8 『姫宮×出発』

 アルブレア王国の国王の名は、ローズ。

 あおろうと書く。

 ローズ国王はクコ王女の父であり、現在は体調を崩しながらも、なんとか国王としての公務にあたっていた。

 が。

 ある日、いっそうその具合が悪くなってしまった。

 元々足が弱く、今はベッドで寝たきりになっている。

 ふじがわはかからブロッキニオ大臣のよからぬ企ての話を聞いて、一週間後のことである。

 つまり、クコが母と妹とお茶会をする日だったのだが、それは中止になった。

 そのため、クコとリラ、二人だけで庭園でお茶会をしていた。


「お父様が体調を崩されてからお母様はお世話にいそがしくなりましたが、いよいよ、つきっきりになりそうですね。お父様、大丈夫かしら……」


 少し気落ちしたようにリラがつぶやく。クコははげますように声をかけた。


「よくなると信じましょう。今のわたしたちにできることはそれだけです。それから――」

「はい、なんですか? お姉様」


 クコは、少し後ろに控えているメイドのメーベルとドーラには声が聞こえないように、小声で、しかしはっきりと言った。


「もしものときは、お父様とお母様を頼みますよ」

「それは、どういう意味ですか?」


 いまいち話が見えてこないリラ。


「わたしは、もしかしたら、王国のために戦うことになるかもしれません。そのときは、お父様とお母様のこと、お願いしますね」


 クコは直感でわかっていた。藤馬川博士の言葉から、ブロッキニオ大臣が動き出すならここだ、と。そして、自分が戦わなければならないと。


「……はい」


 力なく、リラは答えた。



 翌日。

 授業中、『しんじつれきがくしゃ』藤馬川博士は言った。


「これまで国王様は、アルブレア王国のために晴和王国との外交に力を入れ、国をより豊かで平和になるよう頑張ってこられました。しかし、無理がたたってしまったのです。もう昨日の晩から、ブロッキニオ大臣が執権を握り、国を動かし始めています」

「城内の空気も変わりましたね」


 と、クコが肌で感じたことを言う。

 藤馬川博士は深くうなずいた。


「ええ。ブロッキニオ大臣に対抗しておられるのが、マヌエル大臣。この方が財務を担当している限り、すぐに国が倒れることはないでしょう」

「でも、それはいつまでも持つかはわかりません。ブロッキニオ大臣は、わたしたちの目に見えないところで勢力を広げているように見えます」

「クコ王女は感覚が鋭く、頭のよい方です。あなたになら、この王国を守れるかもしれない」

「わたくし、やります。国王であるお父様の娘ですから」


 力強く言い切るクコ。


「守るためにこそ、外に出なければならないときもあります。クコ王女、早ければ今夜、遅くとも明後日の未明までに、城を出発してください」

「いずれ、城を出て逃げるときがくる可能性も考えていました。覚悟はしておりました。しかし、早すぎませんか?」


 問いかけるクコに、藤馬川博士は沈着に答える。


「時間はあまりないのです。計画を立てられたら、お城にいる意味はありませんからね」

「そうですね。では、現状の把握も済み、もう計画まであるのですね?」

「ええ。ブロッキニオ大臣の目的も、この一週間で突き止めました。それは、世界樹です。晴和王国から世界樹を奪うことにあります。そして、世界を掌握するのが狙いです。そのために、ブロッキニオ大臣は最初になにをすると思いますか?」


 聞き返され、クコは考える。


「おそらく、世界樹を確実に奪うパワーを養うために、アルブレア王国の国力を増幅させるでしょう。世界樹がある晴和王国と戦うためのパワーが必要です。そのためにも、国同士で戦う場合に備え、このアルブレア王国をブロッキニオ大臣の執権下に置くことも肝要と考えるはずです。国を動かすためにも、王国内での地位を盤石にする必要があります。今のブロッキニオ大臣は、国王であるお父様に次いで二番目の権力者です。よって、お父様を暗殺あるいは失脚させ、自分が国王の座につこうとする。その手段は、わたくしを妃とすること。でしょうか」


 以前、ブロッキニオ大臣が言っていた言葉を思い出せば、王権を手に入れるには、王剣『聖なる導きの王剣ロイヤルキャリバー』の持ち主クコをも手に入れるのが手っ取り早いと思ったのである。

