虹④



「あ~あ、サブヒロインのくせに手間かけさせやがって……まあでも、ハーレムに加えられる可能性はあんのか。ならちょっとばかし痛めつける程度で許してやっか!」


 黒幕はひたすらに下卑た独り言を漏らしながら、アイが消えていった『小蛇コロチ』を睨みつけている。心なしか、自律性能を持たない『小蛇コロチ』ですら、怯えているように見受けられた。


「ってか、魔導具に股とかあんのか? それも確かめればいいだけの話か。メンドクセ」


 弦の時のように、『小蛇コロチ』で引っ捕らえられれば状況も好転するだろうが、相手に魔法は通用しない。苦しまぎれに覚えた対抗手段を封じられ、拳銃をちらつかせられている今、なんとか通じた拳も向けられずにいた。


 その焦燥感は、大博打に興じた良太郎達もまた抱かずにはいられなかった。

 『原初の創生魔法』が手に入るかどうかよりも、粘着質に貼り込んでいる現状では、舞い戻るアイは飛んで火にいる夏の虫だ。すぐさま黒幕に組み伏せられれば、良太郎達も手の出しようがない。その身の特異性から銃弾が軽傷で済んだとしても、籠の鳥だった彼女に抵抗できるだけの腕力はないだろう。


 悪化の一途を辿る現状に、一同は渋面を浮かべる。

 アイの目的を認知していなかった月彦は、殊更苦々しい顔を歪ませていた。


「……どうしてそんなに、アイや、人見や黛さんを物みたいに扱えるんだ」


 毒を含んだ囁きがこぼれ落ちてしまうのも、致し方なかっただろう。

 月彦にとっては、良き隣人である彼女達を代弁する怒りではなく、理解不能な諦観に近かった。


「あぁ~?」


 思いの外地獄耳だったのか、いつまで経っても出てこないアイに痺れを切らしたらしい黒幕は、銃口と共に月彦へと苛立ちの矛先を向ける。


「異世界転生もの……オマエらだって触りくらいは知ってるだろ? 神様に選ばれて異世界に転生するってなったら、チートとハーレムが華。そうだろ?」


 その言葉は否定できない。

 そういったジャンルに精通していない月彦でも、仮にもし目の前に神様とやらが現れて「あなたの願いを叶えてあげましょう」と提案されて、断れる自信はない。都合のいい世界とは、抗いがたい甘美な誘惑の最たるものだからだ。


「圧倒的なチート能力で嫌な連中を蹴散らして、美少女ハーレムでちやほやされる。あの主人公達と同じ同じ」

「違うな」

「…………はぁ?」


 馴れ馴れしく肩を組むような口ぶりをバッサリと切り捨てたのは、良太郎だった。

 銃口と視線は月彦を捉えたまま、露骨に嫌悪感を滲ませる。


「なにが違うんだよ大量殺戮者。今更正義の味方ヅラしてんじゃねぇぞ」

「チートとハーレムが華なのは認めるよ。自分が同じ立場になったらそれを望むだろうなってことも」


 「けどな、」と神妙に言葉を切って勿体ぶる良太郎は、いつかのステラを彷彿とさせた。

 弦を挑発して油断を誘っていた、あの時の。


 それでなくとも、凶器を携えつつも戦闘に不得手な相手なのだ。集中を二手に分けられるほど、器用ではないだろう。

 そこに、突くべき隙ができるはず……月彦は気取られぬよう、密やかに身をかがめる。


「他人の手柄を横からかっさらう卑怯な真似はしないだろ」


 ……異世界転生して圧倒的なチート能力を手に入れた主人公が、あれよあれよという間に美少女ハーレムを築き、現実では得難い幸福を甘受する。

 虫のいい話だが、あくまでそれも主人公が行動した結果にすぎない。そうでなければ物語おはなしにならないからだ。


 物語の類型だ。星の数ほどある全部が全部そうとは限らないにせよ、他人に勝ち取ってもらっておきながら我が物顔で手中に収めようとする厚顔無恥な行いは、あまりにも道理から外れすぎていた。


