第17話 蛍

「なあ、つつじ」

「ん?」

僕らのかたわらを、蛍が低空飛行していった。

聞こえるのは、せせらぎと、鳥のさえずりみたいなカジカガエルの声。

流れに沿って光の帯が明滅し、見上げれば満天の星が見えた。

心に響く音色と、胸にみ入る光の共演。

つつじの顔がはっきりと見えないのは残念だけど、そのお陰で素直になれるような気がした。

「巨乳ってどう思う?」

普段なら聞けないこと、言えないこともスッと口から出る。

「あ?」

対するつつじの声は、あまり美しくなかった。

雑念が混じっているのではないか?

「いや、男って巨乳好きが多いだろ? そういった傾向に、僕は常日頃から不愉快な思いをしてきたんだ」

今まで我慢して心に溜めてきたことも、躊躇ためらわずに話せる。

「……杏子あんずのこと、考えてんのかよ」

杏子? ああ、委員長のことか。

「僕は純粋に巨乳に関して──」

「じゃあ嫌味かよ」

つつじの声色に、悔しさが滲む。

それもまた、純粋な気持ちの表れなのかも知れない。

蛍が、僕とつつじの前を横切っていった。

蛍火なのか星明りなのか、微かに照らされたつつじの顔は、心持ち唇をとがらせ、幼げで愛くるしい表情をたたえていた。

それでいて君は、辺りに満ちた幻想的な光をまとうかのようで、比類なき美しさをもかもし出していた。

僕は息を呑み、そして言った。

「巨乳は、自己主張が強すぎると思うんだ」

君は黙っていた。

僕は、その沈黙の意味を問うてはいけない気がしたけれど、誤解を招くようなことだけはあってはならない。

「君は先日、僕が委員長の胸をガン見してると責めたけれど、自己主張の強いものには目が行く、ただそれだけのことなんだ」

「……」

「それだけのことなんだよ……」

最後の言葉を繰り返すことで、僕は自分の主張をより明確にしたつもりだったけれど、隣からは苛立いらだつような気配が伝わってきた。

「今時、女性はつつましくあるべき、なんて考えは古いと思うかい? でも男というものは、あまりに自己主張が強いと敬遠したくなる気持ちになるんだ」

蛍の光も自己主張と言えなくもないが、初夏のひととき、僕はここにいるよ、と訴えかける彼らのそれは、生命を燃焼させるようなきらめきとはかなさをあわせ持っている。

「例えばつつじはさ、パッと見、派手だったりするだろ」

「……否定は、しねーけど」

「でも、つつじにはちゃんと慎ましい部分がある」

「……」

「慎ましくて奥ゆかしくて、控えめな、ね」

「何が、ね、だよ! 一人で雰囲気出して語ってんじゃねーよ!」

「え? どうして怒ってるんだ?」

「胸か? 胸だろ? 胸のこと言ってんだよな?」

「……否定はしないけど」

「慎ましいとか奥ゆかしいとか控えめだとか言ってっけど、小さい、貧弱、足りないの言い換えだろ? そうだよな?」

カジカガエルが、まるでのどを詰まらせたかのように途中で鳴くのを止めた。

でも僕は、絶えることの無いせせらぎのように語ることが出来る。

「ほらつつじ、あれがデネブだよ」

僕はつつじに落ち着いてもらいたくて、適当な星を指差して言った。

「あからさまに誤魔化してんじゃねーよ!」

つつじは怒って僕の頬をつねろうとしたらしい。

だが、暗さのせいと、僕がちょうどつつじの方を向いたせいで、そのか細い指がまんだのは僕の唇だった。

「え? むにゅ? っ!? わ、わりぃ!」

唇だと気付いて慌てて手を離す。

「背中だと思って叩いたら胸だった、みたいな」

「あたしの胸が絶壁だって言いたいのかよ!」

駄目だ。

何を言っても怒らせてしまう。

話を変えよう。

「昔、一度だけ母親と蛍を見たことがあるんだ」

「へー、そういやお前、性癖とかはあからさまに話すのに、自分のことはあまり話さないよな」

「……だって、恥ずかしいじゃないか」

「性癖より!?」

「性癖っていうのは聖なる壁とも書いて、飽くなき探究心と果てしない──」

「そういうのはいいから。で、どんなお母さんなんだ?」

「……胸がデカかったな」

「また胸かよ!? お前、パンツだけじゃなくて胸にも執着してんのかよ!」

「はっきり言うけど」

「な、なんだよ」

「僕は貧乳が好きだ」

「にゃ!?」

な!? と言おうとして、にゃ!? になってしまったようだ。

「でも、貧乳が好きだと言うと、お前はおっぱいの良さが解ってないだとかロリコンだとか言うやからがいてさ」

「そ、そうゆうのは、よく解んねーけど……」

「だからつつじは、どうかそのままでいてくれ」

「……」

「慎ましいままで」

「うっせーな! 大きくしようとしても変わらねーんだから変わらないでくれもくそもねーんだよ!」

どうやらコンプレックスだったらしい。

「というか、さっきからやたら唇を触ってるみたいだけど、乾燥してるのか?」

「さ、触ってねーし!」

「そうか」

「触って……ないし」

何故か二度目は、聞こえないくらいの小さな声だ。

なのに、それに呼応こおうするかのように、くさむらの中から蛍が一斉に舞い上がった。

胸が、いっぱいになるような光景だった。

「つつじと見に来て良かった」

「……そうかよ」

つつじは怒ったような口調で言う。

「つつじと見に来て良かった」

「……」

「つつじと見に来て──」

「わーったよ! あたしもそうだよ!」

カジカガエルが鳴く。

僕らの傍らを蛍が舞う。

ワクワクとドキドキが積み重なって、キラキラがあふれる。

「あたしも……そうだよ」

何故かつつじも、同じ言葉を繰り返した。

やっぱり、胸がチクチクした。

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