決戦の摩天楼⑤



「…………っ」


 月彦は夜空をも焼く熱波を間近で受けながら、格の違いを呆然と理解させられる。

 軍事兵器さながらの圧倒的火力の集中砲火は、生身の人間が成し得たことなのかと舌を巻く他ない。戯崎市で栄華を誇った現代の巨塔は、広々とした頂きの半分を抉られ、瓦礫に覆われていた。


 ここまで飛んで来た方法と同じように斜線から逃れた良太郎が、「ぐえっ」とバランスを崩して尻餅をつく。不格好な回避だが、こうでもしなければ彼も決して五体満足とはいかなかっただろう。


 身を削っての決戦魔法だったとはいえ、この短い期間でみるみる頭角を現すとは……月彦は感嘆に耽るばかりだ。

 暁奈がメインヒロインとなる『硝子ガラス野薔薇ノバラ』の分岐ルートでは、魔法使いの連盟にその身を異世界封印の巫女として捧げられそうになるほどの才覚なのだ。鍛え上げられれば、きっと朔之介など足元にも及ばない大魔導師になるに違いない。


 そうだ。朔之介の向こう側、射線上に立っていた魔王は――、


「っ!」


 砂埃が秋風で晴れていく。


「いやはや、危なかった……はは、あと一年目覚めるのが遅ければ、そこな魔女の勝利だっただろうな」


 ――そこには、地面に突き立てた杭諸共、屋上の端にまで盾を押しやられながらもいまだ健在な、魔王の姿だった。


「やっぱり、ね……ッう」

「人見!」「暁奈っ!」


 あらん限りの力を振り絞った暁奈が力なくくずおれて、月彦とアイが寄り添って支える。


「暁奈、右目が……!」

「はははは……気張りすぎちゃったかもね」


 業火の魔弾の始点であった右の魔眼は、多大な負荷がかかった結果か網膜が濁り、血の涙が溢れていた。バッドエンドによっては命まで燃やし尽くしかねない蛮勇を目の当たりにして、月彦の背筋に冷たいものが伝う。だがそうはならなかったのだと己を奮い立たせて、清潔なハンカチを目元に当てて体を横たえた。


 満身創痍なのは目だけではない。長く艶やかだった黒髪は肩口で焼き切れ、いびつなセミロングとなっている。

 なんてことだと悲しむよりも先に、月彦は暁奈の覚悟を「魔法少女みたいで凄かった」と称えた。


「ああ、俺も同意だよ」


 庇うように背を向けながら、良太郎が魔王の前に立ち塞がる。


「肝を冷やしたが、これで存分に睦み合えるねやがやっと整ったというわけだ」


 いまだ健在といえど、魔王も無傷とはいかなかった。決定打にはなり得なかったが、弱体化デバフを得手とする闇魔法の盾でも勢いを削ぎきれなかった熱波に炙られ、ところどころセーラー服が焦げて肌を晒している。


 煽情的な印象よりも痛ましさの方が勝る魔王は、高らかに前哨戦の終了を宣言する。


「さあ、勇者よ。これから共に――!」


 ……しかし、その先の言葉は想定通りには続けられなかった。


「おい――ネズミのように覗き見とは、いい趣味じゃないか」

「…………?」

「なあ、我にも告げていなかった隠し玉ということは、『それ』は叛逆の意志ありと捉えてもいいのだな?」


 虚空に語り掛けていた魔王の言葉の矛先が、お手上げだと言わんばかりに現れ出でる。


「申し訳ございません。貴方様と勇者の戦いであれば、無力なジジイは首を突っ込むべきではないと判断した次第でして……ああ、」


 声の主がいたのは、暁奈の魔焔で焦土と化した屋上の真下だった。

 最早建物としての様相を呈していない階下から現れたのは、お手上げだと両手をはためかせた人影が一つ。



 加地朔之介――ではない。


「!?」

「すみません。あくまでこの身は異世界に向かうための、言わば宇宙服のようなもの。よもや今、身にまとうことになるとは露ほども思わず、御身の高揚に横槍を入れるのも忍びなく、こうして控えていた次第であります」

「物は言いようだな」

「信頼を裏切ったこと、心苦しく思います。しかしながら、判断が遅れてしまった理由も汲んでいただきたく……」


 ――否、加地朔之介ではあったが、しかして老爺の姿ではなかった。

 瑞々しい玉肌を晒した青年は、血縁の証明かのようにどことなく月彦に似ていた。


「新しい……体……!?」


 良太郎は驚愕しているが、なにも意外な話ではない。暁奈とアイは腑に落ちたような苦々しい顔をしていたが、むしろ良太郎にとっては、そうまでして異世界に行きたいのかという埒外の存在に似た驚きが満ちていた。


