6 『博士×歴史』

 翌週、新しい家庭教師がきた。

 クコにとってはめずらしい出で立ちの先生である。着物を優雅に着こなした、おじいさんだった。年は六十を過ぎているだろうか。短い黒髪にいくらか白髪もまじっていて、全体がグレーに見える。その上にベレー帽をかぶっている。


「晴和王国の方ですか?」


 着物といえば、晴和王国の衣装である。思わず聞いたクコに、先生はおだやかにうなずく。


「はい。わたくしはふじがわりょうへい。晴和王国では歴史の博士をしていました」


 実は、クコには、晴和王国とアルブレア王国という二つの国の血が流れていた。クコの母が晴和王国出身だったのである。もっと言えば、アルブレア王国の王家には、晴和王国の血が祖父の代からすでに流れていた。曾祖父も晴和王国の人間だったためである。そのため、クコはすぐに藤馬川博士に共感を抱いた。自然、話を聞きたくて気持ちが前のめりになる。


「博士でいらしたんですか」

 

クコの両親が選んだ先生は、『しんじつれきがくしゃ』と言われる博士であった。読書家の博識で、様々な分野にも通じている上に、これまで考古学などいくつかの学説を証明してきたゆえである。考古学も歴史学に含まれるし、生物にも詳しい。


「『真実の歴史学者』などとも呼ばれておりますが、そんなたいそうな人間ではありません」

「いいえ。とても素晴らしいです。お父様とお母様は、よい博士と巡り合わせてくださいました」

「恐れ多いことです。ただ、わたくしのことは、博士と呼ばれても構いません。わたくしは先生としてものを教えるつもりはあまりありませんからね」

「え?」


 と、クコは驚く。


「クコ王女自身が見て聞いて、ご自分の力で学びを得るのです。いいですか? どんな人、どんなことからでも、自分次第で学びを得ることはできます。ですから、周囲のすべての人はあなたにとって先生なのです。そう思って行動なされよ」

「博士の言いたいこと、よくわかりました。心得ておきます。そして、わたしも先生ではなく博士と呼ばせていただきますね」


 そんなやりとりがあり、会ったその日から、クコは彼を先生ではなく博士と呼んだ。

 藤馬川博士は、初日は挨拶だけで済ませて授業を終えた。

 翌日からはいろんな話をクコにしてくれた。


「遙か昔、世界樹がなかった時代――古代人は、今よりも科学の進んだ世界を生きていました。とてもわたくしたちには考えつかないようなものが、たくさん存在していたのです」

「科学がそれほどまでに発展するなんて、素敵な世の中だったのでしょうね」

「そうとも限りません。戦争が科学を発展させる側面もある。それも大幅に。強力な科学は戦争の規模すら大きくし、大規模の戦争は被害者の数も増やします。陰と陽の部分を持っていたというだけの話です」


 クコはやや目を伏せ、悲しげな顔をする。

 藤馬川博士は、この少女の素直な心を見て、すぐに優しい笑顔を浮かべて言った。


「戦争などによる危機意識から生まれるものもあれば、安全で快適な生活をよりよくしようとするものもある。争いばかりでは、科学へ情熱を傾ける時間もお金もいつか足りなくなります。我々には思い描けない素敵な世の中は、必ずあったはずですよ」

「なるほど! そうですね」


 理解して、気になっていたことを問いかける。


「博士。わたし、古代人についての話を知っている方には出会ったことがありません。世界樹のない時代や古代人のことは、いつも本で読むだけで、作り話だとさえ前の先生には言われていました。古代人がいたというのは、本当だったのですね?」


 古代人についての興味をふくらませるクコに、『真実の歴史学者』藤馬川博士は淡々と答える。


「もちろん。わたくしが研究していたのが、主に古代人と《MAGIC×ARTS》に関してです。今の暦……創暦が使われるようになった頃には、世界樹が《MAGIC×TREE》と呼ばれていたこともわかっていますし、それは古代人が残した呼称だと研究されております。古代人は確かに存在していたのです。一万年以上昔のものと思われる人間の骨も、つい最近になってアルブレア王国で発見されました」

「歴史に思いを馳せるのはとても好きなんです。わたしはうれしいです。しかし、博士。人骨の話は聞いたこともありません。なぜニュースにならないのでしょう?」

「よいところに気づかれました。自ら疑問を持つこと、それは学びにはもっとも大事なことです。どのようなささいなものでも、不思議を見つけることはそれだけで人間の智恵を磨いてくれるのです」

