2 『RUN×INTO』

 現代を生きる少年サツキが降り立ったのは、世界樹が人々に魔法を与えた世界だった。


 サツキはクコの言葉から一つの推論を立てた。




「こちらの世界って言ったか。クコは、俺が異世界の人間だと知っているんだな」


「はい」


「召喚か?」




 と、サツキは地面に描かれた魔法陣を見下ろす。




「おっしゃるとおりです」




 確か、あのナレーションには、王女は国を救うために晴和王国を目指したとあった。要するに、共に国を救ってくれる異世界人の召喚をここまでしに来たのであろう。


 わざわざ晴和王国まで来たその理由は、




 ――世界樹の根元では、魔力を受けやすいとか、加護をいただけるとか、そんなところだろうか。




 であれば、王国の危機を救うには、召喚されし何者かの力が要るとでも言い伝えや伝承にあったのであろう。


 そこまで考えて、サツキは言った。




「わかった。協力しよう」




 それよりほかに、なにも知らないこの世界で、丸腰の少年にできることなどない。




「ありがとうございます! わたし、頑張らせていただきます!」




 明朗にお礼を述べてから、クコは小首をかしげた。




「サツキ様? あの……わたくし、サツキ様にこれからなにをするか説明しましたかしら?」




 自分の知っている事情を一からすべて語るには、サツキも知らないことが多すぎる。ナレーションの情報しかないのである。




 ――クコは間違いなく俺の味方だ。いや、俺がクコの味方といったほうが正しいか。ともかく、信頼もできる相手だろう。でも、こちらの事情を話すのは落ち着いてからでいい。




 だからサツキは、クコの問いかけには答えず、短く言った。




「いずれにしても、それより俺に道はない。だろう?」


「はいっ」




 西陽に照らされたクコの明るい笑顔を見て、サツキは表情をゆるめた。




「うむ。さあ、いつまでもここにいたって仕方ない。歩きながらでいい、クコの事情を聴かせてくれ」


「わかりました。では、まずは世界樹ノ森を抜けましょう。長くなりますから、お話ししながら」




 そう言って、クコは首に下げていた紐を引っ張った。


 紐は革のベルトになっていて、肩にかけるバッグの紐のようにも見える。紐の先には名刺などのカードサイズの革製の物がある。一見、カードケースのようだった。




 ――社員証を首から下げてるみたいだ。




 サツキがそんなことを考えていると、クコはそこについていたボタンを押した。




 PON!




 ポップな音を立てて革製のカードケースらしき物が大きくふくれた。


 サイズが変わると、それが大きめのバッグだとわかった。




「魔法……?」


「はい。魔法道具です。友人にいただいたもので、この《スモールボタン》というボタンを取りつけると小さくすることができます。ボタンを押すと元の大きさに戻り、またボタンを押すと小さくなります」




 つまり、小さい物が大きくなるんじゃなく、大きい物が小さくなっていたらしい。ボタンを押せば大きさを切り替えられるということだ。




「便利なボタンだ」


「小さくすると軽くもなるんですよ。食べ物や着替えなど、旅に必要な物が入っています。普段はブレザーの内ポケットにしまっているんです」




 クコはバッグから靴を取り出した。




「靴がなくては、この森を抜けられません。こちらをどうぞ」


「いいのかね?」


「もちろんです。あとで履こうと王都で買っておいたのですが、ここで役立つとは思いませんでした」




 靴をサツキの足下に置き、クコは説明する。




「《適合靴フィットフットシューズ》です。履くとリサイズされてちょうどいい大きさになってくれます」


「これも、魔法道具か」


「はい」




 サツキは靴を履いた。伸びる生地が足を包み、サツキの足の大きさに合わせて固定してくれる。


 デザインは普通の革靴である。ローファーのようでもあり、サツキの学ランとはよくなじむ。




「ありがとう。助かる」


「よく似合ってますよ。さあ、行きましょうか」


「うむ」




 二人が歩き出そうとしたとき。


 クコが振り返った。


 サツキもそちらへ目を向けている。


 何者かの気配があったのである。


 じっと二人が目をみはる中、森の中から五人の騎士が出てきた。中世ヨーロッパの騎士のような出で立ちである。


 五人の騎士はサツキとクコに一歩ずつゆっくり近づいてきた。五人が足を止めると、そのうちの一人――大柄な赤髪の騎士が一歩進み出て、うやうやしく礼のかっこうを取った。




「ここにいましたか。アルブレア王国第一王女、青あお葉ば玖く子こ様。美しき純真な心と白銀の髪を持つことから『純白の姫宮ピュアプリンセス』とも呼ばれたあなたが、無断で城を飛び出して、こんな遥か遠く『世界の最果て』までやってくるとは。だれにそそのかされたのかわかりませんが、今なら大丈夫です。我々と帰りましょう」


