踊る葛藤と天蓋①【改稿】



「良ちゃんは客間で布団を敷いてきて! 加地先輩は叔父さんと協力して、氷のうとなにか飲み物の用意を! どっちかの手が空いたら、すぐ寝かしてあげてください! 私は着替えとタオル取ってきます!」


 てきぱきとした晴花の指示で、統率の取れた動きが回り出す。面食らって狼狽えるしかなかった体に、ぴしゃりと鞭が打たれる。

 月彦が初めて訪れた時、夕食の割り当てを瞬時に対応した機転に再度助けられる。振るわれた辣腕によって疲労困憊だった暁奈も持ち直し、白い少女もやっとまともな環境下に置かれたためか、その異様さが浮き彫りになった。


「凄い熱だ……!」


 体温が高くなさそうな腕に触れただけで感じたのだ。実際はもっと高熱だろう。

 しかし汗は一切かいておらず、苦しそうにぐったりと小さく呼吸するだけだ。喉のリンパが腫れている様子もない。風邪などによる発熱とは考えづらかった。


 そして、彼女の特異性を思えば、おそらくは……。


「えっと、人見先輩……ですよね。なにか軽く食べられるものと着替え持ってきますから、少々お待ちを」

「……訊かないのね、なにも」

「事情は後でゆっくり訊かせてもらいます。私も叔父さんも、知らないまんまじゃ不平等ですからね」


 力ない自嘲にも、晴花は優しく手を包み込んだ。


「でも今は、お連れさんが落ち着くのが先ですよ」


 そして「安心してください。どっかに突き出したりなんてしませんから」と言い残して部屋を去ったのを皮切りに、空気はガラリと非日常に染まる。


「ステラ、頼む」

「ああ」


 現れたステラが、白い少女の胸元に手を当てる。振りかざされた聖剣と同じ黄金の光が控えめに、総身を淡く包み込んだ。


「これが浄化の力って奴なのか?」


 亡霊達を一刀両断せしめる直前、こちらに怪我があれば治療する旨を話していたのを思い起こす。


「そうだよ。人見が言ってた、西洋における四大元素の地水火風、東洋における五行思想の木火土金水のいずれにも当てはまらない、類稀なる光魔法が行える心身の活性化だ。自殺騒動の時の呪詛とは真逆だな」


 目にするまでは眉唾物だったが、徐々に白い少女の表情から苦悶が消えていくのを見れば、信じないわけにはいかなかった。


「私がお前の影の魔法を快く思わなかったのも、そういうことだ」

「?」

「あれも呪詛と同じ、類稀なる闇魔法だからだよ。聖剣であるステラが光魔法の最上位なら、俺が倒した魔王は闇魔法の最上位だったってわけだ」

「お前の影蛇もどきは魔王の指先にも劣るがな」


 彼方にある幻想郷――異世界が鍛造した、生存と肯定の象徴。希望の篝火。魔王を討伐せしめた断頭の刃。そのでたらめな凄まじさを改めて目撃する。

 ならば、手加減していても亡霊達を一瞬で吹き飛ばした聖剣と渡り歩いた、魔王のでたらめな凄まじさとは……一体どれほどのものだったのか。


 治療を見守る静寂の中、障子戸越しにささやかな虫の声が遠く聞こえていた。


「――――あ、れ」


 それから、しばらくしてからだった。


「っ、!」


 白い少女が目覚め、暁奈が安堵に身を任せて抱き着く。


「てんがい……?」


 良太郎は不審な呼び名に、眉を歪める。

 ともずれば感動的なシーンだったが、眺める月彦は良太郎とは異なる引っかかりを覚えていた。

 ステラも同じだったのか、フードの隙間から眉をひそめていたのが窺えたが、特になにも言わず、役目は終えたとばかりに早々に姿を消した。


「おい、峠は越えたってんなら、そろそろ説明してくれたっていいんじゃないか?」

「……そうね。分かったわ」


 ひと呼吸置いて、意を決したように暁奈は重い口を開いた。


「彼女は、師父様こと大魔導師・加地かじ朔之介さくのすけが作り上げた、――機体名『天蓋』」

「…………っ」


 身じろぎ一つせず暁奈ののたまった言葉を否定すらしない白い少女――天蓋と呼ばれた彼女に、「どういうことだよ……!」と良太郎が怒りを露わにする。


「人造魔導具って、どう見ても人間じゃねぇか! それを、まともな服も着せずに高熱で放置って……!」

人見ひとみ暁奈あきなの説明は正しい』

「っ」


 念話で口を挟んだステラに、怒りも堰き止められ、二の句が継げない。


『だが「人間ではない」と言うと語弊がある。魔導具に魔法のような詠唱は必要ないが、それでも引き金となる合図は不可欠だ。そして誤作動を防ぐ安全装置もな。それらの要素を併せ持ち、たとえ見つかったとしても社会的に不自然さが薄く、主君に忠実で、自己保全の判断が容易な人間という自律型に鋳造したわけか。なるほど、忌々しい。腐った臓物を見ているようで反吐が出る』

