10 『STAND×BY』

 警戒を怠らずに歩き続けると、疲労はたまりやすくなる。

 だが、三時を過ぎたとき、もうゴールが近いことがクコにはわかった。


「(もうそろそろです。おそらく、世界樹からは北東の方角ですね。出口は村から少し外れた場所になります)」

「(そうか。早く森を抜けたいが、落ち着いて進もう)」

「(はい)」


 近づく出口。

 しかし、歩幅は変えず、極めて冷静に、慎重に。

 それから、しばらくしたあとのことだった。

 時刻が四時になろうかという時。

 滝の音が聞こえてきた。


「(滝か)」

「(はい。この世界樹ノ森には、滝もあるんですよ。わたしたちが目指す出口が近い証拠です。樹海の端に位置している、星降ほしふりたきかと思います)」

「(少し近寄ってみよう)」


 二人が歩いていくと、荘厳な滝があった。

 見上げるとだいぶ高く感じられる。

 上下二段に分かれており、二人はその下にいた。この下部では、滝の幅も十五メートルはあるだろうか。高さは七十五メートルにも及ぶ。

 水しぶきが夜空いっぱいに、霧のように満ちている。そのしぶきの一つ一つが月明かりをキラキラ反射して、まるで星が降ってくるかのようだった。

 サツキがそんなことを思うとクコは手をきゅっと握って、


「(それがこの星降ノ滝の名前の由来なんですよ。夜の眺めが美しいとされていますが、昼も周囲が暗い樹海で包まれているため、この水しぶきは輝くように綺麗だといいます)」

「(いい滝だな)」

「(ですね)」


 つい二人そろって自然の雄大さに魅せられていると、再び、サツキとクコの耳に、金属のこすれる音が飛び込んできた。

 比較的しっかりと足音も聞こえた。

 滝の流れ落ちる音も大きなものだが、常に警戒を怠らずにいたため音を拾えたのだろう。


「(サツキ様。こっちへ)」


 クコに手を引かれ、まずは茂みに隠れる。クコがマントでサツキのこともおおい二人で隠れた。


「(音からして、敵は一人。あの五人のうちのだれかだ)」

「(はい。わたしたちがいるのは、出口まであと一歩というところです。今走り出せば気づかれずに逃げ切れる可能性もゼロではありません。ですが、かなりの確率で発見されます)」

「(彼らは、発煙筒を使うんだったな?)」

「(発煙筒を携帯しています。原理は花火と同じですし、彼らが持つのは花火のような鮮やかで大きな光を放つものです。ここでわたしたちが見つかってしまえば発煙筒をたかれ、仲間を呼び寄せられてしまいますね)」

「(それなら数キロ離れていようとサインとして使えるよな)」

「(それに、森を抜けたあとも走って逃げ切るには、わたしたちでは体力がとぼしい。逃げは賢明じゃありません。ここは、待ち伏せしてはいかがでしょう?)」


 だが、サツキはかぶりを振った。


「(いや、できない)」

「(なぜです?)」


 不満の色もない疑問である。クコは自分の意見が却下されることはまるで気にしていない。王女という身分にいながら、そんな変なプライドはない。ただ理由が知りたかった。


「(確かに、罠を仕掛けておくだけでも、時間稼ぎはできる。アドバンテージを取れるから、トラップや待ち伏せは逃げる側が持ってる数少ない特権だ)」

「(はい)」


 サツキは語を継ぐ。


「(待ち伏せをするには、あらかじめいろいろと計画しておく必要がある。ターゲットをおびき寄せるポイントはどこか。そこに張り巡らせる仕掛けはなにか。有効性がどれほどか。そのあとの自陣はどう行動するか。目的は逃げか、時間稼ぎか、仕留めることか。リスクの把握もかかせない)」


 そこで言葉を切って、サツキは順番に状況を説明する。


「(俺たちの場合、目的は『逃げられればそれでいい』、だが、有効なトラップを仕掛ける時間も道具もない。また、ターゲットを特定のポイントへおびき寄せる道筋をつくる余裕もない。今からつくっても遅い)」


 前提から不可能なことがわかる。


「(そしてリスク。トラップを仕掛けるってことは、『そこにだれかがいる』または『だれかがいた』ってことを相手に教えることになる。だから必ずしも『時間稼ぎ=逃げ』ではない。トラップを仕掛けて早々にその場を離れ、もう500メートル先を進んでるくらいなら逃げとして効果てきめんだが、俺たちはこの近辺に身をひそませるしかない)」