「加地朔之介の魔法使いとしての専門は、『錬金術による人工生命の研究』――それこそホムンクルスと呼ばれる人造人間の逸話は、鉄を金に換えようと試みた錬金術と紐づけされて知られているわ。だから自分の魔導複製体クローンを作ることだって、決して不思議じゃない」


 不思議ではなくとも、不遜ぶりに辟易を禁じ得ないのもまた事実だ。「異世界に向かうための、言わば宇宙服」という発言が真ならば、人造魔導具『天蓋』としてアイを創造しただけに飽き足らなかったことになる。


 ……だが問題はそこではない。


「っ駄目、暁奈動かないで!」


 アイの決死の懇願を無碍にしてでも、暁奈は立ち上がろうとする。

 暁奈にしてみれば、倒したはずの仇敵が再登場してきたのだ。疲労困憊の体に鞭を打ってでも迎え撃とうとするが、引き金にかける指すら震えている始末。見ていられなくなった月彦が、二人の前に立ち塞がった。


「非才なる我が孫よ。大人しく尻尾でも巻いて逃げたらどうだ?」


 もっともな一言。良太郎は魔王を相手取らなければならず、月彦には万に一つにも勝機はない。


 自殺騒動の時とは比べものにならないほどの死線が、目の前に迫り来る。


「それとも……実はお前も異世界に行きたいのか?」

「そんなのは、死んでも願い下げだ」

「なるほど。愚者らしい答えだ」


 一糸まとわぬ裸身を晒し、鷹揚に語りかけてきた朔之介の顔が怪訝に曇る。

 馬鹿正直に断った不届き者を生かしてはおけない、と魔手が伸びた。


「ならばどうなるかは当然理解しているな?」


 ――次の瞬間、



 ズドン、と一撃が突き刺さる重低音が響き渡り、月彦の視界に赤い火花が散った。


 火花ではない――血の、飛沫。


「な……ガ、ア……!?」

「己が発言を胸に手を当て考えてみたことはあるか? ……ないだろうな」


 朔之介の胸に、魔王の杭が生えている。

 背後から突き立てられたそれは当然のように心臓を貫き、命の雫でしとどに濡れていた。


 たとえどんなに丹精込めて創造した肉体だとしても、魔王の一撃に耐えられる強度など、持ち合わせてはいなかった……そもそも想定されていなかったのだ。


「貴様は『あの妖精の国ではないこの世界に存在価値はない』と言っていたが、それはつまり『自身に都合の悪い世界はいらぬ』――『我の世界であろうと気に入らぬのであれば滅ぼす』という意味だと、自覚しておらなんだか?」


 ニタリ、と口元を裂いて笑う魔王に、月彦は言葉を失う。魔王とはいえ晴花がこのような凶行に及ぶことも勿論だったが、目の前で肉親が殺される光景は筆舌に尽くしがたい絶望だった。


 血を滴らせながら、パイルバンカー――『禍時慟哭クレプスクルム』が天高く掲げられる。


「それこそ……最も愚者らしい答えだというのに」


 仕留めた獲物を誇るように、贄を捧げる祭壇かのように、野蛮にも槍玉に上げる。


 そして、つぶさに変化が生じた。


「…………っ!」


 杭の切っ先が指し示す夜半の中天。その先にヒビが奔り、都市の光を受けながら尚も暗い夜空が、孵化するかのごとく亀裂を深めていく。


 非日常な光景――だが悪夢は覚めない。


「そんなに行きたければ、行けばいい」


 哄笑を噛み殺して、魔王が磔刑に処された朔之介へと告げる。それがなんの意味を示すのかは、重力に逆らって杭から引き剥がされていく様を見れば、おのずと理解できた。


「あ、れは……!」


 

 良太郎が言った。


「異世界……!?」


 こことはかけ離れた幻想郷。『黎明讃歌ディールクルム』なりし聖剣ステラの故郷にして、良太郎が勇者として渡ったそちらが、ベリベリ、ミシミシと鈍い音を立てながら、こちら側へと垣間見えようとしていた。


 二つの世界の境目が、千々にほころんでいく――!


