7 『従妹×飛行』

 クコは心を落ち着ける。


 ――大丈夫。逃げ切れた。姿も見えなかったはずです。しかし、いったいなんのお話をしていたのでしょう……。


 それを考えながら歩いていた夕方、クコはリラの部屋にやってきた。そこには、別の少女もいる。


「……!」


 少女はびくっと肩をふるわせた。

 しかし、クコの顔を見ると安心したようにやわらかい顔になる。


「クコちゃん……」

「あら。ナズナさん。リラと遊んでいたのですね」

「うん」


 と、ナズナははにかむようにうなずいた。


「リラちゃんと……絵を、描いてたの」


 おとなずな

 ナズナは、クコとリラにとってはいとこである。母親同士が姉妹であり、ナズナの父は晴和王国の人間である。つまり、ナズナは生粋の晴和人だった。リラとは同い年で誕生日も二ヶ月しか違わない。そのため、リラとは特に仲がいい。赤みがかった髪をお団子つきのツインテールに結び、聖歌隊のような服を着ている。背中に、天使の羽を思わせる白い翼が飾られているのが特徴である。だが、こうして絵を描いていると、ベレー帽も少し画家を思わせる。

 昨日からナズナはこのウッドストン城に遊びに来ていた。遠い晴和王国から来ているため、連泊になるが、そういうときは大抵リラとずっといっしょにいる。


「二人共、絵を描くのが好きですからね」


 と、クコは二人の絵を眺める。

 お互いの顔を描いた絵だった。胸より上が描かれている。

 基本に忠実で美しい絵を描くのがリラとするなら、ちょっとおどおどしておとなしいナズナのほうが意外に思い切りのいい絵を描く。色の使い方が鮮やかだし、ただの模写より想像力が絵に表現されている感じというのだろうか。


「うん……絵は、好き……。でも、リラちゃんみたいには……上手に、描けない」

「そんなことないよ。ナズナちゃんの絵、リラすごいと思う。リラよりも、想像力が豊かなのかなって」


 えへへ、と謙遜したようにリラは笑う。

 リラもクコ同様だれに対しても敬語を使うが、唯一フランクな話し方をする相手がナズナだった。同い年の幼馴染みゆえである。

 ただ、絵について、クコはどちらが優れているとは思っていなかった。確かに模写ならリラのほうがレベルは上だが、それだけで優劣のつくものじゃない。だから、クコは思ったままに言った。


「絵に勝ち負けがつく場合、それはだれにどんな目的で描いたか、判定するのはだれか、いろんな要素があって決まるのかもしれません。でも、二人のその絵はどちらも相手を想って描いたのが伝わる、ステキな絵ですよ」


 にこりとクコが微笑むと、リラとナズナがうれしそうに顔を輝かせた。


「お姉様。それでは、お姉様を描かせていただいてもよろしいですか?」

「わたしもクコちゃんの絵、描きたい……な」


 二人からの申し出に、クコはうなずく。


「はい。どうぞ。二人共、頑張ってください」


 つい、ここからは勝負になってしまった。


「ナズナちゃん、どっちがお姉様を満足させられる絵を描けるか、勝負しない?」

「……え、……あ……うん。いいよ。ちょっと楽しそう……かも」


 ということで、二人は一生懸命に、しかし楽しそうに絵を描く。リラにいたってはつい歌まで口ずさんでいた。


「リルラリラ~」


 これはよくリラが口にするもので、そのフレーズしかない。短い歌なのである。リラの機嫌のよいときや絵を描いているときに聴くことができる。本人も意識せずほとんどの場合これを口ずさんでいることすら気づいていないのだが、なぜだかクコはこの歌が好きだった。

 三回ほどこのフレーズを聴いて、クコはナズナに話しかける。


「最近はどうでしたか?」

「えっとね」


 と、ナズナから近況を聞いた。

 ナズナは現在、晴和王国の首都、あまみやに住んでいる。王都とも呼ばれる都で、世界最大の人口が集まる街。クコとリラが王都に遊びに行くこともあるから、なじみのある晴和王国の話を聞くのも好きだった。


「ナズナちゃん、いつまでこっちにいるの?」


 リラが尋ねると、ナズナは唇に人差し指を当てて、


「……えーと、一週間……くらい」

「そっか。こっちにいるあいだは、いっぱい遊ぼうね」

「うん……!」


 うきうきしているリラを見て、ナズナはにこにこと微笑んだ。

 絵も描き終わり、判定はクコにゆだねられる。

 毎日デッサンを描くのが日課なほど、リラは地道で絵を描くのが大好きな子である。結果、リラに軍配が上がった。

 ナズナは歌うことやお菓子づくりも好きだが、リラは絵を描くのがとにかく好きな子供だから、日頃から積み重ねてきた部分に勝敗が現れたともいえる。しかし、ナズナは絵については負けて元々と思っているため、ただただ楽しんでいるようだった。ナズナの得意分野は歌なのである。気遣い屋で控えめな性格もあるが、ナズナはリラが楽しそうに絵を描くのを隣で見るのが好きだった。

