4 『記憶×額』

 正午まではもう少しだった。

 懐中時計《世界樹ノ羅針盤マジック・クロノグラフ》を見て、クコはサツキに聞いた。


「どうします? 一度、休憩しましょうか?」

「そうだな。夜中もずっと歩きづめだったし、少し身体を休めてもいいかもしれない。でもその前に、食事にしないか?」

「そうでしたね。朝食もまだでしたし、栄養補給は大事です」


 ということで、二人は食事処に入った。

 定食屋のような感じである。書かれているメニューも日本語だからサツキにも読める。サツキのいた世界のメニューもあった。


「サツキ様。決まりましたか?」

「俺はカツ丼で」

「カツ丼、おいしいですよね」

「うむ。好物のひとつだ。クコは?」

「ではわたしもカツ丼にします。食べたくなってしまいました」


 注文を済ませてしばし待つと、カツ丼が運ばれてきた。みそ汁と漬物がついている。


「サツキ様、お箸の持ち方は知ってますか?」

「むろんだ。知ってる。俺の世界でも使ってた」

「そうですか。知らなかったら食べさせてあげようと思ってたんですが」

「よせ。自分でできる」


 サツキは内心、恥ずかしいからなしだと思う。

 うふふ、と楽しそうにクコは笑う。どうしてか、この少年を相手には、無性に世話を焼いてあげたくなるのである。食べさせてあげられなくて残念だが、照れを隠そうとしているサツキがかわいらしくてつい頬が緩む。



 サツキはさっそくカツ丼を食べたが、元いた世界のものとなんら違いがなく、この店の味つけもよかった。おなかが減っていたからすぐに平らげてしまった。


「ごちそうさまでした」


 先にサツキが食べ終わり、窓の外を眺める。

 クコも味わいながら食べて、最後の一口を飲み込んだとき、サツキはまだ窓の外に目を向けていた。その視線の先をクコもたどっていると、そこには小鳥が止まっていた。


 ――サツキ様、動物が好きなのでしょうか。あら……?


「サツキ様、瞳が緋色になっています」

「ん? ああ、小鳥にも魔力の流れがあるのかと思ってな。ちょっと試していた」

「ありますよ。この世界の動物たちは、自然に魔力を使っているのだそうです。博士が言っていました」

「そうか」

「中には魔獣と呼ばれる動物もいます。元々は普通の動物だった子が魔獣になることが多いようですね。精霊も魔力の効果を受けていて、一般的には人間にとって良い存在ですが、まれに危険性の高い精霊もいるそうです。気をつけないといけません」

「精霊もいるのか。ふむ。そうだな、気をつけよう」


 クコはお茶を飲み干して手を合わせる。


「ごちそうさまでした。サツキ様、ではそろそろ行きましょう」

「うむ」


 店を出て歩いていると、サツキはあくびが出た。


「サツキ様。宿で少しお休みしましょう」

「ああ。休憩してもいい頃だな」


 ふっと、サツキがクコを見た。

 その瞬間、クコがつんのめるようにして体勢を崩す。

 サツキはまばたきした。即座にクコの肩へと手を伸ばして支えようとするが、クコは踏みとどまった。


「えへへ。すみません、どうも疲れているようです」

「すまん」


 サツキの言葉と自身の前屈みな体勢に、クコはスカートを抑えるようにお尻に手をやった。恥じらうように顔を赤らめ、


「い、いいえ。こちらこそはしたないところを……」


 と答える。しかし振り返ると、うぶなサツキらしくもなく、クールでまったく気にした素振りも見せない。なにか考え事をしているようでさえあった。


「……」


 クコは、そんなサツキの顔も直視できず、恥ずかしさをごまかすように慌てて視線を泳がせていると、ちょうど宿屋を発見した。

 道の右側、少し坂をのぼったところに、大きめの宿屋がある。


「あ、宿がありますよ。入りましょう」


 さっそく、二人は宿屋に入った。



「サツキ様。今夜はここに泊まってもよろしいでしょうか?」

「問題ないと思う」


 道中、世界樹ノ森を出てから約一日で行ける村がいくつあるかクコに尋ねたが、進行具合などによってはこの方面だけでも十以上あるという。例の魔法道具《地図をなぞる者マップトレーサー》を使っても、追っ手の騎士がこの村のこの宿を突き止めることは難しいだろう。

