう思っていた。

 それが、クコと異世界からやってきた少年――しろさつきとの出会いだった。

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