3 『FOR×REST』

 サツキとクコは、追跡してくるセルニオから全力で逃げていた。


土竜どりゅう偏照競匂ヘンツェル・セルニオ


 二十代半ばで、背は一七八センチ。バスターク騎士団長が三十二歳になるのを除くと、残る四人はまだ二十代。背はみな高く、その中では二番目に小さい。エヴォルドよりも一センチ低いだけだが、あとは一人だけ小柄な騎士がいるのみである。戦闘面は五人の中だとそれほどではないものの剣も扱えるし、トリッキーな動きができる魔法《潜伏沈下ハイドアンドシンク》を持つ。


 これにより、地面に沈み込んで移動することができる。


 セルニオは、今も足場の悪い場所でも地面に沈み込み通り抜けてくる。




 ――距離も縮まってる。このままだとすぐに追いつかれる。




 元々あった距離も、あっという間に数メートルというところまで迫っていた。サツキは焦りながらも、クコに呼びかける。




「(次の倒木で、一度手を離すぞ)」




 クコの魔法《精神感応ハンド・コネクト》で、手をつないでいればお互い声を出さずに会話ができる。それを解除するというのである。




「(わかりました。なにか、考えはあるんですか?)」


「(追いつかれるならやるしかないからな)」




 それだけ答えて、サツキはクコと共に走った。


 倒れた大木まで来ると、高さ一メートル以上あるそれにジャンプして飛び乗り、サツキとクコは手を離した。


 セルニオも追いつく直前、「《潜伏沈下ハイドアンドシンク》」と魔法を唱えて、倒木の下に潜り込んだ。


 サツキはセルニオが魔法を使ったのを確認し、倒木に飛び乗った勢いそのままに、空に向かって高くジャンプする。身体をひねって拳を振り下ろした。きつく握られた拳は、裏拳の形で空から地面に向かってゆく。


 そのとき、セルニオが倒木の下を通り抜けたのか、地面から身体を飛び出させた。




「追いついたぞ!」


「はあああああぁっ!」




 気合の声を発しながらのサツキの裏拳は、ちょうど飛び出してきたセルニオの頭上にまっすぐ降りてゆく。




「なに!?」




 上空からの声と拳に、セルニオは気づく。


 しかし、動く時間さえなかった。


 振り落とされた裏拳は、上空からの勢いが付加され、重たい一打としてセルニオの脳天に直撃した。


 その衝撃で、膝まで地上へ飛び出てきていたセルニオの身体は、再び地面に深く沈むことになってしまった。


 肩が出るくらいの位置で止まる。




「やったか」




 サツキは声を漏らす。




 ――どうやら沈んでゆく途中で気を失って、魔法の効果が切れたらしい。




 倒木から着地していたクコに呼びかける。




「今のうちだ。行こう」


「はい」




 それから三、四分は止まらず走り続けただろうか。サツキは後ろを振り返った。




「巻いたか?」


「ええ。おそらく」


「しかし、おかしな魔法だった」


「あれがあの方の魔法です。それにしても、サツキ様は格闘技かなにかの心得があるのですか?」


「六歳から空手をやってる」


「なるほど」




 そうつぶやいて、クコは納得した。




 ――だから動きが良かったんですね。




 クコはサツキの手を握る。




「(ここからは、また声を出さずに逃げましょう)」


「(そうだな。見つかるリスクはなるべく避けたい。これからどこへ行く?)」




 冷静にサツキは問いかける。




「(どこか、隠れられる場所へ行きましょう。この森は世界樹ノ森と呼ばれ、世界樹を中心に半径約10キロほどの円形に広がっています。隠れずまっすぐ森を抜ける方法もありますが、追っ手が近い場合、すぐに見つかってしまいます。まずは身をひそめて機をうかがうのがよろしいかと)」


「(そうだな。もう夜だ。森も暗いし、隠れていれば簡単には見つからないだろう)」


「(はい。隠れやすい場所までもう少し走りましょう)」




 サツキとクコは、手を固く握り合って、夕闇の森を走り続けた。




 夜。


 二人は隠れるのにちょうどよい茂みを見つけた。


 身を縮めて、クコは自分のマントを広げて二人の身体をおおった。クコのマントは瑠璃色である。陽の下では鮮やかだが、このような薄暗い場所にあるとうまく闇に溶け込む。


 また、クコの持つ白銀の髪は、月光にさらされるときらめくように照り返す。そのため、クコは髪が目立たないよう、サツキと身を寄せて小さくなった。


 クコがサツキの手を再び握る。




「(少しここで休みましょう)」


「(うむ)」




 特殊な魔法がない限り、騎士たちに発見されることはないだろう。そう思って周囲を見、騎士たちがいないのを確認すると、サツキは聞いた。




「(これからどうするか、考えはあるか?)」


「(深い考えはありませんが……)」


「(では、俺から提案させてもらっていいか)」


「(はい。お願いします)」




 サツキはうなずく。




「(現状、第一に考えるべき目的は一つ。あの騎士たちを振り切って森を抜けること)」


「(そうですね)」


「(できることなら戦いたくはない。だったら、夜のうちにこの森を抜けるのがいい。この闇と木々が目隠しになるからな)」


「(それにも同意です)」


「(半径が約10キロなら、急がなくても朝までには森を抜けられる距離だ。だから、まずは情報をまとめたい)」


「(情報ですか)」


「(俺には聞きたいことが山ほどある。俺についての話もまだだった。お互いを理解するためにも語る必要があるだろう。ただ、お互いのことはあとでゆっくり話せるときでいい。今は、最初に確認したいことだけ質問し合おう)」


