5 『乙姫×構想』

 あおは、世界でもっとも大きな大陸であるルーンマギア大陸より西にある島国、アルブレア王国の王宮に住んでいた。

 アルブレア王国は、国花がバラ、イメージカラーはロイヤルブルーになる。

 前国王であった祖父と祖母は亡くなったが、両親、それと妹がいたから毎日を不自由なく楽しく過ごしていた。クコは王女だったからおもちゃも本も服もたくさん与えられた。しかし、勉強もしなければならなかった。

 地理の勉強では、世界の国についても学んだ。

 クコが見た地図の記憶を映像として見せられたサツキは驚かされる。なんと、地図はそのままサツキが知っている世界地図そっくりなのである。日本がユーラシア大陸から少し東に離れていたり、地形に違いがあったり、地中海に知らない島があったり、細かな相違点はあるが、おおよそサツキの世界の地図に当てはめて考えればよい。それによれば、ルーンマギア大陸はユーラシア大陸、アルブレア王国はイギリス、せい王国が日本に該当した。

 そして、アルブレア王国における国王の城は、ウッドストン城。

 この城があるのは、南西の都。

 中世の騎士道物語で有名なアーサー王伝説にまつわる城として登場する、ティンタジェル城のあったあたりである。

 アルブレア王国のウッドストン城から、遠い晴和王国まで――クコがたったひとりで目指すことになったきっかけをつくったのが、新しく家庭教師につくことになる先生だった。

 旅立つ少し前のことである。



「わたくしたちの先生が替わられるそうですね」


 妹のリラは、絵を描いていた手を止めた。

 あお

 セミロングの艶やかな黒髪がまっすぐ伸び、花の形をした髪飾りが縦に二つ並んでいる。清らかな顔立ちがクコとよく似ており、ぱっちりと大きくルビーをはめ込んだような瞳も姉同様に明るい性格を思わせる。

 リラは絵を描くのが好きで、時間さえあれば筆を持っている子だった。そのせいで『画工の乙姫イラストレーター』とあだ名される。そんなリラの部屋にはキャンバスがいくつもある。鉛筆や色えんぴつでスケッチブックに描くことも多かった。

 今もキャンバスに鉛筆で絵を描いている。クコはベッドに腰を下ろして息をつく。


「残念ですが、お年ということでは無理はさせられませんからね」

「きっとよい先生が来てくださいます。リラはそう思います」


 リラの笑顔を見て、クコは微笑みを返す。


「そうですね。リラがそう言うのなら、きっとよい先生です」

「リラもお姉様といっしょにお勉強できたらうれしいのですが、どの科目もお姉様の学ばれている内容はわたくしにはむずかしいです」


 少しおどけたように品よく笑うリラ。

 年は、クコよりも二つ下になる。その差は学問においては大きい。この世界の学年制もサツキの世界の日本と同じで、学年の切り替わりが四月になる。学年二つ分も違えば、同じ先生に教えてもらっていても、授業は別だった。

 クコは「おいで」とリラをベッドに招き、そっとひざまくらする。


「魔法の勉強だけは、そうとも限りませんよ。大切なのは日々の訓練です。魔力をコントロールする練習、想像力をふくらませて自分の魔法を創造する練習。リラがいつも絵を描くうえでやっていることです」


 リラには絵の才能があった。クコはそう思っているが、リラ本人としては好きで描いている趣味のようなもので、たくさん描いてきた結果、上達したものでしかないと考えている。ただ、リラは魔法が苦手だった。


「リラには楽しめる力と、集中力があります。そして、魔法の修業は二人でもできます」

「お姉様」


 と、リラは笑顔を見せるが、悩み顔になってつぶやく。


「でも、どんな魔法にしようかしら。リラは迷っています。お姉様のようなテレパシーの魔法もステキですが、リラはお姉様にできないことをできるようにして、お姉様の力になりたいのです」

