踊る葛藤と天蓋②



「食事中で悪いけれど、」


 口火が切られたのは、「いただきます」の挨拶があってからしばらくしてからのことだった。


 晴花が作り過ぎたと言っていたカレーは和風の味わいで、具材に鶏肉と焼きネギが入っているためか、どこか鶏すきや鴨南蛮を連想させた。箸休めのもやしと豆苗のナムルも爽やかで、きのこのニラ玉スープもホッと一息つける美味しさだった。安価で旬のきのこは、ここ最近の定番食材らしい。


 加地家で寂しい食卓続きだった月彦が舌鼓を打ったところで、そうして声がかかった。


「僕も大人だから君達に訊かなきゃならない……人見暁奈さん、だったね。晴花ちゃんとは直接関わりはないけれど、良太郎くんのご友人だって。格好はこの際、問わないでおくよ。人間、色々やってるものだからね」


 カレールウとご飯をスプーンでまとめながら、皆本みなもと時雨しぐれは面々を見回して声色を固くする。

 普段使いのテーブルは時雨と晴花、人見が座り、月彦と良太郎は突然の来客用なのだろう折り畳み式の座卓を利用していたため、必然的に時雨の視線は部屋全体を見回す形となった。こちらが気負わないように計らってくれているが、しかし話題はどうしても深刻さを帯びる。


「でも……ご家族かお友達かは分からないけれど、高熱を出していたあの子をうちに連れてきたのは、どういう理由なのかを訊かせてくれないかな」


 晴花の叔父、保護者だからというだけではない。年長者として真剣に、暁奈に向き合おうと言葉を投げかけているのが窺い知れた。


「…………」


 暁奈の唇が真一文字に引き結ばれる。


 当たり前だ。実質人造人間の天蓋を勝手に連れ出し、逃げ込んだに等しいのだ。

 暁奈自身の境遇を少しでも明かせば、大人としての務めを果たそうとする時雨は、きっと加地家へと連絡を入れるだろう。そうなれば、天蓋は元の魔導具として扱われる生活に逆戻り。暁奈とて処罰を受けないで済むとは思えない。おそらくここ以外に伝手のない暁奈は、皆本家が最後の防波堤、駆け込み寺なのだ。


 かといって、月彦もどう助太刀すればいいのか分からない。咄嗟にごまかせる嘘をつければよかったのだろうが、大の大人を言いくるめられる説得力を導き出せない。それは良太郎も同じ様子だった。


「……僕だって鬼じゃない。取って食いやしないよ」


 ふう、と眼鏡を直した時雨がゆるく息をつく。


「着てたのは薄着一枚に、高熱でぐったり……あんな様子じゃ、頼れるまともな大人がいないって言ってるようなものだよ。そんなただならぬ様子の子達を、そのまま追い返すわけにもいかないさ」


 文筆業ゆえの考察力というよりも、複雑な背景が透けて見えるほどに状況が明け透けだったと、時雨は指摘する。


 カレーをもぐもぐとよく咀嚼して、片手を上げる。

 立てられた指は一本。


「最長で一週間――大人の僕にも責任があるからね。静観していられるのは精々そこまでだと決めておこう。見過ごし続ければ、僕自身も晴花ちゃんの保護者でいられなくなってしまう。それに、このままうちに居続けたって問題の解決にならないことは、人見さんが一番分かってるんじゃないかな?」

「……はい」


 苦虫を噛み潰したような首肯。時雨の提案はありがたい反面、だからこそ余計に魔法使いや異世界のいざこざに半ば巻き込んでしまっている状況を、暁奈は心苦しく思うのだろう。