「(はい、わたしにお答えできることならなんでも聞いてください。サツキ様を守りながら森を抜け出られるよう、精一杯務めます。お世話もクコにお任せください)」


「(俺は子供ではないのだ)」


「(そうでしたね。すみません、サツキ様)」




 にこやかにクコは謝る。


 サツキはつないでいた手を離した。




 ――子供扱いというわけじゃないのはわかってる。ただ、実際にも任せるしかない無力な自分が恥ずかしかっただけなんだ。




 一方のクコは、サツキが手を離したのは、心を読み取られないためだとすぐに気づいた。




 ――どうやら不機嫌になったわけではなさそうです。実はわたしも、頭の回転は速いのにどこか幼さの残るサツキ様がかわいく思えて、気持ちを読まれたくなかったんですよ。だから、おあいこですね。




 そう思って、声を出さないように気をつけて口を押さえてふふっと笑った。




「…………」




 サツキはジロリとクコをにらむ。にこにこしているクコの手をやんわりと握る。


 それが、また魔法によってテレパシーでの会話をしようという合図だとわかり、クコは魔法を発動させた。




「(サツキ様?)」


「(まったく、なにがおかしいんだか。それより、俺に魔法のことを教えて欲しい。現状を切り抜けるために必要なのは魔法への理解だと思う。俺は魔法の知識がまるでないから、これについてはちゃんと聞きたい。話も長くなるだろう。だから、クコから先に質問してくれ。俺に聞きたいことは?)」




 クコはサツキの言葉をじっと聞いて、小さくうなずいた。




「(わたしが今聞くべきことはないようですね。サツキ様の生い立ちなど知らなくても、信じるしか道がないのですから)」




 そして、クコはサツキの左手を両の手で握るようにして、しかと目を見た。




「(だから、これだけ答えてください。サツキ様? わたしはすべてをかけてあなたに尽くします。わたしがあなたをお守りします。だから、サツキ様はアルブレア王国を守ってください。わたしといっしょに、来てくれますか?)」




 小さな月明かりに照らされた、潤んだようなルビー色の瞳を見て、サツキは小さく息をついた。




「(方法はわからないが、やるしかないのはわかってる。たぶんアルブレア王国を救わないと、俺は元の世界に帰れない)」




 元いた世界が、サツキにとってどれほど素晴らしい世界だったか、自分でもわからない。それでも、帰りたい気持ちはあった。自分がいなくなることで両親に心配もかけたくなかった。サツキが知っているマンガやアニメのこういうお話も、最後には現実に帰還することが多かった。ならばきっと、それがこの魔法の世界のクリア条件なのだろう。


 サツキは苦笑を浮かべてクコに言った。




「(実は、この世界に来たときから、アルブレア王国を救う覚悟はできてたんだ)」




 ルビー色の瞳が揺れる。クコはサツキになにか言いかけて、やめる。代わりに率直なお礼を述べた。




「(ありがとうございます。なんというか……言葉になりません)」




 このとき、クコにあったのは感謝だけではない。突然びだした謝罪でもなく、一種の達成感であったかもしれない。「わたしが喚んだのが、この人で正しかった」と、心の奥底でそう感じていた。


 そうしたクコの機微まではサツキにも読み取れない。だが、なにかに迷っているのではないことはわかる。




「(クコ、なんにも持ってない俺だけど、共にゆく覚悟はあるか?)」




 言外に、俺でいいのか、という意味も込められている。


 これには、クコは晴れやかな顔でうなずいた。




「(はい。わたしも、サツキ様とともにゆく覚悟はできております)」




 クコのすがすがしい表情を見て、サツキはふわりと柔らかな微笑を浮かべ視線を外し、再び前に向き直る。




「(うむ。さて。じゃあ魔法について教えてもらおうか)」


「(わかりました。ですがその前に、ささやかながら夕食にしましょう。おにぎりが二つあります)」




 クコはブレザーの内ポケットからバッグを引っ張り出し、《スモールボタン》を押す。




 PON!




 とバッグは元の大きさに戻った。


 クコはバッグから、おにぎりを二つ取り出す。




 ――あ、この目薬を使っておいたほうがよさそうですね。




 バッグの中に入れてあった目薬を見つけて、それも取り出した。またボタンを押して、バッグを小さくしてブレザーの内ポケットにしまう。


 クコはサツキの手を握る。




「(サツキ様。まずはこの目薬を使いましょう)」


「(目薬?)」


「(はい。わたしを旅立たせてくれた博士が、世界樹ノ森で必要になるかもしれないと言って持たせてくれたものです。《暗視目薬あんしめぐすり》という魔法道具で、暗闇でも視界がよくなります。ただし、昼間のように明るく照らされたように見えるわけではありません)」


「(そうか)」




 先に、クコが目薬を使った。それをサツキに手渡す。サツキも使って、まばたきして目になじませる。遠くを見てみる。




「(本当だ……。輪郭がはっきりして、木々の隅々までよく見える。把握ができる。視野が広がった)」




 ――赤外線カメラのような感じだろうか。




 サツキの心の声にも、クコが反応して、




「(赤外線カメラとはなんですか?)」


「(俺の世界にあったものだ。赤外線によって暗い視界を見通せるカメラなんだけど、原理が違うだけでこの目薬みたいなものさ)」


「(そんな不思議なものがあるんですね)」


「(俺にとってはこの目薬のほうが不思議だ)」




 二人は同時にくすりと笑った。


 クコがおにぎりを差し出す。




「(おにぎりも食べましょう。どうぞ、サツキ様)」

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