 二人はすぐに別の絵も描き始める。

 リラはナズナの絵を見て、


「ナズナちゃんの絵、構図が大胆」


 と驚く。


「わたしは……リラちゃんの絵、好きだよ。ちゃんと、向き合ってる絵だと思う」


 向き合ってる、というのも、描く対象と正面から誠実にまっすぐ向き合っているという意味である。やや言葉足らずな部分も、リラにはツーと言えばカーでわかる。


「ありがとう。明日からもナズナちゃんといっぱい遊べるの、リラうれしい」


 アルブレア王国にとどまっている間――ナズナは、クコとは本の話をしたり、リラとは絵を描いたり庭を散歩したり、青葉姉妹とたくさん遊んだ。

 ある昼下がり、三人は庭の木陰で過ごしていた。クコは読書をし、リラとナズナはスケッチブックに絵を描いている。


「リルラリラ~」


 リラは今日もご機嫌にスケッチブックの上で手を走らせる。

 色えんぴつを口に当て、ナズナはリラに言った。


「リラちゃんの絵……すごく、きれい」

「ありがとう」


 楽しそうに絵を描くリラを見て、ナズナは言う。


「絵を描くのが大好きで……絵が上手だから、リラちゃん……絵の魔法とか……いいと思うよ」

「絵の、魔法……!」


 クコも考えつかなったリラの魔法の方向性に、リラは衝撃が走ったような顔になっていた。クコはその顔を見て、リラがこれからどうしていくのか、見てみたくなる。


「リラちゃんには、無限に広がる、キャンバスが……あると思うの」

「リラに、あるのかな?」

「だって、リラちゃんは、こんなに絵が好きだもん。わたしは、歌うのも……好き。だから、歌の魔法……だよ?」


 ナズナは照れたように言った。

 歌の魔法。それがナズナの魔法であった。歌うことで、特定の人を鼓舞して魔法のパワーを増幅させたり、筋力そのものを一時的に強めたりする《ゆううた》。これは、引っ込み思案な自分を勇気づけるためにくちづさんだ歌が創造と名前の由来である。また、癒やしを与えて疲労を回復させたりするなどできる《げんうた》。こちらは、疲れた友だちや家族を元気にしたい、明るく元気な自分への憧憬が創造と名前の由来となっている。

 一見、おとなしくて人前に出るのが苦手なナズナには似つかわしくない二つの歌だが、本人の個性と歌が好きであるがゆえにできた魔法である。自分のためだけじゃなく、人のためになる魔法――そんな点も、周りを気遣う優しい心を持ったナズナらしい魔法だと、クコは思っていた。


「そういえば、お空も飛べるよね」


 リラに言われて、ナズナは背中の羽を動かして空を飛んだ。


「うん。《てん使はね》っていうの。これがあると、飛べる気がして……」

「それもいいな」


 楽しそうに空を飛ぶナズナと、それをまた楽しそうに見上げるリラ。

 ナズナは、いわゆる多重能力者といえる。この世界においては、まったく関連のない二つ以上の魔法を扱える者は少ない部類に入る。


「皆様、おやつの準備が整いましたよ」


 メイドのメーベルの報告を聞き、クコはリラとナズナの二人に声をかけた。


「二人共、おやつにしましょう」


 おやつを食べて、また遊ぶ。三人はいつもいっしょにいた。

 そして――。

 あっという間に、一週間は過ぎた。


「また……あそびに来るね」と、おとなしい声で言って、ナズナは両親といっしょに晴和王国へと帰っていった。




 それから約二ヶ月後、クコは母と妹といっしょにおやつを食べていた。週に一度の母と娘のお茶会である。

 アルブレア王国のアフタヌーンティーは、現代のイギリスのような優雅な雰囲気だった。

 ここでは、メーベルが立ったまま控えている。

 クコがスコーンにたっぷりのクロテッドクリームを乗せて頬張ったところで、母は言った。


「ねえ、クコ。そういえば、クコは古代人が登場する昔話の本が好きだったわね。今朝、本棚の整理をしていたら見つけたのよ。よく話して聞かせた本」

「あら。そうでしたか? ぼんやりとは覚えていますが」


 と、クコはにごす。ほっぺたにクリームがついてしまっている。藤馬川博士から秘密にするよう言われた手前、古代人の話を避ける形になってしまい、正直なクコは動揺してしまっていた。