「わたしは、あなた方とは帰りません。お引き取りください」




 クコは毅然と言い返した。




「そうわがままをおっしゃられても困ります。この魏朱罵棲焚ギッシュ・バスターク、国王様に仕える騎士団長として『純白の姫宮ピュアプリンセス』を連れ戻すよう言われているのです」


「命じたのは、ブロッキニオ大臣ではありませんか?」




 赤髪の騎士団長、バスタークは肩をすくめてみせる。




「どちらでも同じ事です。まさしく、ブロッキニオ様からの有り難い勅命をいただき、我々は参りました。さあ、『純白の姫宮ピュアプリンセス』。ブロッキニオ様も待っておられますよ」




 バスタークは、この五人の中ではリーダーである。クコも彼のことは知っていた。

『闘将』バスターク。

 今年三十二歳になる。背は一九二センチと高く、ガタイもいい。

 アルブレア王国には、数十万人の騎士がいる。それを束ねるのが騎士団長たちであり、その座につく者は百人程度しかいない。騎士団長は、武士が家系によって国主を継いだように系譜だけでもなれるが、実力を認められて抜擢される場合もある。バスタークは特にブロッキニオ大臣に認められて騎士団長になっただけあり、ブロッキニオ大臣への心棒と己の強さへの絶対的な信頼がある。




「お断りします」




 クコが引かない姿勢を見せると、バスタークは残念そうにため息をついた。




「そうですか。それでは仕方ありません。ブロッキニオ様からは、生きてさえいればどんな形でもよいと言われておりますので――お覚悟を!」




 その声を皮切りに、彼らはこちらへ向かって駆けてきた。




 ――まずい。




 サツキはこの状況の危機を直感する。おそらく、サツキ自身の命はないだろうしクコだってただでは済まない。戦っても勝てる相手には見えなかった。サツキは丸腰、クコは剣こそ持っているがまだ子供。ここは逃げなければならない。


 咄嗟に手を伸ばす。


 クコの手を引いて、逃げようとする。


 が、クコも同じことを考えていたらしい、二人同時に走り出していた。


 伸ばした二人の手は結ばれて、クコがぎゅっと強くサツキ手を握って一歩前を走る。


 そのとき、声がした。




「(森へ逃げて隠れましょう)」


「?」




 足を止めそうになって、横目にクコを見る。この声はクコのものだ。しかし、クコはこちらを振り返らないし、口を動かした様子もない。直接頭の中にしゃべりかけられたような感覚だった。




 ――どういうことだ?




 この疑問に、答えが返ってくる。




「(それもあとで説明します。とにかく、わたしから離れないようにしてください)」




 ――そう言われても、クコに手を強く握られているから離れようもないのだが……。




 と思ったら、またクコの声が聞こえてきた。




「(余計なことを考えている余裕はありません。いいですか? 今森に入りました。わたしに合わせてください。どちらへ行くか言いますし、手もお引きします。お返事はいりません)」




 案外強引な少女である。サツキはクコに合わせることにした。うなずきもせず、ただ握っている手がほどけないように、力を入れる。


 しかし。




 ――返事はいらないと言われたが、おそらく、クコは俺の考えていることもわかるし、話しかければ返答もできることだろう。




 先ほどまでは、クコがサツキの思考を読めていた節はない。


 読めていたら、サツキの世界のことや事情をもっと具体的に聞きたくなるはずである。


 この点を考えれば、クコは、『手を握っているとき、手を握っている相手のみとテレパシーで会話できる』能力者とみた。


 世界樹によって魔法を与えられた世界だという話だから、クコがそんな能力を持っていても不思議じゃない。




「(サツキ様? 今は余計なことを考えている余裕はありませんよ)」




 お姉さん然と注意するようなクコの声を、




 ――推理が当たったな。




 とみて、サツキは無視する。




「(はい。《精神感応ハンド・コネクト》という魔法で会話しています。ここまではサツキ様のおっしゃる通りですので、今は逃げることだけに集中してください。あとでちゃんと説明しますから)」


