ひとときのやすらぎ②
「ただいま~」
「お……お邪魔しま、す!?」
「ははは、ステラが消えるのも知らないってことは、本当に記憶喪失なんだな」
玄関をまたぐや否や、光の粒子となって消え失せた聖剣の化身であるステラを見て飛び跳ねたのを、良太郎は笑って流す。
猿芝居もいいところ、こんな大根役者の狂言を誰が信じるか……と冷や汗でびっしょりと背中を濡らした局面は過ぎ去り、あたたかな家庭の匂いが鼻腔をくすぐっていた。
「あ、良ちゃんおかえりー!」
エプロン姿で顔を覗かせたのは、この家の本来の住人、その片割れの少女である。
家事に精を出すよりも運動部で汗を流していそうな、セミロングの黒髪が快活そうな印象を与える。
「あれ、お客さん?」
「ああ、友達なんだが、泊まっても大丈夫そうか?」
――友達。
「良ちゃんの使ってる客間で相部屋なら大丈夫だけど……それより、確認するべきなのは部屋問題より夕飯のことじゃない? 割り当て大変なんだから連絡してよ、まったく」
「ごめんごめん。ちょっと急だったからさぁ」
先程まで死闘を演じていたはずの相手に、ごまかしとはいえ言ってのけてみせる良太郎の胆力を見て、月彦はどうしようもないむずがゆさを感じてしまう。
「一年の
それがいささか顔に出ていたのか、居心地悪そうにしていたのに気づいた少女は、エプロンの皺を整えて挨拶する。
「初めまして……ですけど、私は一方的に知ってますね。有名人ですから、加地先輩は」
「あ、えっと、でも気を遣わなくて構わないから。無理を言ってるのはこっちの方だし」
「ありがとうございます。でも叔父さんも仕事でカンヅメが多いので、人が来てくれて賑やかなのは嫌じゃないですから。今お夕飯の用意してるところなので、居間でゆっくりしててください」
こてんと軽く会釈する様は、小柄なのを差し引いてもリスのような愛嬌がある。
「それに、そこの偉そうな良ちゃんも勝手気ままにうちを使ってる側なので、大きな顔してても真に受けちゃダメですよ」
「酷いこと言うなよ、幼馴染のよしみだろ?」
「じゃあ親しき仲にも礼儀ありなので、書斎で集中してる叔父さんを呼んで、献立に急遽追加しないといけないゆで卵の面倒見ててください。……あ、その前に手洗いうがい、ですよ?」
さっきまで勇ましく聖剣を振るっていた勇者も、ここでは小言をチクリと刺されてたじろく少年でしかない。それぐらいの義理は果たさねば、と手洗いうがい後に階段を上がる背中を見送って、月彦は一人居間に取り残された。手持ち無沙汰なのが落ち着かず、自然と視線は居間を観察するべく彷徨う。
古めかしいが、長い年月をかけて馴染んできた家具のようだ。経年による傷や汚れは愛着のしるし。安心できる場だと物語る気配に、月彦は誰に促されるでもなく心地良さを覚える。
「ご飯できるまで、こちらどうぞ」
二人分まかなわなければならない夕食の準備の最中だというのに、客人を気遣ってあたたかい緑茶が出される。自分で湯吞みに注ぐセルフサービスだったが、ありがたい。
……胃の中から気持ちを整えて、月彦は状況を精査する。
両親とではなく叔父と暮らしている幼馴染の、黛晴花。聖剣使いだけでも十分なほどに確定的だったが、彼女の存在が明らかになったことで、より認識が確固たるものとなった――やはりここは、前世でプレイしたことのある現代ファンタジーの美少女ゲーム『
端的に言えば、いわゆる転生者ということになる。
「だからなんだ。フィクションめいた話だが、ゲームの世界だろうが今ここにある現実である以上、普通に生きていくだけじゃないか」……と大きく構えたい気持ちは山々だったが、そうは問屋が卸さない。
名前、そして聖剣を向けられるに至ったことで火を見るよりも明らかだが、原作にも存在している加地月彦という人物には、多大なる問題があった。
「――はぁーい! 出来上がったものから、どんどん持ってっちゃってくださーい!」
現実へと引き戻す声で空腹を認識する。一旦は腹ごしらえかと、月彦も食卓の用意へと駆り出された。
年季の入った木の長机に、目にも鮮やかに盛りつけられた食器が並ぶ。良太郎も途中から手伝い、晴花の叔父が現れて簡単な挨拶をしたところで、「いただきます」の合図がかかった。