 宿屋の受付に一晩泊まらせてほしいと頼み、二人は部屋を一つ借りた。一人一部屋は贅沢だ。長旅において節約は大事である。

 部屋は二階。和室だった。完全な日本風というよりは、江戸時代の末期と明治時代や大正時代が合わさった感じだろうか。


「ごゆっくりなさいませ」


 仲居さんが部屋から出ると、サツキは腰を下ろした。


「本当は互いに話をしていろいろと把握したいところだが、今は仮眠をとろう」

「はい。ここは畳部屋の和室ですが、スノコのベッドがあるんですね」


 スノコのベッドはやや低めで、高さは三十センチに満たないほど。その上に布団が敷かれている。二つのベッドは部屋の左右に分かれて配置され、真ん中がテーブルになる。小さな屏風や掛け軸には雰囲気があって、安らぎくつろげる空間だった。


「うむ。いい風情だな。クコ、俺は布団に入るときは風呂に入ってからじゃないと落ち着かないんだけど、浴室は部屋にあるかな?」

「はい。ありますよ。でも、せっかくですから温泉に入りませんか。大浴場がありますよ」

「そうだな。入ろう」


 浴衣を持って、二人は温泉に入りに行った。

 露天風呂もあり、この宿では展望露天風呂と呼ばれ、昼間に見る眺めは格別で、連なる山々も見られる。前方には川もあるが、振り返れば世界樹も見える。世界樹はやはりとてつもなく大きかった。

 サツキが温泉を出て、浴衣をまとい、部屋に戻ろうと歩き出したところで、後ろから声をかけられる。


「あら。サツキ様も今上がったんですね」


 女湯ののれんをくぐってきたクコがにこりと微笑む。


「戻るか」

「はい」


 廊下を歩いていると、仲居さんとすれ違う。


「お湯加減いかがでしたか?」


 クコは笑顔で答える。


「はい。とてもよかったです。昼間だったので眺めも素敵でした」

「それはようございました。また温泉には入られますか?」

「はい。もしかしたら寝る前に一度、あとは明日の朝に入れたらと思っています」

「では、のちほどお部屋にタオルをお持ちしますね」

「ありがとうございます!」

「ぜひ何度でも温泉を楽しんでいってくださいませ。それでは」


 丁寧に頭を下げて、仲居さんが通り過ぎてゆく。

 部屋に戻り、二人共すぐに横になった。

 サツキが眠りについてしばらくして、くぅとサツキの小さな寝息が聞こえてくる。クコはサツキの布団をかけ直してやると、自分もだんだんと落ち着いて眠りに入っていった。



 目が覚めたとき、もう外は夕暮れ色に染まっていた。

 先に目を覚ましたのはサツキである。

 サツキは窓際に座り、窓から見える夕暮れの山々を眺めていた。

 クコが起きると、サツキが振り返っておはようと言った。


「おはようございます。起きてらしたんですね、サツキ様」

「ああ。ついさっきな」

「もう夕方でしたか。食堂があるので、食べに行きませんか」

「寝てるだけでもお腹は減るしな。行くか」


 食堂。

 バイキング形式になっており、自由に席につき、好きな料理を持って来て食べることができる。お腹をすかせた旅人も多いから、喜ばれることだろう。


「わあ。バイキング、いいですね」

「どれも美味しそうだ」

「サツキ様はなにを食べますか?」

「とりあえず、せっかくなら食べられるだけなんでも食べたいぞ」

「わたしもです!」


 肉料理、魚料理どちらもしっかりと皿に載せ、天ぷらや寿司もあったのでそれはまた別の皿に取った。また、湯波もあった。


「湯波とは風流だな」

「この辺りの名産の一つですからね」

「お寿司も美味しいし、ハンバーグもカレーライスも美味しい。こんなに贅沢していいんだろうか」

「今日は特別です。明日以降の宿は節約しましょう」

「うむ。それがいい」

「実は、それでもこちらの宿は良心的なお値段なんですけどね」

「そう聞いて少し安心したよ」


 なんでも皿に載せるのはサツキもクコも同じで、二人共そろって食いしん坊なところがあった。クコは焼き魚の骨をきれいに取りながら食べる。


「しかし、クコは箸の使い方が上手だな」

「お箸を使う文化がない地域は少ないですよ、この世界では」


 へえ、とサツキは少し驚く。

 クコの母は晴和王国の人間だと言っていたから、アルブレア王国とのハーフということになる。日本的な晴和王国では和風な食文化もあるようだし、クコは特に慣れている可能性もある。


