決着の臨界点②



『ガァアアアアアアアア――ッ!!』


 間もなく薄明に差し掛かろうという夜のとばりに、驟雨もかくやという魔王の断末魔が降りしきる。


『何故だッ!! 貴様は死滅を求め、否定を呪い、そして絶望していたではないかッ!! だというのに、今更生存と肯定を希望するというのか!?』

「当たり前だろ……」


 『禍時慟哭クレプスクルム』の杭に貫かれながらも、良太郎は鉄の意志で魔王の手を握っていた。暴れ、手の骨を折らんばかりの抵抗をされても、決死の覚悟が絶えず魔王へと光を送り続けていた。


「死にたいのは生きたいの裏返しで、生きていくのは死んでいくの裏返しだ。死にたいほどの理由が晴花にあるっていうんなら、吐き出させるまでだ」

『勇者……勇者め……!』

「なあ、聞こえてるんだろ晴花!」


 怨嗟の叫びを上げる魔王を意に介さず、良太郎は晴花へと語り掛ける。


「俺が勇者で……俺があの災害の原因だって知って、怒ってるよな。そのくせお前には黙って優しい幼馴染のフリをしてさ……愛想を尽かされたって文句は言えねぇよ」

「ちがう……」『ガ、』「違うよ……」


 これ以上なく明確に、魔王に変化が生じた。


「!」


 見守るしかなかった月彦達も目の色を変える。

 ノイズ混じりだった声色が、晴花のものへと晴れたからだ。


「嬉しかったよ! 良ちゃんが帰ってきてくれて、心の底から! お父さんもお母さんも、家も、近所の森おじさんも、仲良しだったつぼみちゃんも、みんなみんないなくなっちゃった中で、それでも良ちゃんだけが変わらずにいてくれて嬉しかった!」


 濁っていた瞳が、光を屈折する涙で溶けて流れていく。


「でもなんで!? なんで良ちゃんが勇者だったの!? 異世界なんかに勝手に連れて行かれて、魔王なんて倒さされて、帰ってきたと思ったら町が大変なことになって……私も辛いけど、一番辛かったのは全部知ってた良ちゃんじゃないッ!」