「…………っ」


 銃口が月彦から逸れ、良太郎を捉える。

 その瞬間が好機だった。


「それはオマエが――」


 射線から外れた……ただそれだけで、脅威が去ったわけではない。


 けれども、


「――選ばれた人間ヒーローだから言えるんだ!!」


 月彦が勇気を奮って立ち上がるには、十分すぎる切っ掛けだった。


「だらああああああああ!!」


 死力を賭した体当たりが、完全に不意を突かれた黒幕を弾き飛ばす。


「テ、メェ……!!」


 転がされながらも手には、怒りを込めてきつく握られた拳銃が健在だった。

 満身創痍の一撃は不意打ちにこそなったが、黒幕を討ち倒すだけの力はない。つぶさに鋼鉄のあぎとが、月彦目がけて牙を剥かんと毒牙をちらつかせる。


「オレに盾突く負け犬サブキャラなんざ……」


 もつれ込んだ距離感は、発砲するのに申し分ない近さ。

 再度、月彦へと定められた銃口が――今度こそ火を噴いた。


「死にやがれェ!!」


 ――パァン、と。

 火薬が炸裂する音が、瞬く間に丸腰の身へと到達した。


「っ!!」


 命を砕く鉛玉は、


「月彦、ありがとうな」


 しかして届かなかった。


「ハ……?」


 黒幕は理解できないと目を白黒させる。

 銃弾が尽きたわけではない。照準は合っていると断言できる。なにせ真正面で月彦を捉えていたからだ。


 ならば、他者の手が加わったに違いないと思い至り、月彦を腹立ち交じりに足蹴にすると、良太郎へと矛先を向け直した。


「お前が時間を稼いでくれたおかげだ」


 良太郎のかたわらには、アイが舞い戻っていた。


「アイ!」

「その女……っ」


 手練れではないとはいえ、黒幕とて人一人が移動するのを見落とすほど節穴ではない。

 どういった仕組みかは判然としなかったが、魔法かなにかで出し抜いたのだろうと黒幕は思い至る。


「で? なんか得られたかよ」

「ああ、しっかりな」


 良太郎の手には、一本の剣があった。


「な……んだ、それ……?」


 黒幕が困惑するのも無理はない。原作ゲームで見慣れた聖剣ではなかったからだ。


 ――鱗が連なった帯が螺旋を描く、馬上槍のような似姿。

 柄を含めた全長は、決して低くない良太郎の身の丈はあろうかという圧倒的な存在感に、黒幕は改めて銃口を引き絞る。


「捨てろ」

「嫌だね」


 端的な応酬は、即座に戦端を開いた。


 再度轟いた発砲音は、


「…………?」


 良太郎には届かなかった。


 着弾が視認できなかった疑念から、黒幕は二度三度と引き金を引く。

 パァン! パァン!

 ――しかし、銃弾はやはり良太郎を穿たなかった。


「一体、なにしやがった!」

「これのおかげだよ」


 良太郎は巨大な剣を検分させるがごとく、横薙ぎに振るって見せる。焦れた黒幕には、油を注ぐ行為だと知ったうえで。


『光の聖剣と闇の魔盾、そして「原初の創生魔法」――それらを束ねたのだ。銃弾なぞ、歯牙にもかけぬさ』

「ああ。ステラが心臓である俺にも、それが手に取るように理解できる」

「ンだよそれ……マジで無法チートじゃねぇか……」


 勇者と魔王、そのうえ創世神の力を併せ持ったとあって、意表を突かれた黒幕は狼狽えたのも束の間、「いや、無法チートじゃねぇわ……」と一つの事実を自覚すると、すぐさま先程までの調子を取り戻した。


