第24話 童心

田舎の夏は、ただ暑いだけじゃなくて、空も、山も、田畑や農道、用水路の水面や走り去る軽トラにまで、夏の色と匂いがした。

「どこか行きたいとこあるか?」

つつじもまた、夏の色をまとって、実際の年齢より幼いような笑みを浮かべていた。

どこでも案内するぞといった感じで、ちょっと得意気にも見える笑みだ。

水田の間をどこまでも続く道も、木々をって山深くへと分け入る小道も、幼いつつじがかつて歩いた、つつじの庭みたいなものなのだろう。

「パンチラスポッ──ぐっ!」

殴られた。

他にリクエストは無いので、僕はつつじのお気に入りの場所、と答えた。


コンビニに寄って、飲み物とおやつを調達する。

誰も来ない山の中に綺麗な池があるらしく、そこへ行こうという話になったのだが、つつじは遠足気分なのか駄菓子コーナーに駆け込む。

「つつじ先生、コンドームはおやつに入り──」

「食えよ?」

「君を食べ──ぐっ!」

殴られた。

怒ってるわけじゃなくて楽しそうだけど。

「子供の頃は危ないから行っちゃダメって言われてたんだけど、杏子あんず達と何度も行ったなぁ」

つつじは懐かしむような口調で言い、遠足のおやつとしては予算オーバーになる量をカゴに入れた。

「最後に行ったのはいつだっけなぁ。杏子と

男子が──」

昔話をするつつじは、いつもより少し饒舌じょうぜつだった。

僕の知らない過去につつじの本当の笑顔があるのだとしたら、それは寂しいことだな、なんてつつじの話を聞きながら思う。

「あ、噂をすれば」

「え?」

つつじの視線の先に、見覚えのある男子がいた。

確か隣のクラスの奴で話したことも無いが、たった二クラスしか無いから顔は知っている。

僕が言うのもなんだが、陰気な目と取っ付きにくそうな雰囲気をした男子だ。

僕達は飲み物を選び、レジへ向かう。

その間、彼は菓子売場で商品を手にしては棚に戻すという行為を繰り返していた。

レジで清算を終え、そのまま直ぐに店を出ればいいのに、つつじは何故か、その男を懐かしむような優しい目で見ていた。

「優柔不断なヤツだな」

いつまで経っても買う物を決められないそいつの様子に、僕は少し苛立いらだっていた。

でも、つつじの表情は柔らかいままだ。

「もういいだろ。ほっとけよ、あんなヤツ」

もしかしたら僕は、何か他の理由で苛立っているのかも知れない。

そんな風に、つい口調は刺々とげとげしくなった。

「アイツ、小麦アレルギーなんだ」

つつじは懐かしむような口調のまま、そんなことを言った。

僕は瞬時にその言葉と彼の行動の意味を理解する。

原材料を見て、彼の表情が曇り、商品を棚に戻す。

それを繰り返し、名残惜しそうにさっき見た商品に手を伸ばしかけたりする。

「僕の女性アレルギーのようなものだな」

どうにか軽口を返しながら、僕はつつじの顔を見ることも出来ず、その場にうずくまりたくなった。

「あたしが女じゃないって言いたいのかよ」

先日のビッチ発言のように、どうしてたしなめないのか。

さっきからのれ言のように、どうして殴らないのか。

つつじは、まるで肩を叩くように僕を優しくつねってきた。

「あたしらも子供の頃はさ、さっさとしろよってよく責め立てたんだ。事情を知ってても」

その「あたしら」の中に、多分つつじは入っていないのだろう。

つつじはせっかちじゃないし、気性が荒いようでいて実はのんびりしてるし、何より、今まで一緒にいて他人の悪口を聞いたことが無い。

僕は、配慮と想像力が足りない。

だから今まで、誰にも愛されなかったのだと思う。

「……日高」

「ん?」

「あたしの目を見ろ」

「何だよ、いきなり」

「いいから見ろって」

「パンツ以外に興味は無い」

苦笑混じりの溜息をかれる。

まるで、つつじがお姉さんで、僕は駄々をこねる弟みたいだ。

「日高しか勝たん」

「はあ?」

「あんま好きな言い回しじゃ無かったんだけど、なんかしっくりきた」

「別に勝ち負けなんて争って無いし、意味不明だろ」

「いいんだよ、それで。あたしの中でお前は勝つと決めつけてるってことだから」

おかしなことを言い出すヤツだ。

パンツしか勝たん、とでも言ってやろうかと思ったが、途中で言葉に詰まってしまいそうで上手く言える気がしない。

さっきとは違う理由で、つつじの顔を見ることも出来ない。

ただ、つつじが優しく微笑んでいることは、気配から伝わってきた。


山のふもとにバイクを止めて、山道を十五分ほど歩く。

高校生にとって十五分は大した距離では無いが、子供にとって山道を十五分進むのは、冒険と言っていい行程だろう。

「ほら、ほら見えてきた!」

つつじが駆け足になる。

「ほら、めっちゃ綺麗だろ?」

その池は、溜池とは思えないほど透明な水をたたえていた。

太陽の光が池の底まで照らして、時おり小魚のうろこが銀色に輝いた。

「子供の頃、ここで杏子と泳いだことがあってさぁ」

今日の気温は高く、池に飛び込めばさぞ気持ちいいだろう。

「脱ぎたそうだな」

「それを言うなら泳ぎたそうだろ!?」

「当時、委員長は素っ裸だったのか?」

「そこが気になるのかよ!?」

「いや、委員長が前にそのようなことを。いや、あれは川の話か」

「アイツはどこでも裸になってたしなぁ」

マジかよ!?

「少し元気になったんじゃねーか?」

「最初っから気を落としてなんか無い」

「だったらいいけどさ」

「そんなことより、君はその時、どうしてたんだ?」

「あたし? 確かパンツいっちょで泳いでたような?」

「童心に帰って当時を再現しよう」

「もう帰ってるよ」

どこがだ。

あどけない笑顔は少女のようではあるが、その目の奥に、君は大人びた気遣いを湛えている。

「お気に入りの場所っていっても、一人じゃ来られなかったんだ」

え? おい……。

つつじは靴を脱ぎ、池の水に足をひたした。

ジーパンが濡れるのもいとわず、膝くらいの深さまで進んで振り返ると、ニヤリと笑って水面を蹴り上げる。

「わぷっ」

高く舞い上がった水飛沫しぶきが、日差しにきらきらと輝いて僕に降り注いだ。

このやろう!

「ブラを透けさせてやる!」

僕もやり返した。

お互いが水を掛け合い、ずぶ濡れになって顔を見合せる。

透けブラなんかどうでもよくて、空は青くて、夏真っ盛りで、そして僕達は子供みたいに、ただ笑い合った。

つつじの、本当の笑顔が見られたような気がした。

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