覆面の相方
バンビ
第1話コンビ解散
「おい、聞いたぞ。お笑い辞めるらしいやないか?」
俺は古くからの友人で、ずっとマネージャーを担当していたお笑い芸人「とんがりコーンズ」のボケ担当である山根 省吾(32)を近郊のファミレスに呼びつけて尋ねた。
「うん……」
山根は力なく返事した。
「なんでや?」
お笑い界の登竜門といわれるN-1グランプリにファイナリストとして残り、そしていよいよ年末にはその決勝戦が行われるという矢先の話である。青天の霹靂というか、話が急すぎて、俺は俄かには信じることができなかった。
吉木興業の吉木社長からも、何が何でも解散を食い止めろと発破をかけられていた。
「あの新しい相方、凄いやないか。お前と息もぴったりやし、何よりもネタが面白い、漫才だけでなくて、コントもウケがいい。今、人気急上昇中で、なんで解散する必要があるんや?」
N-1グランプリで優勝すれば、色んなバラエティ番組から声がかかる。
これまでも色んな漫才コンビがこの大会で優勝し、そして地位と名誉を不動のものとしてきた。
ファイナリストとなった芸人にも次々と声がかかり、山根が新しい相方と組んだ「とんがりコーンズ」はめちゃくちゃ面白く、次のN-1のぶっちぎりの優勝大本命であったのだ。
解散、お笑い界引退というのは、何かの冗談にしか聞こえなかった。
ただ山根とコンビを組むシャトラという人物は、謎の多い男で、プロフィールでも経歴から何から一切不明。
白いマスクにグレーのフードをかぶり、素顔を一切さらけ出さない。
お笑い芸人の巨匠である明石家いくら(65)が無理やりマスクを獲ろうとしたら、本気で怒りだす始末。
お笑い以外では、地道に何かの営業をしているのではないかという噂もちらほら耳にした。
とにかく山根の新しい相方はミステリアスな奴だった。
山根は、シャトラとコンビを組んで、それまでのツッコミ担当からボケ担当へとシフトチェンジした。
しかし山根との相性は抜群で、山根自身もまるで水を得た魚のように、ボケまくり、ツッコミ担当であるシャトラはノリノリにツッコミを入れる。
しかもツッコミ担当なのに、ボケもできる。
時にはダブルボケ、ダブルツッコミまで入れてくる。
トークスキルは半端なく、間のとり方や、リズム感、そしてリカバリーの高いアドリブ能力、笑えない箇所など皆無というほどの天賦の才能であった。
いったい山根の奴はこんなに凄い相方をどこで見つけたのか不思議でならなかった。
当時、飛ぶ鳥を落とす勢いであった前年度チャンピオンの「ハマグリ」の二人も、このコンビにだけは勝てる気がしないとメディアに公表していただけあって、N-1グランプリ優勝の大本命はゆるぎなかった。
それだけに解散&引退は腑に落ちなかった。
しかし、動画サイトに専用チャンネルがなく、バラエティ番組にも積極的に出てこない「とんがりコーンズ」は謎に包まれたコンビとして逆に話題性はあった。
お笑いライブでこっそり録画したのを、動画サイトに投稿すれば、そのネタは瞬間的にバズることになり、とんでもない視聴回数を叩きだしたりした。
絶対的な自信家であり、野心の固まりであった山根は、これまでも色んな奴と組んでは喧嘩して、すぐに解散した。
N-1でも最高が二回戦という目も当てられない成績で、それでも山根は「いつか必ず売れてやる」と大口を叩いていた。
そんな山根が、絶頂期に売れてるときに解散宣言である。
社長も目が飛び出そうなくらいに驚いていたし、皆不思議そうな顔をしていた。
「なんでや、なんで辞めるねん」
俺は再び山根に問い詰めた。
「あいつ、新しい相方のシャトラ…… 実はお笑い芸人の相方代行業の奴なんや」
山根は、ファミレスのテーブルに目を落としたままボソボソと話した。
「相方代行業?」
初めて聞く言葉に戸惑いながら、山根に尋ねた。
「それって何や?」
俺はアイスコーヒーを一息で一気に飲み干し、山根に顔をぐいと近づけた。
「その名の通りや、前に組んでたやつらと全然うまいこといかんで、俺は、NSCの同期から、お笑い芸人相方代行サービスというもんがあると聞きつけて、そこに大金叩いて頼んで派遣してもろたんが、八つ墓村のスケキヨみたいなマスクをつけたシャトラやったんや」
山根は、空のグラスの氷をガリガリと歯で噛み砕いた。
「そしたら、シャトラの野郎、いきなり上からモノ言うてきて、やれ才能ないだの、ツッコミはやめたほうがいいだの、ネタは俺が作るだの好き放題言いやがって、俺のこれまでのネタ帳はビリビリに破かれて、全部捨てられてもうた」
山根は俺と目を合わすことなく、大きくため息をついた。
「シャトラの奴、NSCにも在籍したことないし、お笑いなんて勉強してる様子もない。あんなんが本業でお笑いをやらんと、副業で、片手間でお笑いの代行サービスをやってるなんて、バケモンやわ」
山根は再び俺の目を見据えて、肺の中の空気を全部空にするくらいの勢いで、ため息をついた。
「やれやれやわ。N-1の決勝までの契約やったし、どっちにしろこのコンビでやっていくんは俺のプライドが許さん。仮に契約延長したとこで、一生俺はシャトラの傀儡として生きていかなあかん。こんな奴らが、代行サービスにうようよおると思うたら、この世界が怖くなってきてん」
生き馬の目を抜くような人たちで溢れ返っている群雄割拠の戦国時代のような今のお笑い業界で、飛びぬけたような存在を派遣してくるお笑いの代行サービスってなんなんや?俺は、その話を聞いて、背中に変な汗が流れるのを感じていた。
「ほんで、これが俺の新しい仕事」
山根は、茫然とする俺に名刺を突き出してきた。
そこには「お笑いコンビ相方代行サービス養成所 営業課 山根省吾」と書かれていた。
「ほなっ」
山根は、伝票を俺に突き出し、颯爽と店から出て行った。
携帯電話が鳴り、画面を確認すると知らない番号だった。
「もしもし?」
「もしもし、吉木興業の桂さんの携帯で宜しいでしょうか?」
「はあ……」
「私、退職代行業の大槻と申します。吉木社長さまから、今回のコンビ解散が止められないようであれば、速やかに退職の手続きを行うように言われておりまして……」
はあ?マジか?
「つきましては、マネージャー代行業の方が引き継ぎに参りますので、宜しくお願い申し上げます」
なんてこった……全てが代行任せか……世知辛い世の中になったもんだ。俺は呼吸困難になりそうなくらいに大きな溜息を店内に響かせた。
覆面の相方 バンビ @bigban715
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