第十章『虹』
虹①
目鼻立ち、髪型、背格好、服装……表情と口調以外のなにもかもが、
瓜二つなど生易しい。クローンよりもコピーと呼ぶべき存在の少年。
「良ちゃんが……もう一人……!?」
「いいえ、違うわ」
毅然とした態度で、暁奈は晴花の動揺を否定する。ステラに回復を施され、生気を取り戻したがゆえの力強い言葉が、黒幕へと向けられた。
その姿を見れば、嫌でもドス黒い目的の底が知れるとばかりに、「やっと腑に落ちたわ……」と暁奈が低く息をつく。
「加地に無断で色々手を加えて、私と黛さんがバカテンドーに好感を抱いたまま無事に助かった後――天道とステラと加地を闇討ちかなんかで始末して、たまたま助かったふうで天道に成り代わろうって腹積もり? 反吐が出るわ」
「っ!」
暁奈の確認に似た台詞のおかげか、子細はともかく、虚空に佇む偽良太郎が敵だと理解したらしく、晴花はヒュッと喉を鳴らした。
「ンだよ、そこまで理解してるとか興醒めだわ」
「……人をなんだと思ってるの」
「ヒトぉ~お?」
しかし黒幕は酷く腹を立てた様子で、露骨な態度で舌打ちを返す。
「メインヒロインだからって――イキがんなよ、たかがゲームキャラのくせに」
「…………っ」
そういけしゃあしゃあとのたまわれて、月彦はやっと、相手が推測されていた愚かしい悪行に本気で手を染めようとしているのだと、骨身に沁みて思い知らされた。
良太郎を代替可能な存在だと誤認しているだけでなく、暁奈と晴花に至っても、己に媚びへつらう愛玩動物だとしか考えていない。都合がいいにも程がある。歪みきった思考回路に、月彦は戦慄を禁じ得なかった。
「あ~らら、残念ね。あんたの言うそのゲームキャラは、あんたのことなんてこれっぽっちも好きじゃないから。
「心配すんなって! ここ数時間の記憶だけ消して、後はそれっぽく辻褄合わせて説明すりゃあ、オマエらもオレのことを好きになってくれるからさ!」
売り言葉に買い言葉だった暁奈も「……度し難いゲス野郎ね」と眉をひそめた。
「そういうこった!」
ひと息に、良太郎が聖剣を握る。昇り竜の軌跡を描く構え。
「一昨日来やがれ、ゲス野郎――ッ!!」
悪縁を断ち切る光の刃が朝日の白さをまとい、一気呵成と黒幕目がけて襲い掛かった。
「――――は、」
が、
「なっ!?」
「はははははははは! バアアアアアアアアアッカ!」
突如として、『
「オレに逆らうバカ共への対抗策を持ってないとでも思ったか?」
届かなかったわけでもなければ、防がれたわけでもない。黒幕へと至る中途で抹消されたかと見まごう怪現象に、なんらかの種か仕掛けがあるのだろうと推察するよりも早く、「神様肝入りのチート能力だよ!」と高らかに優位性が謳われる。
「お前らの攻撃は、たとえ天地がひっくり返ってもオレには届かない!」
その言葉が嘘ではないと物語るように、光の斬撃が幾度となく殺到するが、見えないなにかに阻まれるように遮光されていった。
「ぐ、クソぉ……!」
「いい加減諦めろよ主人公。主役交代の時間だ。オマエはもうお役御免なんだよ」
呆れ返った黒幕が、朝焼けの空を歩いてこちらへと下っていく。
舐め腐りながら静観していた悪漢は、さあこれから夢を叶える作業が始まると言わんばかりに、月彦達のいるビルへと降り立った。
「だらアッ!!」
その隙を狙い、すかさず良太郎が切りかかる。
「無駄だっつってんだろ」
「がッ……!」
直接攻撃ならばあるいはと振りかぶられた聖剣が、明確な拒絶でもって弾かれる。何倍もの衝撃を押しつけられた良太郎は、ビルの端まで転がっていった。