「…………」

「折角帰ってこれたのに、やっとゆっくりできるのに、私が魔王なんかに心を許したせいで、良ちゃんを苦しめてる!」

「そんなことない!」

「そんなことある!」


 落涙が、嗚咽が、頑なに閉じ込めてきた心を氷解させる。堰を切った本音は、猛々しい濁流に似て溢れ出ていく。


「もういいよ……私のことはほっといてよ! もう私は魔王なんだよ!?」

『そうだ、貴様は魔王と化した。それは不可逆である!』

「この町も、みんなも、滅ぼしちゃうかもしれない悪い奴なんだよ!?」

「捨て鉢になるのもいい加減にしなさいッ!!」


 ぴしゃりと切り込んだのは暁奈だった。

 いまだ血を流す目をかばい、アイに支えてもらいながら晴花の足元にすがりつき、言葉の爪を立てている。


「バカテンドーはそんなこと十も五十も承知で、命がけで助けようとしてんのよ!」

「それが余計なお世話だって言ってるの! もう辛いの……死にたくて死にたくて堪らない!!」

「晴花が死ぬ必要なんてない……っ!」

「なら望まない私が生きる必要だってないじゃない! 今まで十分頑張って生きたじゃない!」

『死ぬのは一瞬だが、生きる苦しみは死ぬまで続く! 貴様らにこやつを一生生かすだけの言葉が紡げるか? 無理だろう!』

「叔父さんのお世話もして、学校も頑張って、まともな人間の擬態をして生きて、これ以上まだ苦しめって言うの!?」


 良太郎の言葉はおろか、暁奈の𠮟咤もアイの訴えも、自暴自棄になった心の傷にはきつく沁みるばかりだった。


「死なせてよ!! 楽にさせてよ!!」


 地獄の責め苦に喘ぐ慟哭が、二つの世界の狭間で轟く。


「悪い魔王を倒すのが勇者の役目なら……早く私を殺してよオオオオオオオオッ!!」

「――それが、本当に黛さんが言いたかった言葉なのか」


 月彦の口からふいに、そんな疑問がこぼれ落ちた。

 晴花本人に訊くでもない、独り言のような問いかけ。


「え……?」


 切迫した状況にはあまりにも場違いすぎて、当の晴花さえも困惑で緊張が抜け落ちる。だからこそ染み入った言葉を、知ってか知らずか月彦は続けた。


「魔王だからとか、災害の生存者だからとか関係なしに、黛さんはどうしたいんだ」


 月彦には、確かに原作ゲームを通して見た晴花の人となりに関する知識がある――しかし、それはあくまで知識でしかない。


 月彦が実体験として知り得たのは、晴花が良太郎のことを淡く好いていること、料理がうまいこと、そして何気ない日常を愛する穏やかな姿。あたたかな団欒こそが、黛晴花という少女そのものだった。

 表面的な印象で、内実は大きく異なっていたのかもしれない。現に容易く拭い去れない死の匂いは、晴花の心に色濃い影を落として苦しめている。


 ――だとしても、


『おい、やめろ』

「私、は……」

『たわ言に耳を貸すな!』


 やはり良太郎の言ったとおり、死にたいのが生きたいの裏返し。


 それならば。


「お前相手だから強がってカッコつけてるけどよ……俺もキツくて死にたいこと、いっぱいあった」


 良太郎は静かに語り掛ける。そこには最早勇者の姿はなく、ただの幼馴染の高校生がいるばかりだった。


「クソ辛ぇ戦い終えて、やっとこっちに帰ってきたら、また魔法とか色々な面倒に巻き込まれるしよ、親父もお袋は冷たいしよ……『どうして俺だったんだ』って何度も思った」


 死にたいのが生きたいの裏返しならば、生きたいのは死にたいの裏返しのもまた、当然の摂理である。

 晴花が辿ってきた道筋が過酷な分、良太郎の辿った道もまた過酷なのだった。


「だからお前がいてくれて、皆本家で笑い合えるのが、堪らなく嬉しかった。罪悪感で圧し潰されそうなのに、涙が出そうなくらいあったかかった」


 勇者ではない、ただの良太郎の言葉。

 主人公だと運命づけられているがために、艱難辛苦に巻き込まれ続ける少年の悲哀。


「お願いだ、――」


 呼ばなくなって久しくなった、かつてのニックネームを口にする。


「――俺に『殺してくれ』なんて、言わないでくれ」


 かすれ、呼気と共に吐露された本音は、魔王に向かって啖呵を切ってみせたのとは真逆の、みっともない等身大の嗚咽に塗れていた。


「私、は……」

『たわ言に耳を貸すなと言っているだろう!』

「私は……!」

『何度言えば理解できる!』


 追いすがる魔王は必死に叫ぶ。

 既に傾きつつある天秤を戻そうと躍起になるが、それはつまるところ、主導権が移ろうつつあることの証左だった。


『貴様は既に魔王の身! 世界を呪う、死滅と否定の象徴! 絶望の常闇である!』

「許されるなら、それでも構わない!」


 晴花の語気に、本心からの切実さがこもる。悪魔の囁きを振り切るだけの力がみなぎり、大きく息を吸い込んだ――それがピリオドの合図だった。


「私はまた、みんなと一緒に、ご飯が食べたいッ!!」


 ――光が臨界に達し、飽和する。


 死滅を、否定を、絶望をかなぐり捨てた晴花はステラの輝きを抱擁し、そして享受した。主導権が移ろいつつあった魔王には、あまりにも決定的な致命傷だった。


『■■■■■■■■――ッ!!』


 最早言語を発することもできなくなった魔王の断末魔が、紫がかった空へと立ち昇り、攪拌、希釈されていく。


 濃紺一色ではなくなった空を見上げて気づく。

 既に夜明けはすぐそばまで迫っていた。地平線から顔を覗かせた太陽――黎明が、魔王のとどめを刺した。


『■■……■■……』

「さよなら。曲がりなりにも、私の命の恩人だった人」


 訣別おわりの言葉。


 はなむけが朝靄を縫って、秋晴れの清々しい眩しさを瞳に映す。

 異様だった異世界への裂け目も、開かんとする首謀者がいなくなったことで自然と塞がっていった。夜通し動き回っていたせいで、いつの間にか朝になってしまっていた空は、普段の穏やかさを取り戻していた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る