「なんだよ……それ……」

「ええ、概ね正しいわ。その管理を任されていたのが、住み込みメイドで魔法使いだった、あたし」

「ッ!!」


 月彦が制止するよりも早く、良太郎が暁奈の胸倉を掴み上げる。


「お前が異世界や魔法使いの害から人を守りたいって言ってたのを信じてたのに……見損なった」

「あんたこそ、」


 まろび出た反論は、嗚咽で潤んでいた。


「あたしが本当の本当に、好きこのんでこんなことに手を貸してたと思う……!?」

「……すまん」


 良太郎が手を引く。


「お前がそんなひっでぇことに進んで首突っ込むはずないのにな」

「ありがとう、分かってくれて。でも……ずっと傍観者のままだったのは事実だから」


 自嘲気味に暁奈は笑う。天蓋を抱えて走ってきただけではない疲れが滲み、憔悴しきっている。まつ毛には汗ではない、なにかの雫が光って見えた。


「――あたしが天蓋と出会ったのは、三年くらい前。小学校に上がる頃に両親が事故で亡くなって、親戚を転々としていた時に、親戚の知り合いだった師父様に拾われたの」


 格好良く言えばヘッドハンティングだが、朔之介にしてみれば、将来の手駒が増えた程度にしか思ってなかったのではないだろうか。今の状況を鑑みれば、なんのために彼女を欲したのかが窺い知れた。そして原作ゲームを踏まえた更なる理由も。


 三年ほど前となると、約五年前にあった良太郎の異世界転移と、帰還時の異世界災害、その後の出来事となる。

 天蓋を作り出し、調整に調整を重ねた後と考えれば辻褄は合う……そんな辻褄なら合ってほしくなかったと、月彦は感傷に眉を歪めた。


「お母さんの血筋が元々魔法使いだったみたいでね、嫌気が差して、絶縁同然で家を出てきたって耳に挟んだわ。お父さんに頼れる親族はいなくて、必然的に母方の親戚に引き取られたから、あまり快く思われなかったの」


 「仕方なかった」「運が悪かった」と割り切るには、暁奈も幼すぎたのだろう。

 そんな中で手を差し伸べられれば、すがらずにはいられないのが人間だ。


「だから義務教育が終わっても勉強させてもらってる師父様には、凄く感謝してる」

「……天蓋ってその子を苦しめててもか」

「……異世界の恐ろしさを知らないあなたじゃないでしょう」


 辛辣な指摘にも、暁奈は口をつぐまなかった。


「異世界を封印するために、師父様は資産の多くを注ぎ込んで鋳造した。異なる『天』を封印するための『蓋』、だから『天蓋』。あたしを信用してくれているからこそ、師父様から天蓋の世話係を任命もらえた――でも、」


 言葉は、一度そこで途切れた。


「それでもあたしは、天蓋のことを魔導具ではなく、人間だと思ってしまった……!」


 嗚咽で喉を詰まらせながら、赤裸々に本音を吐露する。


「自殺騒動の時、呪詛の仕組みを解き明かしてくれたのは、天蓋さんだったんだよな」

「ええ、よく気づいてたわね。そうよ、頭を抱えていたあたしを助けてくれた――そこで、見ないフリをしてきた事実に焦点が合った」

「…………」


 AIスピーカーなどのように人間らしい反応をするのではなく、困っている人がいれば助ける当たり前の善性を有した、自分と変わらない人間なのだと。


 当の天蓋はなにも言わない。

 ただじっと、暁奈の抱え込んでいたものが溢れていくのを聞き入っているようだった。


「……ねえ、加地。あんたにはまだ説明してなかった異世界のことが、一つあるわ」


 このタイミングでされる説明の心当たりがあるのを、月彦はこれほどまでに嫌だとは思わなかった。強がって、「な、なんだよ……」と続きを促す声がつっかえる。


「魔法使いの中には、源流たる異世界に傾倒しているタイプもいるって話、覚えてるわよね。だとしても、異世界へ本当に行った、見聞きした経験がある人も少ないって下りも」

「あ、ああ」

「じゃあ――異世界に行きたい、見聞きしたい魔法使いがなにをしでかすか、分かる?」


 月彦は答えたくない。

 この段階で答えるのは不自然だからという理性的な判断からではなく、異世界に狂信を捧げた魔法使いの凶行に、自分も巻き込まれかけたがゆえの恐怖心からだった。


「――


 答えたのは、天蓋だった。


「魔導犯罪の動機。だから、天蓋が世界を封印するの」


 それがなんら疑う余地のない決定事項かのごとく、天蓋は自ら述べる。まるで秋の虫は鳴くもの、それとそっくり同じだと言わんばかりの口振り。


『それがお前の使用用途アイデンティティというわけか。たかだかこの世界の異世界漂着物をかき集めたところで、封印に足る出力になるとは思えんがな』

「異世界からの影響が薄まればいいの。そうすれば、こちらの世界で魔法を使うのも難しくなる。異世界化を押し進めたい魔法使い達が諦めれば、それでいい。そのために、天蓋は朔之介から調整を進められてる。今回は副作用が機体に現れたけれど、もう少しで暁奈が魔法を頑張らなくてもいいような世界に――」

「そんなこと――あたしは望んでなんかいないッ!」


 心から軋み上げたような金切り声に、月彦を含めた全員が静まり返る。


 ……原作ゲームの『今世最後の魔女』なる触れ込みを抜きにしても、人見暁奈という少女は辛酸を舐めても折れず曲がらず、研鑽を積み重ねようとする気概に満ち溢れていた。凛と野に咲く薔薇のようだと、詩的にも月彦は感じてしまったほどに。

 『硝子ガラス野薔薇ノバラ』――だがその薔薇は、硝子細工だったのだ。


「あ……あのぅ……」


 控えめな声がかかって、襖が開かれる。剣呑な空気におっかなびっくりしながら、晴花が顔を覗かせた。


「えっと……遅くなりましたけど、人見先輩のお着替えと、お友達のタオルの替え、お持ちしました。皆さん心配なのは分かりますけど、そろそろいい時間ですし、お夕飯にしましょうか」

「ああ……そうだな」


 良太郎が返答し、話し合いは一時中断となった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る