独白:地獄のみぎわ
砕け散ったあたたかな団欒。
親しい人達が喚き立てる悲鳴と怒号。
見慣れた町並みは地獄。
「…………あぁ、」
嫌というほど印象深く記憶に強く根づいた光景に、少女は空虚な吐息を漏らす。
少女――深層心理の主である黛晴花にとって、この地獄はあくびが出るほどの既視感に満ち溢れていた。
学校で、皆本家で、当たり前の日常を笑顔で過ごしながら、視界の端では地獄の熾火がチロチロと命の赤を見せていた。
「もう、五年も経ったのかぁ」
あつい。くるしい。けむたい。つらい。いたい。
いやだ。いやだ。いやだ。こんなのはいやだ。
なにもわるいことしてないのに。
まだやれてないこといっぱいあるのに。
――しにたくない。
「もう、五年も経つのにねぇ」
だがそんな気持ちは、とうに冷め切ってしまった。
無感情に地獄を眺めながら、晴花は瓦礫の上で膝を抱えた。
「…………」
なにもわるいことしてないのに――けれど生き残ってしまった事実が、血塗られた十字架となって重くのしかかってくる。
まだやれてないこといっぱいあるのに――生きられなかった人の分までやれることをやってと、見えない人々の空気がきつく締めつけてくる。
しにたくない――正しく生きれば生きるだけ、どうしてあの日生き残ってしまったのかと思ってしまう。
『汝の魂はいつだって、死滅と否定……そして絶望に染まっていた』
過酷なリハビリに耐え、叔父である
そういった好奇の眼差しもやっと少なくなってきたが、さりとて染みついた死臭が拭い去れるはずもなく。
『復讐心に燃えていたのも最初のうち。人間とは、かくも軟弱なものかと呆れたものだ』
「だってそうじゃないですか。復讐なんて責任転嫁の八つ当たりしたって、私を取り巻く環境が変わるわけでもない。胸がすくのも一瞬だけ。それに……」
『汝が想い人、幼馴染がよもや勇者張本人だったとはな』
勇者――幼馴染である良太郎が、図らずもその災害の原因だった。
「嬉し、かったのになぁ……良ちゃんがいてくれて……」
揃えた膝に鼻先を
「少しだけ、ほんのひと欠片でも変わる前の大切なものが、帰ってきてくれたって思った」
けれども魔王を介して、晴花はその隠された真実を知ってしまった。無論、魔王の存在を知覚していない普段であれば知らないままだが、無意識下では目を逸らすことはできない。
「なのになぁ……良ちゃん自身のせいじゃないって言っても要因だなんて、カミサマって酷いことするよね」
『神ではないが、近しい我には分かる。蟻の暮らしに滞りがあっても、人間には直接的な関係はない。そういうことだ』
「そう、なの? でもあなたは良ちゃんを凄く恨んでる」
『…………』
本来であれば、命知らずにも物申した晴花を痛めつけるか、ないしきつく睨みつけて警告を発していただろう。だが魔王は静かに目蓋を閉じ、思案に耽っていた。
ここは深層心理下。魔王とて例外ではなく、
『憎しみ……が近いのだろうな、この感情は』
異世界災害の化身という神罰の暴威でもなく、勇者への復讐に滾る魔王でもない――人間の少女に宿った影響で芽生えた自我の根幹は、酷く穏やかだった。
『言うなれば、世界から拒絶されたようなものだったからな。愛されるべくして生まれてきたわけではなかったが、聖剣を鍛造し、勇者までも召喚したあの世界を、そして勇者を……我は憎んだ』
『こちらの世界で天変地異を避けるべく予報が生まれ、あるいは備えて脅威を軽減させる
だとしても、その結果が聖剣への
『そうだ、汝の言う「責任転嫁の八つ当たり」を行おうと、こんな別世界まで逃れてきたのだ』
そうまでして自身を拒絶するのかと、魔王が「責任転嫁の八つ当たり」をしてもやむなしと言えるのだろう。
しかし魔王が行ってきたのは、無関係の少女への憑依、自身を追い駆けてきた忠臣『魔王の蟲』を糧とし、悪漢とはいえ老爺の命を踏みにじった。
『けれども忘れるなよ。今でこそ諦観が勝ったとはいえ、汝もまた「責任転嫁の八つ当たり」を行おうという気持ちがあったということを』
「忘れてないよ」
人の世の罪が適応されないのだとしても、魔王は十分咎人だった。
「忘れられるわけ、ないよ……」
だが――咎人にしか暴けない真実も、ある。
『汝の方こそ、憎いか? あやつが』
「……分からない」
晴花は小さく首を振る。
『なにかあるはずだろう。「憎い」でなくとも、「悲しい」や「どうして」といった感情が』
「…………」
『ないのか? なにも』
「…………」
『言いたいことの一つや二つもないとは、汝も随分と薄情な奴だな』
「……るよ」
『ん?』
「言いたいこと、あるよ……!」
やにわに、晴花は立ち上がる。
瓦礫の山の頂上、地獄を見渡せる場所に立ちながら、彼女は天を仰ぐ。
「沢山あるんだよ、私……っ!」
――その叫びに呼応するように、世界に変化が訪れた。
慟哭に焦がされる空が一転、清廉な光が差し込む。黎明に似た、澄んだ煌めきが人の腕を模る。
釈迦の蜘蛛の糸を思わせるそれは、晴花を引き上げようと手を伸ばしていた。
吸い寄せられるように、一等高い場所に立っている晴花も手を伸ばした。
『そうだ。それでいい』
邪魔立てするでもなく、見守る魔王はひとりごちる。
『最早我には、勇者と世界に復讐する道しかない。異世界災害の化身たる
晴花の手が、差し伸べられた希望をしかと握り締めた。
地獄から引き上げられていく先で、ひび割れから光が漏れ、孵化を思わせる衝撃で視界が開けていく。
『だが汝は違う。
魔王の言祝ぎが最後に聴こえたのか否かは、最早誰も知らない。
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