第21話 勉強会
つつじの部屋は、いい匂いがした。
「つつじの部屋は、いい匂いがする」
思ったことを即行で口にすると、速攻で蹴りを入れられる。
僕は深呼吸しながら、自分が変態であることを再確認して気合いを入れた。
先日、委員長から口先だけの偽エロ家と言われたことを気にしていたのだ。
「よし、つつじ、タンスのいちばん下の引き出しだよな?」
「いや、パンツはそっちじゃなくて──じゃねーよ! てめぇは人んち来たらまずはタンスを
お母さんが水商売をしている、というお店は他の場所にあるようで、つつじの家自体は田舎の古い民家だ。
でも、つつじの部屋には、そういった家にはあまり似合わないような少女っぽいものが沢山あった。
ぬいぐるみだとか、ピンクのカーテンだとか、少女マンガだとか。
「年頃の女の子の部屋に入るとテンション上がるな」
「そういうこと口に出して言うなよ!」
年相応の、流行りの、学校の女子達の間で話題になりそうな、そういったものは見当たらない。
「ところでお母さんは?」
「夜遅くに仕事から帰ってきたから、まだ寝てるよ」
「そうか。じゃあ寝顔でも見てくるかな」
「何でそーなるんだよ!?」
「ていうか、今日、僕が来ることは?」
「い、言ってねーけど……」
もしかしたら僕は、年単位の、それも一年や二年じゃなくて、小学校以来の来客なんじゃないだろうか。
「洗濯物はどこに干すんだ?」
「庭だけど、今日は洗濯してねーから見たところで──じゃねーよ!」
口振りからすると、たぶん洗濯はつつじがしているのだろう。
「つつじ」
「な、何だよ」
「緊張してるのか?」
「んなわけねーし!」
「だよな。家に招いて緊張するような相手だったら、そんな上下ジャージなんて格好をする
「こ、これは、色々と考えたんだけど、あたしはお洒落とか判んねーし、勉強するなら制服でいいかとも思ったけど、家で制服っつーのも変だし、これ、中学のジャージで部屋着にしてるし無難かなとか……」
非常にダサ可愛い。
あたしが何を着ようが勝手だろ、の一言で済ませばいいのに、丁寧に弁解するところも可愛らしい。
「つつじは、東京の大学を目指すのか?」
東京に行って、お洒落を覚えて、ちょっと頑張って人と話すようになれば、つつじはモテるだろう。
それは喜ばしいことで、つつじには広い世界で、もっと自分の輝きを放ってほしいと思う。
「正直……地元で就職しようかとも考えてる」
田舎は嫌いだと言っていたけれど、故郷に愛情が無いわけじゃないだろうし、母娘二人だけの家族なら、離れて暮らすことに不安や迷いが生じても仕方ない。
通える範囲の地元にレベルの低い私学は無いし、今の学力で進学するとなると、自ずと東京を選ぶことになる。
「お前は……やっぱり東京に帰んのか?」
随分と言いにくそうに口にするのは何故だろう?
「帰ると言っても、一人暮らしをするつもりだけどね」
「……そう……かよ」
不服そうに返事するのは何故だろう?
いや、僕のことを友達と思ってくれてるなら、離れることは喜べないのかも知れないけれど。
「取り敢えずは、目の前に迫った試験に向けて勉強しよう」
「……うん」
僕はつつじの隣に座り、いつも教室で見るよりもずっと近い距離で勉強を教える。
「つつじは、いい匂いがする」
「離れろよ! 息止めろよ! 何なんだよちくしょう!」
少し距離が広がって、でも勉強を教えているうちにまた縮まる。
小さく丁寧なノートの文字、公式を思い出そうと
果たして僕は、東京を選択するのだろうか。
迷っているのは僕も同じだった。
一階のトイレを借りて出たところで、お母さんと鉢合わせになる。
背格好はつつじと似てるし、金髪だし、ピンクのパジャマが幼く見えて、一瞬、つつじかと思ってしまう。
少しはだけたパジャマの胸元が、控えめで可愛らしい。
「あなた、日高君でしょ?」
「あ、はい。お邪魔してます」
今日のことはともかく、僕のことはつつじから聞いて知っているようで、驚きもせずに人懐っこい笑みを浮かべる。
「変態の」
……僕のことは、つつじから聞いて知っているらしく、にこやかな表情のまま凄い単語を放つ。
「夜に二人っきりで蛍を見に行ったのに、ロマンチックになるどころか胸に対する
僕のことを、包み隠さず話すくらい仲のいい母娘なのだろう。
お母さんは、ちょっと僕を責めるような口調になって、笑みも悪戯っぽいものに変わる。
随分と明け透けで表情豊かなお母さんだ。
「あの子、ジャージでしょ?」
「はい」
「バカよね」
「いえ、ジャージ姿も可愛いです」
「娘のために言っておくと、私が夜中に帰ってきたときは、部屋中に服が散らかってたわよ?」
……バカだなぁ。
僕ごときにお洒落なんて考えなくていいし、つつじほどなら、お洒落なんてしなくても可愛らしいのに。
「ついでに言うと」
なぜ耳元に近付くんですか?
わざわざ背伸びするのが可愛らしいけど。
「下着も散らかってたの」
「……」
「多分、寝不足だから、今ごろ寝ちゃってるかも?」
まるでイタズラを推奨するような口振りだ。
でも、何故だろう?
「寝顔が見てみたいです」
僕は下着よりも、つつじの寝顔が見たかった。
お母さんがニコッと笑う。
「あの子の寝顔は天使みたいなんだから」
そう言って、僕を誘うように前に立って歩き出す。
抜き足、差し足、忍び足。
家の主人と客人が、二人揃って泥棒みたいな足取りで進む。
部屋の前で立ち止まり、一度振り返ってお母さんはニヤリと笑う。
音を立てずに開けられる
その先に、教科書に頬を載せて眠る天使がいた。
楽しい夢でも見ているのか、その寝顔は柔らかな笑みを浮かべていた。
「日高君」
「ありがとね」
温もりと優しさに満ちた、
何故お礼を言われるのか解らなかった。
そして、どうして胸が痛くなるのかも、僕にはよく解らなかった。
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