第九章『決着の臨界点』
決着の臨界点①
凄絶な交錯だった。
咆哮と嘲笑、そして聖剣と魔盾がぶつかり合う。
「オオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
「ハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
翻る剣は地を抉り、受け流す盾は空を断つ。
撃ち込む盾は空を穿ち、捌く剣は地を刻む。
激しく繰り返される接触と別離は、鋭く、速く、重い。
「…………っ!」
余波で吹き飛ばされないのが不思議なくらいだ。おそらくは互いが互いにしか意識を向けていないせいで、漏れ出るだけの余剰がないのだろう。
月彦は
しかし眼前に広がっているのは、あの死闘よりも輪をかけて尋常ではないものだった。
「ハハハハハハハハ! どうしたどうした! これでは首級を上げることなど叶わないぞ!」
「ンなのお前だって同じだろうがッ!」
力量差だけであれば、身を削る思いで身体強化が可能な良太郎に軍配があがる。
異世界災害である側面の強い魔王は、軍勢という物量による攻めを得手とするが、裏を返せば一騎打ちは不得手のはずだった。
だが現実はどうだろう。
「――だ、ラァ!」
光の斬撃が横薙ぎに魔王へと食らいつく。盾で防がれれば、その隙に肉薄することができる。中腰の良太郎がひと息に迫ったが――「っ!」
「甘いッ!」
目論見はお見通しだと言わんばかりに、斬撃ごと薙ぎ払った盾が良太郎を圧し潰そうと振りかぶられる。
「クソが!」
すんでのところでスライディングして事なきを得るが、再び接戦は振り出しに戻された。
この一進一退の攻防が繰り返されて、一体何度目だろうか。これでは埒が明かないと、月彦は苦々しく歯噛みする。
「あの盾だわ……」
助太刀もできず、ただ指を咥えて見ているだけだった月彦の隣で、アイに支えられた暁奈が言う。
「闇魔法で聖剣の勢いが殺されてるうえに、頑強な盾のせいで斬撃が効いてない」
呼吸が整い、小康状態となったことで自慢の眼が活きてきたのだろう。決戦の要を端的に言い表す。
最強の矛と最強の盾に起因する矛盾の逸話であれば、ぶつかり合えばどうなるかは分からない。けれども実際は、受け流すか回避するしか防衛手段のない剣と、近接用の一撃必殺手段を備えた盾である。
光と闇――どちらの力もほぼ互角であれば、必然的に盾の方が有利となる。
魔盾『
「ここままじゃジリ貧よ」
競り負けば、そこが良太郎の落陽――逢禍時だ。
状況は理解できた。しかし月彦は納得には至らない。
「でも魔王が覚醒したからって、ただの女子高生があんな肉弾戦ができるとは思えない」
今も尚、身の丈に届こうかという巨大な盾を軽々と振り回しているのだ。確かに晴花は家事に注力していただけの腕力はあったが、あくまで少女のものでしかない。
「なにか裏があるんだ」
……ならば絶大な胆力の源泉は、魔王から流れ込むものに違いない。
「『魔王は異世界の災害』……そうアイも聞いた。なら理由はなんとなく分かる」
ステラは言っていた――『異世界では精霊が自然の代弁者を担っていたが、いわば魔王は死神のようなものだと言えるだろう』と。こちらでいう台風や地震に分類される天変地異、本来は悪意なく死滅と否定を振り撒くその具現である。
そうだ。黛晴花はまぎれもなくただの女子高生だが、今現在主導権を握って力を振るっているのは、その異世界災害の化身たる魔王なのだ。
「人間の魔力の最大量はそれぞれ決まってる。それは晴花もそう。だけど……」
アイの視線が、もう何度目かの拮抗を捉える。
「ステラ……もっと、もっとだ!」
『癪だが、仕方あるまい……!』
良太郎の呼びかけに応じ、聖剣の輝きが四肢に絡みつく。瞳までもが黄金の煌めきをまとい、身体能力を極限まで引き出そうと活力をみなぎらせる。
光魔法による
「オオオオオオオオ――ッ!!」
影山弦との戦いは言うに及ばず、癒えたとはいえ、覚醒した魔王との遭遇での傷もある。既に限界を迎えつつある自身を鼓舞するかのうような雄叫びは、慟哭に似ていた。
「そうだ! そうでなくてはつまらない!」
負けじと魔王も声を張り上げる。
光の尾を引いての高速移動が可能となった良太郎の一刀を、それでも魔王はやすやすと受け止めてしまう。
「全力を出き切れ! 限界を超えろ! 死力を尽くして来るがいい! そうして膝を折ったあかつきに、心臓を熟れた果実のごとく潰してやろう……!」
鍔迫り合い越しの𠮟咤激励は、しかし良太郎を殊更長く苦しめるものでしかない。
「ハハハハハハハハ!!」
力を増しているはずの聖剣に押し勝ち、更に杭を打ち込もうと追撃をかける。
紙一重で身を翻す良太郎が「ッチイ!」と舌打ちをする様にすら、淫靡に舌なめずりしていた。恍惚とした顔は、狂おしいほどの歓喜に打ち震えている。
……これだけのものを見れば、おのずとカラクリは見えてくるだろう。
「人間の魔力の最大量は、それぞれで決まってるわ。同じスマホでも、機種によってバッテリー量やパフォーマンスが違うように。それは黛さんも例外じゃない」