「(わかったよ)」




 サツキが心の中で返事をすると、クコの「(はい)」という心の声が聞こえた。






 森に逃げ込んだサツキとクコを、騎士たちが追いかけてくる。五人の騎士のうち四人は鎖かたびらを中に着込み、一人は鎖を首に巻いた軽装だった。


装備の重さのせいで、騎士たちの動きはにぶい。




「(サツキ様。右です)」




 クコに手を引かれて、右の茂みを抜け、細いすき間を通る。


 幸い、クコの装備は軽かった。旅をするうえで邪魔になりそうなものはほとんどなかったし、羽織っているマントも森の中では身を隠すのに役立つだろう。


 二人は細い場所や複雑な茂みを選んで逃げる。サツキとクコの機動力に対抗できるのは、その中の二人だけだった。




 ――追いかけてきているのは、『電光でんこうのランス』エヴォルドさん。雷の魔法を使います。もう一人、『土竜どりゅう』セルニオさんとは距離もありますが気をつけてください。




 バスタークの前方を走る、二人の騎士。


 その二人だけが追いかけてきている。




「エヴォルド、なんとしても捕らえろ! 森を抜けられたら、我々五人が再び『純白の姫宮ピュアプリンセス』を見つけるのが難しくなる!」




 バスタークが命令する。


 金髪の騎士、『電光のランス』エヴォルドが短く答えた。




「はい、バスターク様!」




 バスタークの言葉から、追っ手はこの五人だけとわかる。世界樹ノ森周辺で他の騎士たちが待ち構えていることはないようだ。




「セルニオも行け!」


「わかりました!」




 サツキがチラと視線だけ振り返ると、バスタークは足を止めた。大柄なバスタークにはこの茂みは追いかけにくい。残るはエヴォルドとセルニオという騎士だけである。




「王女様、おとなしく我々に同行してください」




 ハァ、ハァ、と息を切らしながら、エヴォルドに言葉を返すこともなく、クコは必死にサツキの手を引いて走った。


 クコの記憶では、エヴォルドとセルニオの魔法が厄介だった。エヴォルドは足の速い攻撃用の魔法を使い、セルニオは追跡するのに有効な魔法を持っている。


 走りながら、クコはどうやってこの男の子と逃げ切るかだけを考えて、活路を見いだすため頭を働かせる。




「(あの二本の木のあいだを抜けたら、その先には倒れた大木がある。そこをくぐれば彼らはそれ以上追いかけてこられない。エヴォルドさんが大木をのぼって追ってくるすきに、逃げ切ることができるはず)」




 そのクコの思考は、そのままサツキの頭にも伝わった。




「もう逃げ場はありませんよ!」




 エヴォルドはまだ気づいていない。大木の下に、わずかにすき間があり、そこをサツキとクコの大きさなら通り抜けられることを。




「少しビリッとしびれますが耐えてください、王女様! 《雷道サンダーロード》」




 エヴォルドが魔法を唱えて剣先をサツキとクコへ向けると、細い雷が飛んできた。


 雷がクコに届くまではほんの一瞬だった。


 しかし、エヴォルドが魔法を唱え終わる前に、クコはバサッとマントを広げて自分とサツキをおおって備えていた。




「(すべり込んでください)」




 二人が大木の下へすべり込む。マントを雷の魔法がかすめたが、このマントには魔法耐性があるのか焼けずに済んだ。




「今度こそ……! なに!?」




 だが、すぐにエヴォルドは呆気に取られた声を漏らす。


 目の前にいたはずの二人がいなくなっていたからである。


 二人が大木の下にすべり込んだことに、その場に来てものの数秒で気づく。けれども、重たい装備で大木をのぼって追いかけるのは難しいということは明らかだった。むろん、あの二人のように下を通り抜けることもできない。




「セルニオ!」


「おう!」




 セルニオは魔法を使った。




「《潜伏沈下ハイドアンドシンク》」




 そう言うと、セルニオは地面に身体を溶け込ませるようにして下半身が地面に埋まる。




「あとは頼みましたよ」


「任せろ。『純白の姫宮ピュアプリンセス』はワタシが連れてくる」


「『土竜』セルニオの《潜伏沈下ハイドアンドシンク》は、地面に沈み込んで移動できるものです。これなら、どんな障害物でもくぐり抜けられます。見失ったら元も子もありませんが」




『土竜』セルニオは地面の中を進み、サツキとクコの消えた大木の下を通過し、エヴォルドの視界からも消えた。




「さて、我々は仕切り直しか」




 エヴォルドのつぶやきは、風の音に消えた。

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