「(要するに、はじめから、計画倒れしている、ということですね)」

「(うむ。そういうことだ。やってくるのはバスターク騎士団長かもしれないし、別の騎士かもしれない。敵個人によって対策は異なる)」

「(ええ。条件を満たせないのにやっても意味がないですもんね。リスクだけが残ります)」

「(よって、トラップは仕掛けず待機だ)」

「(はい)」


 そうしているあいだに、敵はサツキとクコの視認できる位置まで迫っていた。

 どうやら、サツキとクコが先ほど歩いてきた方向から来ているとわかった。


 ――まずい。厄介だ。


 最初にサツキが思ったのが、それだった。

 後方から追っ手が来るとき、二つのケースが考えられる。

 その①『偶然通りかかった場合』。

 その②『(足跡や草をかき分けてきた形跡を頼りに)ターゲットを追ってきた場合』。

 つまり、意図的にそのルートをたどったか否か。

 仮に前者でも、近づけば地面や草の様子から、近くに隠れていることがバレる可能性が大いにあり、後者なら、やり過ごせる可能性はほとんどない。

 特に《とうフィルター》なる魔法を使える騎士フンベルトには、いくら暗闇にうまく隠れても見つかる可能性は高い。

 ゆえに。

 さっきみたいに気づかれない保証はなく、逃げ切れる保証もない。もしかしたら、戦わなければならないかもしれない。いや、もっと言えば、戦いは避けられないかもしれない。

 そう考えると、戦闘における対策を練るのが必須だった。敵の首を討ち取る戦いではなく、ここで大事なのは、逃げ切る戦い。

 最悪、クコだけでも逃がす戦いが条件になる。

 と。

 そこまで思考したところで、クコに言われた。


「(サツキ様っ! わたしは、ひとりで逃げたいなんて思いません。それでは苦労してサツキ様を異世界から喚び寄せた意味がないじゃないですか。一度言いましたが、わたしとサツキ様は運命共同体なんです。わたしは絶対にサツキ様を離しはしません)」


 ちょっと怒られてしまったが、その通りでもある。


「(悪い、そうだった。じゃあ、犠牲はなしだ)」

「(はい。当然です)」


 にこりと微笑むクコを見て、サツキはため息をつく。

 意外と意志の固い王女様だ。自分も簡単に犠牲になるつもりはなかったけれど、こうなったら残す道は、倒すか逃げるための活路をつくるか。どちらかである。

 二人がそれぞれに思考を巡らせていると、敵は足を止めた。

 見えた顔は、『とうしょう』バスタークだった。

 炎を拳にまとわせる魔法を使う騎士。

 またもや、この騎士は目ざとくなにかを発見したらしい。


「この森に住む動物が通るけもの道。そこから外れた場所への、人間の歩いた形跡。それも、草の状態から見て新しいもの。まさしく、確定的」


 その言葉から、サツキは悟った。


 ――バスターク騎士団長は俺たちが残した形跡をたどって追ってきたわけじゃない。近くにいることはバレたが、逆に罠を持って近づいてきていたわけじゃないことも読み取れる。発見されても、そこには純粋な戦闘と駆け引きだけが残る。


 この駆け引きは、もう始まっている。

 相手は、すでにサツキとクコが隠れて、逆に罠を張っている可能性まで考慮することだろう。

 不意の動きへの警戒が、付け入る隙になりやすい。


 ――戦局は、悪くはない。


 バスタークはどこへともなく語りかけた。


「ここにいらしたんですね、『純白の姫宮ピュアプリンセス』。あなたが歩いてきたと思われる道を進んできましたが、ようやくお顔が見られそうです。さあ、今出てくれば安全にアルブレア王国まで送り届けます」


 ずんずんとサツキとクコがいる方向へと近づいてくる。

 サツキはほんの数ミリだけクコへと顔を向けた。


「(本来なら、発煙筒で仲間を呼ぶはずだ。クコを見つけた、と知らせるために。だが、バスターク騎士団長はきっとそうしない)」

「(理由は?)」

「(手柄をひとり占めしたいからさ。五人バラバラで行動し、その上で俺たち二人を相手にできると踏んで行動してる人たちだ。特にバスターク騎士団長は、自分が圧倒的に強いという自負があるだろう。手柄を得るためにも、自分が捕まえたあとに発煙筒を使用する。近くにいた証拠があるのに、今の段階で発煙筒を使ってないのがその理由だ。さっき俺たちがいた形跡を見つけたときも、発煙筒を使わなかったしな)」

「(仲間の応援はありませんね。つまり、二対一)」

「(それが、俺たちが持つ唯一のアドバンテージ)」


 もう一つ言えば、バスタークが己を強いと思っているそのおごり。だが、それは隙にはなっても、アドバンテージとは呼べないかもしれない。

 バスタークがサツキとクコの元へと着実に接近してきていた。


「(どうやら見つかるのは時間の問題だ。戦う覚悟はできたか?)」


 クコはすっとあごを引いた。


「(はい。逃げるには障害物がほとんどありませんし、バスターク騎士団長との距離も100メートルを切りました)」


 手が届きそうだった明日までは、随分と長く感じられる。だが、待ってるだけでは明日には行けないらしい。

 夜明けをかけた戦いが始まった。

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