いつかの異世界と魔法の解説よろしく、暁奈が話を引き継ぐ。
「あたしがやったように、文字通り身を削って限界を超える方法もある。でも、それじゃないのよ」
暁奈は己が才覚――それこそバッテリー量やパフォーマンスに上乗せする形で、自らの髪を焼き払った。だが見る限りでは、魔王がそういった対価を支払っている様子はない。
ならば、なにが魔王を魔王たらしめているのか。
「異世界災害の化身――魔王自身が、異世界そのものが生み出した魔法だから」
――その身、その視線、その指先こそが、異世界の秩序がもたらした暴威そのもの。
たとえ晴花の魔力を溜め込む器が、月彦よりも小さく、実用に適していないとしても問題はない。なにせ、昏々と魔力が湧き出し続けているのだから。
「なん、だよ……それ……」
最早魔王と呼ぶことも生ぬるい。晴花の形に押し留められているだけの災害ではないか、と月彦は絶句する。
異世界の魔王の時分には、魔物の軍勢として割り振られていた力が、今や人の身一つに集約されて、本領発揮とまではいかずとも無尽蔵と言って差し支えない魔力となって、莫大なアドバンテージを与えている。
良太郎はそんな怪物を相手取っていたのかという驚愕と共に、当然のように最悪のケースを思い至った。
――「今ここで倒さなきゃ、魔王は絶対にこの町の人達を食い物にする!
魔王と化したばかりの晴花に、良太郎はそう述べていた。良太郎が敗北を喫し、晴花の殻を破って魔王が羽化した場合、復讐後は異世界に返り咲くのが目的だとして……一体、何人もの人が犠牲になるのか。
「なにか……打開策は……」
絶望で停止しそうになる思考をそれでも回転させるが、起死回生の一手は暗澹たる闇に包まれ、一縷の望みも見えはしない。
「お望みとあらば――」
二の足を踏む月彦達に対し、良太郎は既に覚悟を決めていた。
「――超えてやるよ、限界も! なにもかもッ!」
駆け出す足が、アスファルトを踏み割る。生命を讃歌する聖なる黄金を味方につけながら、どうしようもなく血の赤に塗れた良太郎は、光の矢となって疾走する。
いびつな濃淡の光帯が尾を引いたのが、ほんの一瞬。
瞬きの間に身を寄せられ、反射的に盾を構えたがしかし、杭を
「ッ!?」
左手にのみ握られた聖剣は、袈裟ではなく昇り竜の構え。
「狙いは別か」と魔王が思うより早く、戦況は風雲急を告げる。
「だ、らァッ!!」
踏み込みと共に振るわれた斬撃は魔力を伴い、力づくで魔王から盾を引き剥がし、天高く吹き飛ばした。
武具と武具がぶつかり合う硬質な音に混じって、生々しい肉と骨の砕ける音。
……全身全霊を込められた左腕は、回復をかなぐり捨て、強化にのみ力を注ぎ込まれていたと月彦達は聴覚から知らしめられる。
ギリギリ腕の形を保っただけの木偶の坊からこぼれ落ちた聖剣を、そのためだと言わんばかりに温存しておいた右手が握り締めた。
「黎明讃歌、」
無理矢理盾を弾き飛ばされ、つられ体勢を崩した魔王へと、今まさに断頭の刃が振り下ろされる。
「ディールクル――!」
「――――そうやって魔王も、この町に振り撒いた災いも、私ですらも、全部『仕方なかった』で切り捨てるの? 良ちゃん」
「っ」
見知った幼馴染である
たかが一瞬。されど一瞬。
しかしたった一瞬がすべてを制する戦いの場において、わずかな気の迷いは命取りだった。
「が……、ぁ」
打ち上げられた盾が魔王の手に舞い戻る。
そして杭がその胸を貫くのには、十分な時間だった。
「りょ、」
遅れて耳に刺さる、杭が良太郎を穿った音。
「良太郎ッ!!」
月彦の悲鳴が月夜に轟く。
「なんて卑怯な」と憤慨するのでも、「おぞましい凶行だ」と恐怖するのでもなく、ただひたすらに親友の命が餌食とされる様に、どうしようもなく叫ばずにはいられなかった。
心臓に毒牙を突き立てられた良太郎は、先程の
「ハハ――ハハハハハハハハ!! 甘い! 甘すぎて愛着すら湧くほどだ!」
仕留められた獲物のごとく、盾にしなだれかかった良太郎に覇気はない。ぐったりと力なく、ただ溢れ出る自らの鮮血に溺れるばかりだ。
「愉快愉快! 復讐というものが、こうも甘美な愉悦に満ちているとはな!」
最早この世界を手中に収めたも同然。異世界へと凱旋する前に、そこな木っ端共を貪り食らってから、意気揚々と町へ繰り出そうか。
魔王の胸中を、心地良い高揚感が埋め尽くす。
「ハハハハ――ハ――?」
視線を向けた魔王に、一抹の疑念が生まれる。
――聖剣が、見当たらない。
杭で串刺しにした際に手から離れ、ビルの下にでも落ちたのか? いや、あれほど存在感のある輝きを見落とすほど、魔王も勝利の美酒に悪酔いしてはいない。
ならばどこに……と思った矢先。
「っ!」
良太郎の手が、盾を構えたままの魔王の手を握る。
決して虫の息とは思えない、絶対に離さないという確固たる意志を感じさせる強さだった。
「あ~……痛ぇ、死にそうだ」
「何故」
何故、致命傷を負いながら、まだ抗うだけの胆力が残っている?