「ゆっくり考えればいいですよ、リラ」


 やさしく頭をなでて、クコはリラに魔法に関する知識を見せるように記憶を見せた。妹に知識を分け与えながら、自分も魔法の練習とする。そんなことを週に何度かしていた。クコは妹にものを教えたり世話を焼くのが好きなのだが、日常的なお世話はメイドたちがやる。だから、クコがリラにしてやれるのはそれくらいなのである。

 今もメイドがドアをノックした。


「クコ王女、リラ王女」

「はーい」


 クコが返事をして、リラが起き上がると、二十代前半のメイドがドアを開けて部屋に入ってきた。


「メーベルさん。どうされましたか?」


 帆隈取鳴経ホワイトリー・メーベル

 青葉家で奉公しているメイドの中でも、クコとリラのお世話を担当している。

 ふんわりした雰囲気のお姉さんといった感じで、クコより十歳上、リラよりは十二歳上になる。

 背が一七二センチと高めで、リングのように結ばれた髪が特徴だった。

 メーベルは微笑みを携え、


「お風呂のご用意ができました。ご夕食の前にお入りくださいませ」

「はい」


 クコが返事をし、リラが立ち上がった。


「では、お風呂に入る前にこの絵に色をつけてしまってもいいでしょうか」

「どうぞ」


 浴場は広いから二人いっしょに入ることもできるが、クコが入って少ししてからでもいい。そのためメーベルが答えると、リラは絵の具をパレットに取り出した。


「今日は絵の具の気分です。手についてもいいように、お風呂の前に」


 そして筆を濡らして絵の具をつけたまではよかったが、


「リラ、こっちのキャンバスではないんですね」


 不意にクコから言われて、リラが振り返ると筆についた絵の具が飛び散ってしまった。

 クコの髪に青い絵の具がついてしまう。


「すみません、お姉様」

「いいえ。大丈夫です。今からお風呂ですから」


 しかし、メーベルがとことこ歩いて来て、クコの髪を確認すると優しく言い聞かせるように笑いかけた。


「いけませんよ、クコ王女。お顔やお体なら落としやすいけれど、髪は落ちにくいのです。そのままお待ちくださいませね」

「はい」

「《シャボンクリーン》」


 素直に固まっているクコを前にして、メーベルは両手の中に空気を含ませるような形で指を合わせ、それから指を離して腕を広げる。

 すると、両手の中にシャボン玉が出現した。

 両の手が針金の枠のような役目を果たし、シャボン玉が両手に留まっているのである。


「では、綺麗にしますねえ」


 大きなシャボン玉でクコの頭を包み、通過させる。すると、クコの髪の汚れが綺麗さっぱり落ちてしまっていた。


「ありがとうございます」

「メーベルさんの魔法はすごいです」


 リラはメーベルの魔法《シャボンクリーン》に感心する。


「シャボン玉の中を抜けた物は、殺菌・除菌・消臭・抗菌される。ゴミや汚れ、シミ、カビ、黄ばみなども落ちる。水分や油分でべたつくこともなく、布から紙、人までなんでも綺麗にできる。本当に重宝する魔法ですよね」