 リラはなにも知らぬ純粋な顔でおっとり笑う。


「お姉様ったらクリームがついてますよ」

「クコ王女。失礼します」


 とメーベルがクコの口元を拭ってくれる。


「ねえ、お姉様。今度、お母様にまた聞かせてもらいましょうよ。リラはそのようなお話、聞いたこともありませんもの」

「いいわね。じゃあ、来週のお茶会で二人に話して聞かせてあげるわ」


 アルブレア王国の王妃である母ヒナギクは、愛情が深くたおやかな人だった。

せいさいえんあおひなぎく

 晴和王国出身であり、長い黒髪が美しい。クコは父に似て白銀の髪を持つが、リラは母親に似てつやつやとした黒髪である。背も高く一六五センチほど。立場に反していつも質素でつつましい服装をしている。そこが国内では、華麗に着飾らない気取らなさで人気を集め、誠実で謙虚な人柄は国民の見本になるとも評判だった。ヒナギクはクコにもリラにも常にやさしく、一番身近な姉妹の憧れでもあった。同時に、クコの話をよく聞いてくれる、一番の理解者でもある。

 しかし、この古代人の話だけは避けたかった。母がブロッキニオ大臣に目をつけられるのが怖かったからである。

 どう反応していいかわからず、クコは黙ってしまう。

 ヒナギクはクコの表情からなにかを感じ取ったのか、席を立ってクコの頬にそっと触れる。


「あなたが心配することないの。大丈夫よ、きっと」

「……」


 触れられ、そうしゃべりかけられると、クコの心は柔らかくなった。

 精神系の魔法《精神保養キュア・ハンド》。

 手で触れた相手と心を通い合わせ、心身を癒やし健康を保つものである。


「大丈夫」


 もう一度言われて、クコは笑顔でうなずいた。


「はい」



 そのあと、クコが授業にのぞむと、藤馬川博士が聞いた。


「どうかされましたか?」

「実は――」


 と、さっきの話をした。すると、藤馬川博士は小さく笑った。


「大丈夫です。その程度でしたらブロッキニオ大臣も気にしますまい。それより、王様の体調が気がかりですね。もしかすると、そちらが引き金になるやもしれません」

「引き金……?」


 そこまで話を聞いて、クコは予感した。


「虚栄心と権力は、政治と歴史において結びつくことが多くあります。もしや、お父様の体調が優れないことで、大臣たちが代理で国を動かしていることが問題なのですか? つまり、その中でも、ブロッキニオ大臣がお父様から権力を簒奪しようと企んでいるかもしれない、と」


 藤馬川博士はうれしそうに笑みを浮かべる。教え子の成長を喜ぶような笑みだ。


「学んだことが身についていますね。すばらしい分析です。ただ、もう一歩だけ、現状は踏み込んだところにいるのです」


 どういうことだろうと思っているクコに、藤馬川博士はすぐ解答を出した。


「ブロッキニオ大臣が王様から権力を簒奪しようと企んでいたのは、ずっと前からでした。さらに、最近ではそれが表立った行動に出ている。このままでは、王様の体調が今より優れない状態になったら、一気に行動に出るやもしれません」


 フラッシュバックする記憶があった。

 ある日偶然、クコが廊下で聞いた会話。それが結びついて、謎かけが解けたのである。


「博士。わたし、心当たりがあります。以前、廊下でブロッキニオ大臣とれいくにの使者・じょうちょうさんの会話をうっかり聞いてしまったことがありました。そのときはなにを言っているのか、意味をつかみかねました」

「ほう。なんと言っていましたか」


 そう遠くないうちに、おうけんもワタシの物となろう。王剣『聖なる導きの王剣ロイヤルキャリバー』が、というところから、そのためにじょうちょうがやって来たこと、あのつるぎは青葉家が持つには重すぎる代物だと言われたこと、錆びた剣は研がねばならないと言ったこと、黎之国も共に研磨してくれと言ったことを語った。

 クコは自らの考えを述べる。


「あれは、謎かけだったのだと思います。魔法によって、どこでだれに会話を聞かれているかわからない。それゆえ、暗喩とした。その意味は、『おうけん』はつるぎではなく権力としての『おうけん』を指し、それを手に入れることは王家乗っ取りを企んだものです。そして、『錆びた剣』は長きに渡り王家であり続けた『青葉家』を、『黎之国も共に研磨するように』との言葉は、権力を簒奪したのちに、『共に国を支配しその体制をつくってゆくこと』を暗示させました。つまり、黎之国は協力者なのでしょう」

「ええ。話を聞いた限り、わたくしの推測と同じです。手入れするとは、王権に手を入れて国家体制を変える意味もありましょう。磨き上げたのち、その剣を、どこへ向けるのか」

「では、どうしましょう……」


 困惑するクコ。

 藤馬川博士はつとめて落ち着いた声で言った。


「もしものときは、いち早くわたくしがクコ王女に助言をします。それまでは、より多くの学びを得てください。それがいずれ、あなた自身を、そしてこの国を救うことにつながります」


「わかりました」


 クコはしかとうなずいた。

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