「い……いただきます」
「はい、どうぞ!」
ご飯と味噌汁の組み合わせに、秋らしいきのこのソテーと鶏つくねハンバーグ、きゅうりを塩昆布で揉んだ浅漬けに輪切りのちくわを和えたもの、そして良太郎が面倒を見ていた半熟ゆで卵のたらこソースがけにはもみ海苔が降りかけられている。
ゴクリと鳴った喉を悟られないようにして、月彦は箸を運んだ。
「うまっ……!」
きのこのソテーを合わせるのを見越していた鶏つくねハンバーグには、シャキシャキとしたえのきの食感があったが、それだけではない。単純計算でも倍は量を用意しなければならなかったタネには、かさ増しのために入れられたお麩のやわらかな食感があった。
「喜んでもらえてなによりだよ。僕ができない分、晴花ちゃんが頑張ってくれてて、本当頭が上がらないな」
文筆業を営む叔父の
バターとポン酢で炒められたきのこのソテーもおいしく、月彦は白飯をかき込む。言うなれば、最後の晩餐ならぬ最初の晩餐だ。転生して初めての食事という補正を差し引いても、晴花の作った夕食は舌を存分に喜ばせた。
「あ、七味もありますけど、いります?」
「いる……じゃない、いります!」
「ふふふ、敬語使わなくても構いませんよ」
七味唐辛子が加わると、より味に起伏が生まれる。合間につまむきゅうりの浅漬けのサッパリ感が心地よく、乾燥わかめ多めの味噌汁が一層五臓六腑に沁み渡った。この短時間に頭数が増えた分の割り当てを立て直し、かつ自然な量に仕立て上げた手腕は、一介の女子高生を軽く超えているだろう。
「でもビックリでした。良ちゃんがうちに友達連れてくるなんて」
「…………」
感慨深く言われて、箸先があてどなく彷徨った。
「晴花とは学年も違うし、知らなくて当然かもね」
「ああ、そうかもしれません」
良太郎の返答が、白々しく和室を漂う。二人は気にも留めていない様子で納得したらしかった。
沈黙を、味噌汁と共に飲み下す。続いて半熟卵にたらこのパスタソースを絡めた簡単一品料理を、ごまかすように頬張った。
……一難去っても、状況が好転したわけではない。次の一難がいつ訪れるか分からないからだ。
それは、加地月彦という登場人物の人間性が大いに関係している――主人公の友人でありながら敵対し、どう物語が転がろうが破滅へと至る、救いようのない噛ませ犬。聖剣の錆となって戦意喪失からのフェードアウトはまだいい方で、ヒロインに惨敗したところを甘言で惑わされて悪事の肥やしになる、更なる巨悪に呆気なく一蹴されて死亡という退場もある。
原作ゲームの筋書きであれば、良太郎の聖剣がかすめるが、情けなく失禁する程度で無事なはずだった。しかし実際にあったのは、直撃からのきりもみ回転と墜落である。
幸か不幸か、記憶も意識も本来の加地月彦から丸ごと切り替わったため、記憶喪失で押し通しても疑られずに済んだのは不幸中の幸いだろう。普通なら信じられない方が自然だが、それは単なる演技では説明がつかないレベルで人が変わったに他ならなかった。星の数ほど人を見てきたステラをも欺けたのは、記憶という経験と間接的な一部始終でしかない知識が、前月彦と現月彦とで天地ほどの差があったからだろう。
反面、それほどまでに傲岸不遜な印象だったのだろうか……否、廃ビルの屋上で戦う以前ならいざ知らず、敵対を明かしてからの変化は、良太郎にしてみれば急転直下の驚きに違いない。得られた安寧は偶然の産物に過ぎないが、だからこそ今あたたかな食事にありつけている。
目下は知識と現実の照らし合わせだと考えつつ、鶏つくねハンバーグ最後の一口と白飯を口の中に放り込む。
「ごちそうさまでした。とてもおいしかったです」
「ふふふ、お口に合ったならなによりです」
手を合わせて褒め言葉を送る月彦を見て、晴花がまんざらでもなさそうに微笑む。
今晩は波風立てないよう静かに床につこう。そうして明日から動き出そうと、月彦は緊張で張っていた肩の力を抜いたのだった。
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