 背景に非日常的な事情があることを知らずとも、時雨は保護者として、ひいては大人として諭す。


「きちんと匿ってくれる公的な機関を探すもよし、保護者さんと話をつけてくるもよし。判断は君次第だ。でも大人の力が必要なら、僕も手を貸すよ」

「ありがとうございます」「――ありがとう」

「!」


 闖入者に驚いて廊下を見やると、天蓋が扉に寄り添うようにして立っていた。


「――ぁい」


 流石に人名らしからぬ『天蓋』とは口にできず、暁奈の呼びかけがつっかえる。


「ああ、アイさんって言うんですね……って! さっきまで熱出てたのにひょこひょこうろついちゃ駄目ですよ!」


 晴花は自分の食事そっちのけで、天蓋を暁奈の向かいの席へと案内する。

 流石に食卓が空っぽなのはいけないと感じたのか、せわしなく台所を立ち回りながら「うーん……カレーは流石に重いし、ナムルだけっていうのも……スープはもうないし……」とブツブツ独り言を呟いていた。


「そうだ、これなら……」


 そうして戻ってきた手にあったのは、月彦が一番見覚えのあるもので、思わず「あ、それ……」と指差してしまった。


「丁度よかったので一足早く持ってきちゃいました。皆さんは後でデザートとしてどうぞ。加地先輩からの頂き物です」


 このバタバタですっかり忘れ去ってしまっていた洋梨のゼリーが、急須の緑茶を伴ってテーブルの上に恭しく登場する。

 紆余曲折あってやってきた手土産がこういった形でも役立って、少々こそばゆい嬉しさがこみ上げる。ヒミコ・スミス・リーの割り込みによって思いがけず買ってきたが、あの張り詰めたやり取りも一助となったのであれば、月彦の冷や汗ものの苦労も浮かばれるというものだ。


 しかし天蓋はピンときていない様子で、物珍しそうにしげしげと洋梨のゼリーを眺めていた。


「食べていいのよ、アイ」

「アイ?」

「うん」


 『天蓋』という魔導具としての機体名ではない呼び名をつけられ、白磁の頬にささやかな朱が差す。


 おっかなびっくりスプーンを握ると、小さく掬い、薄く紅を刷いた唇へと運ぶ。

 噛み締めるように時間をかけて味わうと、一言。


「――おいしい」


 それだけで、ここにいる誰しもが十分だった。


 まだ問題は山積で、なにかが解決したわけでも進展があったわけでもない。むしろ暁奈の強行によって、知らず知らずに悪化の一途を辿っている危険性すらある。

 だとしても、この光景を否定することはできないだろう。おそらく彼女も月彦と同じく、あたたかな食卓にありつけなかったことは想像にかたくない。仮初の幸せであったとしても、幸せには違いないはずだ。


 幸せをじっくり堪能した、天蓋――改めアイは、「なら、お礼」とずっと膝上に隠し持っていたらしい『それ』を、話の俎上へと上げた。


「ここに来るまでに歩き回ってたら、見つけた」


 『それ』は洋梨のゼリーと同じく、月彦には見覚えのある品だった――駅前で配布されていた、試供品のエナジードリンク。


「あーっ! ちょっと叔父さん、こういうのは体に毒だから駄目だって言ったじゃないですか!」

「さ、散歩してたら、たまたま貰ったんだよ。いいじゃないか試供品くらい……」

「駄目です。カフェインがすごーく入ってるって知らないとは言わせませんよ。徹夜と同じくらいよくないんで、次隠してたら私ご飯作りませんからね!」


 微笑ましい叔父と姪の小競り合いを尻目に、月彦はどこか引っかかりを覚えていた。


 ……単純な疑問だ。

 魔導具として世話をされていたアイが、エナジードリンクの悪影響を知っているのだろうか? たとえ知っていたとしても、わざわざ持ってくるようなお節介をするのは違和感だった。


 まるで――


 ――「ああ。その証拠と言ってはなんだが、一つサービスをしておいてあげよう」

 ――「若人がこういうものに頼るべきじゃあないよ」


 ヒミコの台詞がリフレインするも答えは出ず、規則正しい夜は静かに更けていった。


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