「オレには魔法が効かねぇんだっつーの! ご愁傷様!」


 優位性の足場を確かめるような暴言を、良太郎も「そうだな」と半ば肯定すらしてみせる。


「じゃあどーすんだ? 無駄な悪あがきでもしてみるか? ま、やれるモンならな! ギャハハハハハハハハ!」

「良太郎……」


 月彦や暁奈は、既に敵視すらされていない。今この逆境を覆し得るのは、良太郎だけだろう。

 だが月彦には、良太郎の手に握られた異形の剣が一体どういった力を持つのか、皆目見当もつかなかった。


「なあ月彦」


 決戦も佳境の只中、少年の顔で良太郎は言う。


「すまねぇんだけど、まだ左手が治りきってなくてさ……手伝ってくれるか?」

「仕方ないな……」


 困ったように笑う良太郎の頼みに、答えない月彦ではなかった。


「他でもない、『親友』の頼みだもんな」

「ありがとよ。それじゃあ……」


 友情を酌み交わすのはここまでだ。

 良太郎のまとっていた空気が切り替わった。


「お望みどおり――行かせてもらうぜ」


 意を決した少年の顔は勇者へと変わり、高らかに口上を三下り半として叩きつける。


「世界を繋ぐ、創生の階梯を此処ここに!」


 勇者の左手の代わりになるか分からないが、両手でガッチリと柄を握り締める。

 左足を半歩引いて、重心を前にずらした構え。振りかぶる体勢を月彦も真似して、右足を半歩引いた。


「原初の虚空、無穹、天骸――光と闇すら比翼連理の混沌を開闢せし、神の息吹よ……今こそ黎明を裂く烈風となりて、人の世の未来を切りひらきたまえ!」


 剣の切っ先は早朝の空を指し示す。刀身は白亜の巨塔のごとく輝いていた。


よすがを求めて、あてどなく彷徨える異邦人よ! おこがましくも神に成り代わり、その傲慢甚だしき邪欲に報いを与えん!」


 帯びた光は真珠に似た、やわらかな虹色――美しい混沌の極彩色。


 歓喜、憤怒、悲哀、悦楽、

 愛憎、生死、自他、虚実。


 彼岸あちら此岸こちらの隔たりを曖昧模糊とする架け橋が、今。


「――虹霓友誼ッ!!」


 『境界』を越える。


「プルウィウス・アルクス――ッ!!」


 雄々しき咆哮と共に、剣が振り抜かれる。

 天と地を両断した瞬間、剣はその真価を発揮した。


「なッ!?」


 黒幕を取り巻くのは、罪業の責め苦たる檻……ではない。

 連なった『虹霓友誼プルウィウス・アルクス』は、あくどい目論見を根こそぎ絡め取らんと、縦横無尽に散り散りになった刃を奔らせる。

 俗に言う蛇腹剣が、剣というつぼみから解き放たれて中空を舞う。その様はまるで、風に踊る花びらに似ていた。


「きれい……」


 魔法に疎い晴花は、その光景の美しさから思わず感嘆を漏らすが、黒幕の顔色は思わしくなかった。


 なにせ、囲まれている。

 檻と見まごうのは伊達ではなく、たとえ効果がないと分かっていてもチェーンソーの前に飛び出すような忌避感が、否応なく身をすくませる。


 ならば神から賜った転移能力があるじゃないかと切り替えても、刃の嵐は屋上全体に及んでいる。この世界に来てからのほとんどを傍観者として高みの見物をしていた黒幕にとっては、不慣れがゆえに躊躇ったわずかな時間が致命的だった……心臓であるステラを介して、初めての力も掌握していた良太郎にとって、突くのに十分すぎる隙だった。


「厄介なお客サマには、そろそろご退去願おうか!」


 高らかな口上が、逆転の狼煙となる。

 逆転――良太郎達ではなく、


「気張れよ、月彦!」

「ああ!」


 乱舞する刃が静止したのが、一瞬。

 そして、花吹雪が逆巻いた。


「な、」


 逆巻いたのは花吹雪だけではない。

 つぼみの形状へと戻っていく『虹霓友誼プルウィウス・アルクス』に引き寄せられるように、空気が突風となり、問答無用で一帯を蹂躙し始める。


「なんだよ、これ……!?」


 樹木も薙ぎ倒す自然の暴力の前では、人間の自重は羽根に等しく軽い。踏ん張りが効かず、恐怖に思考は転移に結びつかない。


 そうした絶体絶命の最中、黒幕は背後の『それ』を見た。


「言ったろ、『階梯』だって」


 錐で突いたような穴。

 それが、朝日で色彩に富んだ空にぽつりと浮かんでいる。


 神だの魔法だのには露ほどの興味もない黒幕にも、その小さなブラックホールもどきの正体に思い至った――あれは空にではなく、世界に空いているのだと。



 階梯……要はハシゴだ。

 繋ぐもの、あるいは渡すもの。


 そう、あれは剣でも槍でも、鎖でもなければ、ましてや天弓ですらない――


「みんな、掴まれ!」


 剣を元の錐に戻した良太郎が叫ぶ。

 続いて地面を指し示した切っ先が、あらん限りの力を込めて深々と突き立てられる。


 ひしと身を寄せ合う姿を見て、仲良しかよと感想を抱いたのと同時に、黒幕の体が浮かび上がった。


「意味、分かんねぇって……」


 恐れ多くも世界そのものに牙を立て、こちらのように隣接しているかも分からない別世界を手繰り寄せた、超抜級の魔法。

 それこそが神の権能――原初の創生魔法。

 黒幕しか知り得なかった本当の世界を引きずり寄せてみせた前では、魔導犯罪や異世界災害など、最早児戯ですらない……言うなれば、月を目指していた者には知り得ない、宇宙の果ての深淵のような。


 そして翻っては黒幕にとって、致命的な敗北を意味していた。


「ガッ……!?」


 激闘によって築かれた瓦礫の山が、突風に巻き上げられて牙を剥く。

 鈍痛に見舞われた側頭部が、雄弁に物語る――風に舞う木の葉の状況を脱しようと転移したとしても、この最中、体をつぶてが貫かない保証はない。


 そもそも愕然とした黒幕には、既に戦意は残されてはいなかった。排除するべき障害を登場人物にしか絞っていなかった黒幕にとって、これを乗り越えるすべがない。


 振り絞れる知恵もなく、武器も、仲間もいない。

 完全な詰みだ。


「バッドエンドでもデッドエンドでもなく、」


 脱力した体は一層軽く、空虚へと吸い込まれていく。


「ゲームオーバー、ってことかよ……ぉ……」


 苦々しい捨て台詞は、因果応報とでもいうのか、風にまぎれて誰の耳にも聞こえないまま消え失せる。


 紙屑をゴミ箱に捨てるような、あまりにも呆気ない最後。

 散々世界と人の心をもてあそんだ悪逆非道の末路としては、あまりにも簡素な、静かなピリオドだった。


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