 そうすれば、真の『王剣』すなわち『王権』が手に入る。


「クコ王女。わたくしと出会ってからこのたった三ヶ月で、本当に賢くなられましたね。正解です。『王剣』を奪い、その切っ先を向けるは世界樹。足がかりとして、あなたは無理矢理ブロッキニオ大臣の妃とされるでしょう。王家の維持は国民の望み。今の王家が認めれば国民からもブロッキニオ大臣は認められる、との考えが潜んでいます。ただ、あなたの反応次第では、王家の人間を順番に暗殺してゆくかもしれません。それもこの数日ですぐにというわけではありません。しかし、あなたを妃に迎え次の王として名を轟かせ、着実に力をつけてゆけば、三年以内には晴和王国から世界樹を奪うための戦争を仕掛けられる状態をつくれると思われます」


 そんなに早く……とは思っても、クコは口に出せなかった。ただ真剣に、博士の話に耳を傾ける。


「やはり、王剣を向ける先は世界樹でしたか。博士、もし、晴和王国とアルブレア王国が戦ったら、どうなるでしょうか……」

「二大王国による戦いでは済みません。もう一歩、踏み込んで考える必要がありますよ」


 そう言われて、クコはピンときた。


「同盟国ですね」

「そうです。晴和王国はこのアルブレア王国とも友好関係にありますが、ここが敵対した場合、どうなるでしょうか。晴和王国はメラキア合衆国やガンダス共和国、すうくにとも関係がよく、アルブレア王国はメラキア合衆国とへいくにと関係がいい。ただし、ブロッキニオ大臣の手に落ちたアルブレア王国の背後にれいくにの存在が透けて見えれば、黎之国と敵対しているメラキア合衆国は晴和王国側につきます。敵の敵は味方と言えるように、丙之国もアルブレア王国から離れ、晴和王国側につくでしょう。現状、黎之国が強大であるために、趨之国と丙之国は半協力状態にありますからね。つまり、黎之国とアルブレア王国の連合と、晴和王国とメラキア合衆国とガンダス共和国、それに加えて趨之国と丙之国を相手にする必要も出てくる。と、こう読めるわけです」

「でしたら、勝算を考えると、三年以内に戦争を仕掛けるのは無理なんじゃ……」


 国力の順位で言えば、三国に別れた黎・丙・趨を除いて、メラキア合衆国、晴和王国が第一位と第二位、四大国のうちガンダス共和国さえも敵側になる。それで戦争を仕掛けるほど、ブロッキニオ大臣も向こう見ずとは思えない。

 しかし、藤馬川博士は首を横に振った。


「いいえ。今挙げた国の他にも、世界にはあまたの国があります。どっちつかずの国がたくさん。水面下では、もうそれらの国への働きかけも始まっていることでしょう。しかも、晴和王国は今、新戦国時代です。黎・丙・趨ほど国内での争いが激しくはありませんし、王都を持ち国王を最上とするため一つの国として一時的な協調も期待できますが、この体制に不満を持つ晴和王国内のどこかの国を味方に引き込む策を考えている、とみていいです。メラキアも黎之国からスパイや工作員が大量に入り込んでますから、こちらも国内で二分される可能性も高くなります。ブロッキニオ大臣は、そうやって超規模の戦争を起こそうとしているものと考えられます」

「その第一手として、父の排除とわたしとの婚姻なのですね」

「はい。王剣もあなたの手にありますからね。それに、いもうとぎみはまだ妃にするには若すぎる。クコ王女もお若いですが、序列を考えても、さらに政治的状況を考えても、あなたがアルブレア王国から逃げるのは最良の選択肢なのです」

「政治的状況、ですか」

「それがわかりますか?」


 問いかけに、クコは考える。


「いずれ、世界樹をかけた争いをするために、アルブレア王国を強固にまとめたい……とすれば、わたしがいなくなれば騒ぎになり、国内を乱せる。でしょうか?」

「半分、正解です。ブロッキニオ大臣が権力を握った今、すぐに王女がいなくなれば、その責任は現在の実質的なトップであるブロッキニオ大臣に向けられます。だから、王女の逃走を必死に隠すでしょう。クコ王女もそのほうが都合がいい。外の世界で捜索願が出されることもありませんからね。これが政治的な駆け引きとしての成功見込みです」


