序 章『彼の名はペーパームーン』
ひとときのやすらぎ①【改稿】
加地月彦は、聖剣の一撃を食らったショックで思い出してしまった――この世界は『
「だっ、大丈夫か!?」
起こした上体を支えられて、月彦は聖剣の担い手を認める。先程までの勇ましさはどこへやら、今は年相応の少年の面立ちを焦らせて、こちらの身を案じていた。
「
「え? 俺のことがどうかしたか?」
色素の薄い生来の茶髪に、セルフレームの眼鏡。件の『
前世の記憶に沿えば、『
そして対峙した自分――加地月彦は、彼と敵対して矛を交え、聖剣の一撃でもって制されたのだった。
……自分が彼と戦っていた? 本当に?
現実味のない相手だが、ほんの数分前にそんな暴挙に出ていた自分の方が、なによりも信じられない。なにかの間違いではないのかとさえ思う。だが『
「もしかして今のでどっか打ったとかか……!?」
「だ……だいじょうぶ……」
応じるが、夢見心地のまま現実味がない状況を呑み込めずにいた。
「よかったぁ……」
「油断するなよ、良太郎」
剣の切っ先に似た鋭い声が、安穏とゆるみかけていた空気を両断する。
「今しがたまで鍔迫り合いをしていた相手に警戒を解くな。特にそいつは、お前の命を狙ってきたのだ。ゆめゆめ忘れるな」
ぴしゃりと良太郎を諫めたのは、異様な風体の人物だった。
なにも三つ目だとか、口が頬まで裂けているといった、妖怪じみた外見をしているという意味ではない。だが鎧を思わせる堅牢なコートは、浮世離れしていると称しても過言ではない装いだった。
すね半ばまでガッチリと着込み、襟首も緩めず、フードまで目深にかぶっている時点で不審者極まりないが、それ以上にコートの材質が奇怪だった。
なにせ、ガラスのような透明感がありながら、布としてのやわらかさを兼ね備えており、腕や胴は一切透けて見えない。まず普通に生きている分には見ない繊維だ。硬質な印象は、縁取るように刺繍された黒鉄色で、より強固にされる。フードからこぼれた金髪と長身から、洒落た街灯の擬人化と言われた方がしっくりくるだろう。
否――月彦に会心の一撃を食らわせた、聖剣の擬人化と呼ぶべきか。
役目は一時休止だと、人の姿となった聖剣は「今は不意を突かれて呆けているだけだろうが、気を取り直せばまたぞろ噛みついてくるやもしれない」と釘を刺す。
「ならば歯向かってこない今のうちに、無力化するべきだ。脚の腱か指の一本でも……」
「!?」
「ま、待ってくれステラ!」
剣呑ぶりに月彦が目を見開くよりも早く、良太郎が制止する。
「相手は全身打ちつけていっとき気絶してたんだぞ! 確かに敵対した以上、どうにか決着をつけないといけないのは分かるけど、でも、だからって丸腰の相手にそんな仕打ちをするのは納得できない! 俺達は勇者だっただろ!?」
「……変わったな。良太郎は」
「ここは異世界じゃない。戦ってるのは魔物じゃなくて、俺と同じ人間なんだ。戦意喪失して、もう二度と魔法を使わないと魔導書を破棄するって約束するなら、このまま監視する程度でもいいはずだ!」
「甘すぎる。今は一時的に戦意を喪失していても、後から復讐心が湧いて出ることなど、いくらでもあり得る……次こそ、学び舎すべてを巻き込んだ阿鼻叫喚の地獄絵図となる可能性だってな」
苦虫を噛み潰したように表情を曇らせてうつむいた良太郎を見て、事態を静観していた月彦にも旗色がよろしくないと察しがついた。
悲しきかな、天秤は聖剣の方へと傾いている。このまま正論で押し切られてしまえば、先の武力行使が待ち構えているのは目に見えている。かといってこの場から逃走を図ろうにも、四方を夜空で囲まれた廃ビルの屋上。当然逃げ場はない。無情な月が嘲り笑っていた。
なにか手を打たなければ、最悪ではないにせよ次悪になるのは必至。前世の記憶を取り戻して束の間、まだ混乱冷めやらない中で決断を迫られ、月彦は目を白黒させた。
記憶……そうだ、記憶だ!
「え、えっとぉ……」
気の抜けた月彦の声に、二人の視線が集中する。
「それで、おふたりはどちら様ですか……?」
「は?」
「というか、俺は誰ですか……?」
苦しまぎれに繰り出されたのが、「ココハドコワタシハダレ」――あろうことか、記憶喪失を装ってこの場を切り抜けようとしたのだ。
集中していた視線が呆れ返り、そして――。
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