虹⑤



「っ……クソぉ!」


 ……黒幕が陥落しても尚、窮地はいまだ脱しえない。


 影響が最小限になるよう、良太郎も加減したつもりだった。

 しかし世界に風穴を空ける偉業は、思うよりもずっと甚大だった。


「大丈夫なのか、これ!?」

『時間と共に修復されている! 案ずるな、と言いたいところだが……』


 ステラが切羽詰まりながらも、ビルへと刃の鎖を伸ばす。


『状況は芳しくないな……っ』


 言葉どおり、『虹霓友誼プルウィウス・アルクス』はさながら屈強な錨となって良太郎達を繋ぎ止めてはいるが、腕力までは賄いきれない。一番筋肉のないアイは言うに及ばず、片手で縋りつくしかない良太郎もまた、苦悶の表情を浮かべていた。


 消耗する方が早い。

 かばい合っても頭打ちをしている総力では、決戦ですべてを出し切った一同ではジリ貧に等しい。このままでは遅かれ早かれ、誰かしらの手が離れ、虚空の胎に墜ちていくだろう。


 それは決して辿り着きたくはない、最悪の結末バッドエンド


「――――っ」


 その時、月彦は思い至った。


 もしかするとこの時のために、自分がいたのかもしれないと。


「『八岐小蛇ヤマタノコロチ』いいいいいいいい――ッ!!」


 自惚れでもいい。

 ただ今この瞬間だけは、友達を助ける力が欲しかった。


 再度呼び出された黒い蛇達は、使役者の月彦に呼応するがごとく、限界に差し迫りつつあった良太郎達の体を繋ぎ留める。


 愛すべき友と交わす抱擁のような優しさが、一同に安堵を招く。


「ありがとう、月彦……つきひ、こ……?」


 そして――それは別れまでのカウントダウンが、針を進め始めたことを意味していた。


 良太郎、暁奈、晴花、アイの体に巻きついて四匹。

 命綱としてもう一匹ずつで四匹。

 最後に『虹霓友誼プルウィウス・アルクス』と掴まった手を支えるために一匹。


「月彦、お前どうして……!?」


 蛇は全部で九匹。

 


「あんたどうして自分を勘定に入れずに――まさか、」


 悟る暁奈に、月彦は首肯する。

 月彦と魔法の修行をした暁奈と良太郎は、『八岐小蛇ヤマタノコロチ』という魔法の特性を重々知っているはずだ。


 ――


 たとえ隣接した別の影から引っ張ってきたとしても、貧弱な蛇モドキでは、全員を安定させられる自信が月彦にはなかった。

 そもそもが素人に毛が生えた程度の強度しか持たない魔法。重ねて「自分の影からは出せない」というデメリットが、彼に一つの覚悟を下させた。


「俺はさ、やっぱり正しくても全員死亡のバッドエンドより、間違っててもいいから全員生還のハッピーエンドが欲しかったんだ」

「どういう……こと……?」


 言っている意味が分からないと、アイが眉間に皺を刻む。

 魔法に関してはいざ知らず、フィクションの領分である転生者など、雲を掴むように感じられていても不思議ではない。それでも月彦が自分には納得できないことを口走っているのは、なんとなく思い至っているようだった。


「思い出してきたんだ。確かに俺は誤認を植えつけられて、『加地月彦だ』という自認が薄い……それでも、ただ一つ分かることがある」

「なんだよ……なんだってんだよ!」

「――加地月彦は、こんなふうになんでもなく、友達と過ごしたかったんだ」


 まともな支えを持たない月彦の体は、無慈悲な風に翻弄されて安定感を失う。隣接していた良太郎が、そして暁奈が月彦の腕を力いっぱい掴んだ。


「だったら、これから思う存分すればいいじゃない!」

「そうですよ! みんなでご飯食べようって、私言ったじゃないですか!」


 どうして今そんな話をするんだと訴えかける瞳が、陽射しだけではない切なる光を湛えていた……つまるところ、それは月彦の真意を思いがけず理解してしまっているがための表情だった。


「うん。みんなと食べたご飯は、この世で一番美味しかった」

「なら!」

「でも!」


 半ば体が浮き上がり、世界の穴がすぼまることでより暴威を振るう強風に視界も声も煽られながら、月彦はめいめい叫ぶ。


「折角得た友達の誰かを失うくらいなら――俺が代わりに死んでやる」


 それは、誤認を植えつけられる前の月彦が発した言葉だったのか。

 それとも、誤認から性格が大きく変化した後の月彦が発した言葉だったのか。

 ――あるいは、そのどちらもが発した心からの言葉だったのかもしれない。


「やめろっ……月彦……!」


 やっと世界の穴は閉まる寸前まで至ったが、最早全員、意地でやっと立っているような、ほうほうのていだ。一刻の猶予も許されない。


「ありがとう、みんな」


 ……そろそろ潮時だと、月彦はほっと頬を綻ばせた。


 『小蛇コロチ』は、ある程度残留できる。

 重荷が離れれば、全員が助かるまでの時間は稼げるだろう。


「ありがとう、良太郎――」


 友の嘆きを受けながら、友誼のために手を離す。


「――俺の、一番の親友」


 いっときこそ留めておけたものの、とうに限界を迎えていた手から、指の隙間から、大切なものがするりと抜け出る。


「月彦オオオオオオオオ――ッ!!」


 こぼれた涙が宙を舞う。

 悲しみの雫を引き連れて、決して軽くない少年の肉体が、紙のような容易さで吹き飛ばされた。


 瞬きのような速さで、仲間達が遠ざかる。

 大小様々な瓦礫が乱舞する中でも、その絶望と慟哭が臨界に達した顔は、嫌というほどよく見えた。


「……ああ、」


 最期に見るのが友の笑顔でないことが、月彦にとってはなにものにも勝る罪であり、罰だった――咎人に、直前で世界の穴が閉じるような奇跡は起こらない。


「悪くないけど……」


 一番の親友と呼んだ良太郎の涙が、白んだ朝の陽射しを帯びて、星のように煌めいていた。

 ……そう、戯崎市での日々は、星のように煌めいていた。


 自殺騒動の亡霊、エナジードリンクによる怪人、魔王の蟲……恐ろしい出来事には事欠かなかったはずだというのに、思い浮かぶのは楽しかったことばかりだ。

 皆本家での団欒、舌鼓を打った食事、魔法の鍛錬……愛しいからこそ、必然、思ってしまうことがある。


「やっぱり、寂しい、なぁ」 


 呟きと共に、世界の穴へと呑み込まれる。







 ――そうして、

 加地月彦の物語ストーリー終わりエンディングを迎えた。


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