「い、やだ……嫌だ……」


 愕然と空を見上げる視線の先、死にていで異世界に呑み込まれようとしている朔之介に、「なにを恐れるというのだ?」と差し金の首謀者たる魔王が嘲り笑う。


「貴様が望んだことだ。なに、生きて再び望んだ光景が見られるとは限らないが、こちらの世界がどうでもいいと言うのならば本望だろう?」

「すべて……すべてを捧げて、ここまでやってきたのに……こんな……こんな終わりは……!」


 今際の際の言葉は、聞こえずに潰えた。


「――――っ」


 曲がりなりにも孫だというのに、月彦は涙も出ない。嗚咽も漏れない。暁奈とアイも同様に、複雑な面持ちのまま、喉を詰まらせて黙りこくっている。


 異世界を追い続けて、しかしついぞ届かなかった男の末路は、あらゆるものを犠牲にしてきた報いとするには、あまりにも呆気ない最後だった。それが月彦には、どうしようもなく悲しかった。


「ああ、これが清々するという感情か。肉の器を得たからか、厄災の概念であった我にも理解できる」

「テメェ……っ!」

「勇者、お前にとってもいけ好かない者であったならば、胸を痛める道理はないと思うぞ?」


 晴花の姿で人を一人葬り去りながら、胸のつかえが取れたとばかりにすっきりとした表情で、口元には微笑みを湛えている。


「……それより、貴様らは事の重大さに気づいていないようだが?」


 良太郎の気を逸らそうなどという、小手先の所業ではないことは窺い知れた。

 言われるまでもなく――非日常は徐々に広がりつつあった。


「なによ、これ……!?」


 起き上がることも辛いだろう暁奈も、アイにすがりながら町並みを注視する。

 地上から立ち上ったオーロラ状の光帯が、何本も戯崎市を駆け抜けては広がっていく。


「こんな……こんな大きな魔法陣があったっての……!?」


 すわ魔王の仕業かと暁奈は睨みつけるが、ステラが聖剣の姿のまま、『力を取り戻しつつある魔王でも、異世界への通り道を穿てるとは思えない』と諫める。


 そして、その予想は正しい。


『――だとすれば、可能性はただ一つ』


 摩天楼の頂点は、既に異世界へのきざはしと変貌しつつあった。

 魔王はひび割れから降り注ぐ黄昏色の燐光を燦々と浴びながら、ご明察と言わんばかりに喝采を月彦に贈る。


「そのとおり。我はそれを利用したに過ぎない」


 原作ゲームの知識がなくとも、こんなにも大規模な下準備を行い、異世界災害レベルの魔導犯罪を企てた人間など、一人しかいない。


 人工魔導具『天蓋』であったアイや『聖櫃』だった影山弦こそ、異世界に行くための肉体を鋳造する習作だったかもしれないが、自殺騒動の呪詛や人間を異世界化させるエナジードリンクは違う。あくまで試運転や実験、魔王の蟲へ遠回しに生贄を捧げるために過ぎなかった。

 無論、前月彦がそそのかされて勇者である良太郎と接触するよう仕向けられていたような、些細な試み程度のものもあっただろう。しかし朔之介が長年、異世界渡航を夢見ていたのならば――必然、たかだかここ数か月ばかりの下準備で済むはずがない。


「いやしかし、人間業ながら恐れ入る……!」


 『錬金術による人工生命の研究』の副産物として巨大製薬会社を経営していた朔之介は、異世界災害によって危機に瀕した戯崎市に目をつけ、土地の管理者たる大魔導師を隠れ蓑に、おぞましい計画を押し進めてきたのだ。

 そして現に、空は裂け、異世界が今にもこぼれ落ちようとしている。均衡が崩れるのも時間の問題だろう。


「ハハハハハハハハハハハハハハハハ!」


 世界の終焉を前に、魔王は呵々大笑に溺れる。

 そこには皆本家の食卓を愛す晴花の姿はなく、意に沿わない手駒を屠り、破滅に酩酊する邪知暴虐の徒がいるだけだった。


「もう……駄目だ」


 良太郎がいる。ステラもいて、暁奈もいて、アイもいる。なんなら原作ゲームどちらのルートよりも良い状況で、誰一人欠けずにここまで来られた――だが、どんなバッドエンドでも、ここまでの末路には至らなかった。


 それもそのはず。あくまで『Re:turnerリターナー -fantasiaファンタジア gardenガーデン-』は現代伝奇と言いつつ美少女ゲーム。ヒロインである暁奈と晴花を喪う、主人公が死ぬのがおおよそのバッドエンドだ。世界諸共破滅するような、勇者と魔王のハイファンタジーではない。因縁こそ続いているが、既に勇者は異世界から帰ってきているのだから。