「うっざ。日本語通じねぇのかよ」
それこそが黒幕の能力なのか。悠長に考察している暇もなく、「まあでもいっか。取り敢えずヒロインの片方とはお目通りできたわけだし?」と品定めするよりも下品な目つきで暁奈を舐める。
近くにいた良太郎が弾き飛ばされ、一人取り残されていた彼女へと、情欲の矛先を向けられていた。
「記憶消すんだし、折角だからちょっと味見でもすっか~!」
「…………っ!」
火を見るよりも明らかな非常事態。
ただでさえ満身創痍だった良太郎は歯が立たず、仮に魔法で対抗できたとしても、二の轍を踏むのが関の山だ。
そして応急措置をされたとはいえ、暁奈も本調子でないのは同様のはず。毒牙にかかれば、あっという間に餌食となるだろう。
「業火よ!」
魔眼も起動せず、魔導書のようなブーストアイテムもない、単純な魔力の炎のストローク。
しかし聖剣と比べるまでもない威力の低さは、やはり絶対防御の前では爪すら立てられず、水を浴びせられたかのごとく鎮火されてしまった。
「クソッ……来るんじゃないわよ!」
そう吠えて強がるが、摩天楼に逃げ場はない。アイと晴花の元へと逃れても同じこと。良太郎が余力を振り絞って立ち向かっても、焼け石に水の結果にしかならないだろう。
……月彦は動くことができない。
この中で、唯一ほぼ無傷。幾ばくかの時間稼ぎくらいはできるはずだというのに、恐怖におののいた足は動こうとしてくれない。
「っ『
震わせた喉に呼ばれ、黒影の蛇が襲来するが――「んん~?」
黒幕に首を傾げさせるだけに終わった。
良太郎の時と同じく弾かれた『
「なんかやったか~?」
嘲笑と侮蔑が入り混じった、醜悪な表情。それが月彦には、朔之介や魔王よりも一等恐ろしく見えた。
……バイアスの入った認識も、そう間違いではない。
良太郎と暁奈が全力で戦える万全の体制でも、攻撃が一切通じない相手に善戦できたかどうか。なにせ相手はこの世界の異邦人であり、言説が本当ならば神という埒外の存在から力を与えられているのだ。
「まずは揉むか。ああ、あとしゃぶらせるのもアリだな」
このまま自分達は、なすすべもなく蹂躙されるしかないのか――骨身に沁みる絶望が、指先まで凍えさせていく。
「い……」
小さな声が、耳に届いた。
「嫌……っ」
暁奈だ。
引けた腰ごと踏みつけられて、今まさに胸元から服を力づくで引き裂かれようとしている――その光景が、やけにゆっくりと脳裏に焼きつく。
濡れた瞳が、月彦を捉えた。
「たすけて」――言葉もなく訴えかける眼差しに、凍えていた足は氷を踏み砕いて、がむしゃらに走り出していた。
「うわああああああああッ!!」
瓦礫につまづき、砂塵に塗れながら、じっとしていられない無鉄砲さだけが月彦を突き動かす。そこに理性的な判断はひと欠片も介在していなかった。
使える魔法が『
つまるところ選んだのは原始的な攻撃。
腰のひねりと腕力、そして助走の勢いとを合わせて拳を相手に叩きつける――パンチだった。
「バカって、『いっぺん死なないと治らない』って言うけど、マジでホントなんだな」
考えなしな特攻。
捨て鉢な突撃に、黒幕は一瞥たりともよこすことはなく、ただ鼻で笑うだけだ。
そして瞬きの間に、月彦は肉薄した。
「ンな攻撃がオレに効くわけな――――」
握り締めた拳が、黒幕の頬に突き刺さる。
「――――ッごガ!?」
反撃の狼煙は静かに、だが確実に上がっていた。
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