第23話 お手

「ちょっと小耳に挟んだんだけどさ」

それは、委員長からは何度か聞いたことのあるセリフだった。

でも、つつじが口にするのは初めて聞いた。

「出来ることなら小耳じゃなく、その胸……は無理か」

「あ?」

「いや、何でもない。続けてくれ」

杏子あんずと夜の散歩を楽しんでたみたいじゃねーか」

「ああ、あのメスブタね」

委員長が凄い勢いでこっちに向かってきた。

「メスはいいけどブタはやめてよね!」

乳を揺らしながら抗議する。

ていうかメスはいいのか。

「散歩してたら、偶然このメスネコと会ったんだよ」

「にゃあ」

くっ!

全く躊躇ちゅうちょせずに猫真似できる胆力には恐れ入る。

ほっぺの辺りで左手を猫の手みたいにするポーズ付きだ。

僕は「しっ、しっ」と追い払った。

「もう、意地悪!」

恨みがましくも甘えと色気を含んだ目で僕を睨み、お尻をフリフリしながら席に戻る委員長。

こび力がアップしているように思えて、僕は少し恐怖を覚えた。

……いや、恐怖を覚えるのはそこじゃなかった。

「つつじさん?」

美人というものは、大体において睨むと目ヂカラが凄い。

くっきりした目元、長い睫毛、整った顔立ちが、鋭さと美しさを増幅させる。

「なんか……親密になってるし」

「いやいや、僕は犬派なんで」

「あたしは猫派だけど」

いや、そこで張り合われても。

「わん」

「は?」

「な、何でもない!」

……今つつじが犬真似したような?

どっちかと言えばつつじは猫顔に思えるけど、性格的には犬かも知れない。

「お手」

つつじが、差し出した僕の手を見る。

怒るかと思ったら、ちょっと不機嫌そうな上目遣いが返ってきた。

ちょん、と右手の指先で僕の手のひらをつつく。

「おかわり」

左手でパシッと叩かれた。

気難しいワンちゃんだ。

その気難しいワンちゃんが、気難しい顔をしたまま飼い主をうかがうような目で見てくる。

「お前は、他の男子みたいに杏子にデレデレしないんだな」

確かに多くの男子は、よく委員長の方をチラチラ見るし、話し掛けられると顔がニヤケてるし、気に入られようとしてるのかチヤホヤしている。

が、それとは別に、時々こちらをチラチラ見る男子も数人いる。

僕は彼らが隠れつつじファンだと睨んでいる。

つまり多分、僕はほとんどの男子生徒の敵になっているのだろう。

「僕はビッチは好きじゃないんだ」

ちょっとしたギャグというか、軽い気持ちで委員長のことをそう言った。

「ビッチ? 杏子のことか? だとしたら訂正しろよ」

「え?」

「何か証拠でもあんのか? ビッチも売女ばいたも大して意味に違いは無いだろ。お前が軽々しくそんな言葉を口にすんのは……ちょっとイヤだ」

言葉というのは、それを口にした人、それを言われた人によってニュアンスが変わる。

僕がビッチと言ったところで、言われた委員長が深刻に受け止める可能性は低い。

一応そういったことを意識した上で言葉を使っているつもりだったけど、少し無神経だったかも知れない。

「ごめん。気を付けるよ」

「いや、軽い冗談のつもりってのは判るけど、なんか、あたしの方も……ごめん」

つつじが謝る必要なんて何一つ無いし、その気持ちは称賛に値する。

「つつじしか勝たん」

「は?」

「いや、こういう言い回し、ネットで見かけるだろ?」

「それは判るけど、何だよいきなり」

何だろう?

自分でもよく判らないけど、ここにいるみんながつつじに優しくなかったんだと思うと、僕はそう言いたくなったのだ。

噂話を、全ての人が悪意を持って広めたとは思わない。

だけど、そこに優しさなんて無かったのは紛れもない事実だ。

「僕はつつじしだ」

ビッチと言った僕をたしなめる君は、多分、僕が噂されるようなことがあっても、怒ったり悲しんだりするのだろう。

「推し? な、何を推してくれんのか知んねーけど、あたしはお前の期待には応えらんねーし……」

「僕の期待?」

「ほら、その、パンツとか……」

「人をパンツ星人みたいに言わないでくれないか」

「パンツ星人だよな!?」

「あー、母星に帰りたい」

「そりゃ、都会には杏子みたいな女の子がいっぱいいるんだろうけど……」

いや、あんな女は滅多にいないが!?

いっぱいいたら社会が不安定になるレベルだが!?

少なくとも脇見運転による追突事故が多発するし、勘違いした男どもの争いは絶えないだろう。

「それはともかく、散歩に行こうか」

「べ、別に散歩に行きたくて言ったわけじゃ……」

「もうすぐ夏休みに入る」

「う、うん」

「テストの結果も平均点は取れた」

「それは、感謝してる」

「だから遊ぼう」

遊ぼうという言い方がおかしかったのか、つつじがクスッと笑う。

考えてみれば、いつの間にか「遊ぼう」なんて誘い方をしなくなっていた。

中学、高校へと進むにつれて、いついつに会おう、どこどこへ行こう、なんて言い方に変わっていく。

でも、いつでもいいし、どこでもいい、とにかく一緒に遊ぼう。

そんな思いを連れてきたのは、夏だからか、田舎だからか、つつじだからなのか。

「散歩でも釣りでも冒険でも何でもいいんだ」

「うん」

そんなに大袈裟に喜びを表してるわけでは無いけど、つつじが尻尾しっぽを振っているように見えた。

「よし、お手!」

僕の勢いに釣られたように、つつじがポンと手を載せる。

「よしよし」

金髪の、ちょっと傷んだ、でもさらさらの髪を撫でる。

気難しいワンちゃんは、嬉しそうに目を細めて──我に返った。

「何すんだよ!」

気難しいワンちゃんは、牙をき出しにしてえるように、顔を赤くして僕の腕を弾く。

でも、素のつつじは、あのとき見た寝顔や、今みたいに嬉しそうな顔なのだと僕は知っている。

「つつじしか勝たん」

「うるせぇ!」

この気難しいワンちゃんになら、噛まれてもいいような気がした。

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