 だというのに、どんな結末よりも悪辣な終焉が訪れて――月彦は、遂に膝をついた。


「終わりだ……」


 頑張ってきたつもりだった。もっと頭が切れる者ならば、知恵を絞って状況を好転させていたかもしれない。もっと魔法の才覚があれば、暁奈やアイをこんな目に遭わせずに済んだかもしれない。けれども月彦は非才で、無力で、意気地なしだった。


 チート能力とまではいかずとも、せめてもっと有効打になり得る能力を有していれば、もっと違った道筋を辿れたのではないのか……膝で握り締めた拳を、滲み出た悔し涙が濡らす。


 視界が闇に閉ざされて、魔王の傲慢な哄笑が聴覚から思考を混濁させていく。

 月彦の心が絶望に沈もうとした時――、


「まだ諦めて終わるバッドエンドには早ぇぞ」


 ――主人公ヒーローの凛とした声が、一抹の光を灯した。


「良、太郎……」


 顔を上げた月彦は、それでも絶望が拭いきれない。

 暁奈は倒れ、魔王はいまだ健在。そのうえ異世界という脅威もある。


「お前、言ってくれたじゃねぇか」


 「まだ俺達の仲間の誰かが死んだり、完全な異世界化が果たされたりしてない。諦めるのは早すぎる……いや、諦めてたまるか」――晴花が魔王に変貌し、勇者としてではない弱みを突かれた良太郎は魔王に一蹴された。その時、苦しまぎれでも奮い立たせなければと月彦が発したのが、先の台詞だった。


「お前の爺さんは残念だったと思う。とんでもねぇ外道だったかもしれないけどよ……お前にとっちゃ、肉親だったんだからさ。それは影山弦もだ」


 ともすれば唾棄すべき悪役ヴィラン達を、良太郎は切に顧みる。異世界の勇者として名を馳せていた時にも、切り捨てて進んできた道に思い抱くこともあったのだろうか。

 異世界を「こちらとなんら変わりない」と表した彼も、異世界であたたかな絆を失ったことも……あったのだろうか。


「けどよ、まだ俺はなんとか晴花を失わずにいられてる――心が折れずにいられてる」


 良太郎は主人公でも勇者でもない、としての顔で笑う。


「ありがとな」


 そうだ。現実ストーリーは、まだ終わってはいない。

 月彦は涙を拭い、震える膝を支えて立ち上がる。


 ――今一度、魔王と対峙するために。


「で? 首の皮一枚繋がっていたからどうした? 藁にすがったところで水底へ沈むだけだというのに……片腹痛い」

「お前こそ、俺達はまだ健在なのに勝利宣言とか気が早すぎだろ。耄碌してんじゃねぇのか?」

「寝言は寝て言え、雑魚ざこ

「夢は起きてなきゃ言えねぇだろ、古兵ふるつわもの


 一触即発の空気は、痺れるような緊張感を伴って辺りを支配する。

 一瞬の、しかし永遠に思われる静寂――それを先に破ったのは、良太郎だった。


「魔王よ! 死滅と否定の象徴、絶望の常闇、災禍の邪竜にして裁きの鞭よ!」


 いざ雌雄を決さんと聖剣を構え、高らかに口上を述べる。


「我こそは生存と肯定の象徴、希望の篝火、幻想郷が鍛造せし聖剣を振るう勇者なり!」


 聖剣の先端が指し示す先、魔王はただ、泣くように微笑んでいた。


「我が名は良太郎……天道良太郎! 汝、まゆずみ晴花はるかの幼馴染である!」


 歓喜か。悲哀か。愛憎か。

 ともすれば隙だらけな宣戦布告を、けれども魔王は不意打ちしないどころか茶々すら入れず、静かに甘受する。


「逢禍時に慟哭せしその涙、断ち切らん我が黎明を讃歌するがいい!」


 良太郎が駆け出す。スニーカーの靴底が、砂礫塗れの摩天楼を蹴り上げる。

 応じるように――引き合うように、魔王もまた、砕けたアスファルトを疾駆する。


 黎明讃歌ディールクルムが、

 禍時慟哭クレプスクルムが、

 全身全霊をもって陰陽に相克する。


 最終決戦の火蓋が――今、落とされた。







――――――――


 第八章『決戦の摩天楼』は以上となります。


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