「はい。覚えておきます」


 クコの素直な目を見て、藤馬川博士はもう今日の授業は成果があったと思えた。だが、話すべきことはある。


「さて、ニュースにならない理由は、確かにあります。それは人間の心理に関係があります。このアルブレア王国は、メラキア合衆国、晴和王国、ガンダス共和国と並び、世界の先頭を歩く国です。中でも古く深い歴史を持つのが、晴和王国とアルブレア王国です」

「そう学びました」

「この二大王国は世界の文明をリードしておりますが、これを、すべて自分の手柄にしたいと思っている人間が一部にいるのです」


 クコは小首をかしげた。


「古代人に関する知識を与えないことが、どうして自分の手柄になるというのです?」

「少し考えればわかることですよ、クコ王女。古代人のことを我々はほんのわずかだが知っている。それはつまり、古代人が礎を築いたからこそ、それを利用してその上に自分たちは文明を発展させることができたのです」

「なるほど。虚栄のためなのですね」

「ええ。その虚栄には、国民たちからの信頼を得る効果があります。この人に国を任せれば、もっと豊かに、幸せに、文明的になれる。そう思わせる効果がね。そんなつまらないもののため、歴史を書き換えようとする輩が、ほんの一握りいるのです。そしてそれは、ブロッキニオ大臣です」

「まぁ。そんな近くにいたのですか」

「当然です。驚かれることはありません。この王国の中で、いや世界の中で、そんなことができる権力を持つのは四大国の有力者以上ですからな。その四大国以外では、れいへいすうにわかれた旧大国・そうは、三国時代にあります。アルブレア王国はへいくにと友好関係にありますが、危険な野心を持つれいくにの者には警戒が必要です。黎之国の上層部にいる、ほんの一部です。ただ現状では表立ってはその動きも見られない。黎之国も含め、彼らに古代人に関する資料を捨てさせないようにすることが、わたくしがこの国までやってきた目的なのですよ」


 藤馬川博士はそんな調子で、古代人という存在のことをクコに話してやった。クコはこの古代人の話が好きだったが、博士にこう言われた。


「くれぐれも、わたくしが話したことをだれにもしゃべってはなりませんよ。いもうとぎみにさえ、しゃべってはいけません」

「わかりました。話が漏れては博士の研究のお邪魔にもなりますし、ブロッキニオ大臣がわたしの知識を知ったとき、どんな行動を起こすかわかりませんからね」

「そういうことです。ですが、この状況を見ると、どうやらあまり時間がないようにも見える」


 思わせぶりなつぶやきに、クコは首をかしげた。しかし今聞くべきことではないと、声の調子でわかった。



 それからの毎日は、藤馬川博士も自らは古代人の話はしなかった。

 クコは楽しみに待っていたが、


 ――明日、ちょっと聞いてみましょう。古代人の文明について、興味が尽きません。


 そう思って廊下を歩いていた。

 茜色の西日が射し込む廊下で、足が止まる。

 部屋の中から、声が聞こえる。

 ブロッキニオ大臣の部屋だった。クコは黙って部屋の壁に近づき、耳を傾けた。気がかりな話をしていたのである。


「そう遠くないうちに、おうけんもワタシの物となろう。王剣『聖なる導きの王剣ロイヤルキャリバー』がな」


 疑問がクコの頭に浮かぶ。


 ――王剣『聖なる導きの王剣ロイヤルキャリバー』は、アルブレア王国王家、すなわち青葉家が代々受け継いできた剣です。今はわたしが持っています。国王夫婦が、次代を担う我が子に与えると、国を守るよきパートナーを導いてくださると伝承される王の剣。それを、なぜ……?


 今度は、ブロッキニオ大臣とは別の人間の声が答える。


「ええ。そのために、こうして黎之国よりこのじょうちょうがやって来ているのです。あのつるぎは青葉家が持つには重すぎる代物。ブロッキニオ様の手にあってこそ、磨かれるというもの」

「王剣が今の青葉の物となり、何百年になろうか。手を入れることもせずにいるから錆びるのだ。錆びた剣は研がねばならない。だれかがやるその手入れを、ワタシがやるというだけのこと。王剣が我が手に治まったときには、黎之国も共に研磨してくれよ」

「もちろんです」


 会話が途切れたような気がしてドアに耳を当てようとしたクコだが、


「だれだ!」


 中から常子澄の声がとがめた。

 慌てて、クコはその場から逃げ去る。ドアが開く音がしたときには、クコは廊下の角を曲がって姿を消していた。



 部屋の中では、ブロッキニオがクツクツ笑っていた。


「この謎かけを解いた上で、我が手に落ちてくれる賢女であれば、どれほどよいか。だが、あれは愚直な『純白の姫宮ピュアプリンセス』。期待はできまい」


 そのつぶやきは、むろんクコが知らないもので、サツキに見せているクコの記憶にはないものだった。

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