6 『FLAME×UP』
サツキの感覚としては、できればバスタークと200メートル以上の距離を取ってから動き出したかった。
「(戦闘を避けられない距離は、20メートル程だろうか。この場から移動するにも、200メートルの距離は欲しい)」
いくら木々や草が茂っていて視界が悪いとはいえ。
音の通りがよくないから、気をつけて静かに歩けば大丈夫だとはいえ。
見積もった最低値が200メートル。
その差が生じるまで、とにかく息をひそめる二人。
バスタークはまだ、サツキとクコが近くにいることに気づいてない。
夜目が利いてきているのか、視覚を中心に首を回しながら歩いている。歩くペースは通常の大人の歩行より三割増しで遅い。注意深くアンテナを張ってはいるようだが、足場のよくない道をそのペースでは、サツキとクコに気づけやしない。
そう思ったが。
サツキは、目を細める。
ピタッと、バスタークが足を止めたからである。
そして、サツキはくちびるを噛んだ。
「(しまった。俺たちは、草を踏んで歩いてきた。すべてじゃないし、一応気をつけてもいた。でも、完全に足跡を残さないのは無理だ。人がいた形跡は残る。あの靴跡が残った草を動物のせいだとみなすのは厳しい)」
「(どうしましょう)」
クコはサツキに案を求めるというより、ただ見つからないことを祈って心臓の鼓動を落ち着けようとしていた。緊迫感が満ちる中、サツキは短く返す。
「(もう少し……もう少し、観察だ)」
「(は、はい)」
やがて、バスタークはひとりごちる。
「踏まれて折れ曲がった草、人が通ったような形跡……。まさしく、『
――どうか、どうか、見つかりませんように。
心の中でつぶやき、クコはサツキの手を握る力を強くした。それに対して、サツキは冷静に状況を見て観察する。
バスタークとの距離、約70メートル。
これ以上近づかれたらまずい。だが、20メートルまでなら、近づかれても視認することは難しいだろう。
ぐるりと周囲を見回して、バスタークは歩き出す。
ただし、この場から去るためではない。
この周辺をくまなく探索するためである。
「聞こえているのでしょう? 『
正々堂々と顔を出してバスタークの申し出をハッキリと断ってやりたいクコだったが、サツキに止められる。
「(相手がしゃべりながら探してるってことは、こちらの音はより聞こえない。いい傾向だ。まるで俺たちの居場所に気づいてない)」
元々飛び出すつもりもなく忍耐する腹づもりだったクコは、サツキの言葉でただただ冷静になれた。
「(はい。ですが、今の状況では非常事態に備えなければなりません。もし見つかったらどうしますか?)」
「(バスターク騎士団長との距離が20メートルを切ったら走り出す。合図は俺が出す。クコは逃げる際のルートを考えておいてくれ)」
「(わかりました)」
「(一つ、言っておくと。バスターク騎士団長の装備を考慮すれば、細い道と高低差を利用するのがいい。特に、重い装備じゃさっきみたいな丸太はうっとうしいことこの上ない)」
「(そうですね)」
クコが逃げ切りできそうなルートを考え、サツキはバスタークを観察する。
癖はないか、首の動かし方の特徴はどうか、左右どちらにより注意を向ける傾向があるか、上下への視界の動きはどれほどか、後ろを振り返る動きはどの程度の頻度で行うか、など。
仲間を呼ぶ様子がないことからも、今は応援に駆けつけられる距離に他の敵はいないとわかる。また、発煙筒を使うのは見つけたあとになる。
あとは、じっとバスタークが去るのを待つ。
――ただ待つんじゃなく、バスターク騎士団長の特徴をなんでもいいから把握する。
目を光らせるサツキ。
逃げ切るためのルートを考えつつ、バスタークに見つかるかもしれない不安で呼吸を乱しそうになるクコ。
とても長い時間が経った気がするが、クコはそれが、自分の心拍数が早まっているからだと知っていた。
「(どうか、どうか去って)」
わかる範囲でルートのイメージがついて、クコはもう、バスタークが去るのを祈ることしかできない。
バスタークはやや上を見て、声をあげた。
「そこにいるのはわかっています。あと五秒以内に姿を現さなければ、実力行使でいかせていただきます。五……四……」
クコはドキリとしたが、心を落ち着けて、サツキの手を握り問いかける。
「(見つかっては、いませんよね?)」
「(間違いない。見つかってはないさ。こっちを見てない)」
バスタークの身体は明後日の方向を見ている。
話しているあいだも、バスタークのカウントダウンは進む。
「二……一……」
サツキには、バスタークの挙動から、自分たちが見つかっていないという絶対の自信があった。
しかし、万に一つの可能性も考慮しなければならない。
「ゼロ……。そうですか。それが、『
バスタークは右の拳を握る。
「つあああああぁっ!」
叫んだ。
すると、マッチの頭にボッと火がともるように、拳がメラメラと燃えだした。さらに声を大きくして、火も大きくした。
火をまとった拳を引き、くるっと身体をひねり、サツキとクコがいる方向へと振るった。ボクシングのジャブのような動きである。
クコはヒヤッとして、息が止まった。
「《
魔法が唱えられた。
バスタークの拳をまとう炎が広がって、ライオンの爪の形をつくった。ライオンの手が木に伸びてゆき、爪が木を切り裂く。
が。
どういうわけか、切り口は発火しない。斧かなにかで斬られたような跡が残るのみだった。
――燃えない……。それに、熱も持たない性質なのか。
折れた木がサツキとクコのすぐ横数メートルのところに倒れた。
やがて、手から出ていた炎が消えると、バスタークはジャブを放った姿勢から元に戻り、倒れた木を見下ろした。
「チッ。もうここにはいないか。草の曲がり方から、近くにいるのはわかった。五分、いやそれ以上のロスか。だがすぐに追いつく」
自分に言い聞かせるように吐き捨て、バスタークは歩き出した。
このときのバスタークとクコの距離、25メートル。
ギリギリだった。
あと少し近ければ、倒れた木はサツキとクコに届いたし、その木に押しつぶされていた。そして、二人は逃げるために走り出さねばならなかった。
つい息を止めてしまっていたクコは、バスタークが自分たちから80メートル以上開いたところで、ふぅーっと、長く静かに息を吐き出した。
「(はぁ。一時はどうなることかと。助かりました)」
ほっと胸をなで下ろして呼吸を整えるクコ。
バスタークが歩いて行ったのは、サツキとクコから正面より右二十度ほどズレた方向である。約15メートル歩いて一度振り返ったが、その間も足は止めなかった。
去り行くバスタークの背中を見つめてまた顔をこわばらせるクコに、サツキは淡々と告げる。
「(休んでるヒマはないぞ。これだけの時間、バスターク騎士団長がここにいたんだ。仲間がこの近くに来ていておかしくない。バスターク騎士団長との距離があと100メートルついたら出発だ。幸い、バスターク騎士団長にはこまめに後ろを振り返る習慣はない)」
「(は、はいっ)」
クコは背筋を伸ばした。
金属のこすれる音が遠ざかる中、バスタークはそのあと、一度も振り返らなかった。
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