 ――でも、もしかしたら晴和王国以外でも焼き魚や納豆を食べられるだろうか。味噌汁も飲みたい。うむ、やっぱりクコは和食も食べ慣れているし、ちょっとはありそうな気もする……。


 サツキが考えていると、クコがほんのり顔を赤くして、


「あんまりじっと見られるのは、わたし、慣れていません」


 と恥じらいを見せた。

 そこでサツキは我に返る。


「……ごめん。考え事をしてた」

「いいえ」


 あんまり真面目な顔をして言うサツキを見て、クコはおかしそうに笑った。サツキはしっかり者に見えてどこか抜けた空気を持っている。真面目でクールなのに物腰がどこか穏やかというか、柔らかさがある。それがクコにはほっとするようなほっこりするような、心地よい風通しに感じる。

 食事も終えると、二人は部屋に戻った。

 外はそろそろ、夕日が沈みかける頃。

 空は鮮やかな紫色。

 テーブルを挟み向かい合って座椅子に座り、サツキが切り出した。


「さて。クコ。さっそくこの世界のことやアルブレア王国のこと、いろいろ教えてもらうぞ。知ることで、俺でもなにかの助けになるかもしれないからな。逆に、俺に聞きたいことがあればなんでも答える」

「はい。サツキ様は効率的なほうが好きですよね?」

「ああ。記憶を見せる魔法、だっけか」


 と、サツキは察しがいい。クコの意図がすぐに伝わった。


「そうです。額に手を当てると、相手にわたしの記憶を見せることができます。《記憶伝達パーム・メモリーズ》といいます。それによってわたしのこと、アルブレア王国のこと、ブロッキニオ大臣のことを知ってもらえば、お話が早いかと」

「だな。その前に、クコから聞いておきたいことはあるか?」

「わたしのほうはあとからでも大丈夫です」

「了解。じゃあ、俺はどうすればいい?」


 サツキが聞くと、クコは自分のベッドに座り、太ももをぽんぽんと叩いた。


「横になって、こちらに頭をお乗せになってください。そのほうがわたしもサツキ様も楽です」


 にこやかにそう言うクコ。


 ――ひざまくら……するってことか。


 これにはサツキも照れくさいのを隠せなかったが、なんでもないかのように冷静をつくろって、言われるままにももに頭を乗せた。やんわりとした感触が気持ちいい。安心感がある。


「はい。よくできました」


 とあやすように言って、クコはサツキの頭に手を置くと、


「あ、すみません。よく妹にもこうしてひざまくらしてあげたもので、ついその調子で」


 苦笑した。

 少し照れているサツキ相手には、クコも気持ちに余裕のある笑みが浮かぶ。


 ――きっと、召喚した相手がサツキ様じゃなかったから、こんな要求はしなかったでしょうね。


 そんなことを考えてにこにこするクコに、サツキが言った。


「……そういえば、第一王女って言ってたもんな」

「はい。二つ下の妹がひとりだけいます。そして、妹だけが、この魔法を知っているんです」


 なるほど、とサツキは納得する。この手の魔法は、相手がいてはじめて効果があるかを確認できる。何度かクコが口にした博士って人が知っているのかとも考えたが、妹とは思わなかった。


「さあ、サツキ様。それでは始めますね。額に手を当てると言いましたが、一応頭全体が条件の対象ですので、少し手は動かすかもしれません」


 ずっと同じ姿勢というのも疲れるものである。クコは妹にやっていたように頭をなでたりしながらのほうが固まったままでいるより楽だった。


「わかった。始めてくれ」

「《精神感応ハンド・コネクト》でテレパシーでの会話もできるように、手もつなぎましょうね」

「……うむ」

「これは、わたしがサツキ様をお迎えに世界樹へと旅立つお話です」


 そう言って、クコは片方の手でサツキの額に手をやり、もう片方の手を握る。

 すると、映像としての回想が始まった。

 その記憶をまとめると、次のようになる。

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