そう尋ねようとした魔王は気づく。
「なっ……!?」
杭の輪郭を縁取るように、良太郎の胸が光り輝いている。見間違えるはずもない、それは――「聖剣の!」
『ああ、私だ』
ステラの声が、一層困惑の波紋を広げる。
「かつての決戦時、確かに我は勇者を殺した! 心臓を潰した! だというのに……いまだ健在であるのは貴様の策略か、忌まわしき聖剣!」
『そうとも言える。まあ狙い澄まして行ったわけでもなし、策略と呼ぶには拙い結果だったがな』
聖剣そのものはなく、だが響き渡る声と良太郎をに施された光魔法を目の当たりにすれば、おのずとその存在の秘密が明らかになる。
「まさか、心臓……!」
『ご明察』
ステラは言う。
『私こそが、失われた良太郎の心臓の代わりだ』
「討ち死にした勇者にすら生存を肯定するというのか!?」
魔王が目に見えて動揺するのも無理はない。当人にしてみれば、異世界から帰還する際にたまたま携えていたために、聖剣がこの世界に存在するのだと思って当然だからだ。
姿を消したり現わしたりするのも、霊体化して良太郎のそばに控えているわけではない……今や聖剣の存在は、良太郎と同義である。
ステラが単独行動をまるでしていなかったのも、そういった理由からだったのかと、皆本家で秘密を告げられた暁奈とアイも驚愕していた。
月彦こそ原作ゲームの知識で知っていたとはいえ、こうも実際の強硬手段として使われるとは思ってもみなかった。冷えていた肝が、希望とぬくもりを取り戻す。
『魔王なんぞに講釈を垂れられるのは虫唾が走るが……無知に真実を説くのは、それはそれは甘美な愉悦に満ちているからな』
その宣告を合図に、右腕を伝った聖剣の光が繋がれた魔王の手を介し、清き黄金を分け与える。
「な、これは……!?」
「……確かに、お前は魔王かもしれない」
これこそが勇者の奥の手。
そして一世一代の大博打が、幕を開ける。
「でも、お前は確かに黛晴花なんだ」
たとえ今は黛晴花という器に魔王が満ちていたとしても、器はいまだ黛晴花のものである――それは変貌しつつも少女の面影を残した姿形が、なにより物語っていた。
――『数年に渡って少女の体に潜伏していた異世界の魔王……なんて言い表すと大仰だけれど、要はあれ、セキュリティを破られてアカウントを乗っ取られたようなものだろう?』
決戦前の皆本家、電話越しにヒミコ・スミス・リーはそう語っていた。
――『セキュリティが破られてしまったのなら、更に強化するまで。これは免疫力を上げて風邪を治すのと同じだ。つまるところ、
「聖剣の力で、深層心理から晴花を引きずり起こす」
「っ、あガ……!?」
変化はつぶさに訪れた。魔王の頭のてっぺんから爪先まで全身を覆い込んだ黄金が、その身を苛む。
存在が根幹から軋み上げたのを、盛った毒がやっと効いたかと言わんばかりに、脂汗塗れの良太郎はそれでも涼しそうに笑い飛ばしてみせた。
「ここからは純粋な根競べだ」
……魔王が主導権を握っていても、晴花のすべてが乗っ取られたわけではない。ひと息に晴花を飲み下していれば、魔王復活の際に晴花の
「俺が闇に堕落するのが先か、お前が光に昇天するのが先か――勝負といこうぜ、魔王様」
いまだ魔王の奥底で、晴花は深い眠りに就いている。
晴花が目覚め、間借りしているに過ぎない魔王から体の主導権を取り戻せば、良太郎の勝利だ。
「ああ、乗ってやろうではないか、勇者……ッ!!」
生存と死滅、
肯定と否定、
希望と絶望、
黎明と禍時、
讃歌と慟哭、
――勇者と魔王。
「良太郎……っ」
月彦の視線の先で、伸るか反るか、丁か半かの大勝負が――合図もなく静かに幕を開けた。
これで、
すべてが決着する。
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