 藤馬川博士の言葉には納得しつつも、クコには聞きたいことがあった。


「でも、逃げるだけではわたくしにアルブレア王国は救えませんよね?」

「ええ。よく気づいてくれました。国を救うため、ひいては世界樹を守り世界を救うため、あなたにはやっていただきたいことがあります」

「それは、なんでしょう?」

「救世主――すなわち勇者を、この世界に召喚することです」


 クコは瞳を大きく見開いた。


「召喚。つまり、魔法で喚び起こすのですね」

「世界樹にまつわる伝説として、トチカ文明を聞いたことがありますね?」

「はい」

「トチカ文明の伝承には、遥か昔にも、魔法陣によって異世界人を喚び寄せ、この世界に召喚することにより、世界樹の危機を救ってくださったことがあったといいます」


 藤馬川博士は本を片手に持ち、説明してくれた。


「この伝承は、古代人が書き記したものだそうです。だから、世界樹近隣に住む人々が、トチカ文明の伝承として代々受け継いできたといいます。今の世界樹の危機は、伝承の状況と同じです。救世主に賭ける価値はあると思います」

「ええ、同感です。それでは、博士が魔法陣で召喚してくださるのですね?」


 クコが期待の眼差しを向けると、藤馬川博士は苦い顔をした。


「そうしたい気持ちは山々ですが、勇者を召喚するのは世界樹の下。あなたは晴和王国へゆかねばならない。そして、わたくしはここに残ってブロッキニオ大臣を見張る必要があります。それに、人数が少ないほうが逃げやすい。二人より一人のほうが、逃げ切れる可能性がぐっと上がります」


 ついて行くことはできない、ということだ。

 残念には思ったが、クコはもう、腹を決めていた。


「わかりました。今夜にも、出発しましょう。それまでに、わたくしにやるべきことを教えてください。魔法陣の描き方、召喚方法の詳細、逃げ切り方など。知っていることをすべて」

「そのつもりです。まだ十三歳のクコ王女に重たいものを背負わせてしまって申し訳ない限りです。しかし、世界のためにはクコ王女の力が必要です。頼みましたよ」


 藤馬川博士はいろいろと見越して、すでにやるべきことを書き出してノートにまとめてくれていた。そのノートと見比べてクコは話を聞き、逃げるための準備を整えた。

 夜。

 出発前。

 本当は妹のリラに別れのひと言を残したかったけれど、クコは前日に「お父様とお母様のこと、お願いしますね」と言っていたし、騒ぎを大きくしないためにも、だれにもなにも告げずに出発することにした。

 打ち合わせた場所と時間は、城の裏庭の畑の前に二十四時。

 荷物をまとめてゆくと、藤馬川博士が馬といっしょに待っていた。


「こちらの馬に乗っておゆきなさい。賢い馬です。夜明け最初の便で海を渡ってもらえたらよいので、馬はこの島に置いていってください。あとでわたくしが船着場まで馬を迎えに行きます」

「はい。博士。なにからなにまで、本当にありがとうございます。また会える日がやってくることを祈っています」


 クコの挨拶に、藤馬川博士は握手で応えた。


「クコ王女。必要になるお金も入ってますから、計画的に使ってください。長い旅になるやもしれません。それでは、お達者で」


 小さく会釈して馬にまたがり、クコはさっそくウッドストン城を出発した。

 まだ残暑の続く九月半ばのこと。

 慣れ親しんだ街の匂いが遠ざかってゆく。

 さんざめく星屑をかき分けるように、馬は東へ走る。




 ウッドストン城から船着場までは、馬で六時間ほどかかった。

 途中、馬の体力も考えて休憩も挟んできたが、早朝の船便が出航する一時間前には到着できたから、予定通りである。


「ありがとうございました。おかげさまで助かりました」


 藤馬川博士の馬にお礼を述べて、馬とは別れる。

 クコは船着場でチケットを購入した。

 七時半出航の船である。

 船の旅は、アルブレア王国から直接晴和王国まで行ける便もあったが、クコは予定していたルーンマギア大陸まで行ける便に乗った。直通便は値が張るのだ。それに、どの便か予測されたら、先回りされる可能性もある。

 定刻通りに出航――。

 クコは、その手に希望だけを持って、海へと漕ぎ出した。

 潮風に乗って走る船の上、クコはたなびく白銀の髪を押さえて、甲板からきらめく波を見る。

 波音が胸に広がってゆく。

 新しい風を受けて。

 新しい光を目指し。

 新しい出逢いを求める旅。


 ――ルーンマギア大陸までは近いですから、三時間ほどで行けます。そこからは、地道な長旅になりますね。


 ガンダス共和国からの船で晴和王国まで行くとして、そこまでは徒歩か馬車を探すことになる。

 いつ、世界樹まで辿り着けるだろうか。

 そして、どんな勇者に出逢えるだろうか。


 ――これから出逢うだれかと共に、未来をつかまえるためのわたしの冒険が、今始まったのですね。


 クコは未来に思いを馳せてみた。

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