 と、クコも魔法の解説をしつつ称賛した。


「私の魔法など、役立てる場所も限られます。リラ王女は、魔法のお勉強の調子はいかがです?」

「まだどんな魔法がよいのか、迷っています。リラも、人のお役に立てる魔法に憧れます」

「きっと、リラ王女なら人に喜ばれる魔法を創造できますよ」

「はい」


 リラがうなずくと、メーベルもうなずき返した。

 クコもリラの魔法のことを考えていたら、お風呂に入るのをすっかり忘れていた。

 さっそくリラは絵に色をつけてゆく。


「お風呂のこと忘れてました」


 やっとクコがお風呂に入ることを思い出すと。

 開きっぱなしのドアから、別の顔が覗く。


「メーベルさん。王女様方はまだでしょうか」

「あ、ドーラさん。すみません、少し話していたんです」


 ドーラと呼ばれたのは、メーベルの後輩に当たるメイドである。

 等奈万萄羅ラナマン・ドーラ

 彼女もクコとリラの世話係で、年はメーベルよりも六つ下の十代後半。

 ふっくらとした豊かな身体つきで、鼻は低めだが目がぱっちりと大きく愛嬌がある。背は一五七センチほど。


「そうでしたか。リラ王女はまた絵を描かれてから入るんですか?」

「はい」

「いつも熱心なことです」

「でも、そろそろ終えようと思います」

「わかりました」


 ドーラのメイド服の腰の左側には、ひもでつないだコップが下げられている。円錐台を逆さにした形状である。それを手に取って、


「お部屋の掃除はアタシどもがやっておきますので、王女様方はどうぞ浴場へ」


 とコップをベッドの上を滑らせるように動かす。ベッドに触れずにその上を動かしているのだが、これには意味があった。


「《ペアリングカップ》もお掃除にうってつけの魔法ですね」


 リラが絵を描く手を止めてつぶやくと、ドーラが笑った。


「お二人とも、あまりお部屋を散らかさないので助かってますよ」

「カップから物を吸い込み、吸い込まれた物が対になったカップに転移される。吸い込む対象は念じた物だけ。私も欲しいくらいです」


 と、メーベルが品よく微笑む。


「メーベルさんの魔法には及びません。アタシの場合、ちょっとかっこ悪い仕掛けもしておかないといけませんので」


 クコは城内のゴミ箱の一つを思い出す。


「逆さに下がっているカップのことでしょうか」

「ええ。ゴミを吸い込むのにばかり使っているから、ゴミ箱の上にあんな形で逆さに下げておかねばならないのです。サイズの大きな《ペアリングバケツ》の対のバケツは、ゴミ捨て場ですしねえ」


 自嘲するように照れ笑いを浮かべるドーラだが、リラは筆を置いて、


「描けました! タバサさんを呼んでいただけますか? わたくしの収納にしまっておいてもらいたいのです」

「わかりました」


 メーベルが廊下に顔を出して、ポケットから取り出した鈴を鳴らした。


「タバサさーん」


 呼ばれてすぐ、タバサがやってくる。


「はい。お呼びでしょうか」


 押盆束早オズボーン・タバサ

 メーベルやドーラ同様、クコとリラのお世話を担当するメイドである。メーベルの後輩で、ドーラの先輩になる。年はドーラの一つ上。背は一六四センチ。ドーラとは反対に細身の身体つきをしている。西洋人らしい彫りの深い顔立ちで、高くて形のいい鼻を持っている。


「こちら、リラ王女が描かれた絵です。いつもの収納にお願いしますね」

「承りました。綺麗な絵ですね」


 褒められてリラがありがとうございますとお礼を述べる。


「では、そのまま持っていてくださいますか」

「もちろんです。どうぞ」


 タバサは人差し指をすっと伸ばして、メーベルの持つキャンバスに当てた。


「ありがとうございます。《フライングプッシュ》」


 人差し指でキャンバスを押すと、キャンバスは空中に浮いた状態で静止する。


「失礼します」

「よろしくお願いいたします、タバサさん」


 リラの言葉にタバサは会釈して、空中に浮いたキャンバスを指先で押したまま部屋を出て行った。


「いつもタバサさんの魔法にはお世話になっていますが、重量五キロ以内の物であれば空中に浮いた状態で物を運べる《フライングプッシュ》も魅力ですね。指先ひとつでコントロールできるんですもの」

「うふふ。タバサさんは、リラ王女のお役に立ててうれしいと言っておりましたよ。リラ王女は、彼女とはまた違った形で人のお役に立てる魔法をお探しになるのがいいと思います」

「はい。そうですね。いつかわたくしがタバサさんのお役に立てるようになりたいです」


 クコはそんなリラを姉としての優しい目で見つめ、それから声をかけた。


「リラ。では、お風呂に入りましょう」

「はい」

「ごゆっくりどうぞ」


 とメーベルが笑顔で言って、クコとリラは二人でお風呂に入ったのだった。

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