第3話 ギャップ萌え

教室の窓から見える風景が、日々、変わっていく。

土色だった田圃たんぼに水が張られ、幾つもの鏡が空の色を映し出すようになると、蛙が一斉に鳴き出し、その声は教室まで届く。

山の斜面の淡い緑も深みを増して、風が草木の匂いを運んでくる。

変化の多い都会の方が代わり映えのしない景色だったなぁ、なんて思いながら外を眺めていると、窓から名も知らぬ虫が飛び込んできた。

ヤンキーちゃんの机に着地。

小さな甲虫こうちゅうのようで、机の表面が滑るからなのか動きが鈍く、脚をジタバタさせている。

さてどうするのかと見ていると、ヤンキーちゃんはその虫をひょいと掴み、窓から外へ逃がした。

「……」

「なんだよ?」

「いや、都会の女子だったら悲鳴を上げただろうなと」

「あたしが虫を怖がったところで、キモいとか思われるのがオチだろ」

「そんなことは無い」

大袈裟にキャーキャー叫ぶ女子は鬱陶しいし、異様に気持ち悪がるのも虫に悪い気がする。

「それとも、床に叩きつけて足で踏み潰す方があたしらしいか?」

「誰もそんなこと思っとらんわ!」

どうもヤンキーちゃんは自己評価が歪みまくっている。

「……じゃあ何でじっと見てんだよ」

見られることに慣れてないのだろうか?

戸惑うような、不貞腐ふてくされたような素振りを見せる。

僕の視線が不躾ぶしつけすぎるのかも知れないが、ここらでちょっとレクチャーしておこう。

「君はギャップ萌えという言葉を知っているか?」

「ギャップ……萌え?」

ヤンキーちゃんの辞書にはギャップ萌えという言葉は無いらしい。

「つまりだ、普段のイメージとの落差が可愛さを演出する」

「意味わかんねぇよ」

「例えばさ……ああっ! 君のスカートにゴキブリがっ!」

「きゃっ、やだ! 取って!」

「……」

冗談のつもりだったのだが、ギャップどころか豹変と言っていい怖がりように言葉を失う。

しかもスカートをバタバタさせたので、普段は見えない太ももまでが見えてしまった。

イメージとの落差、華奢なのに柔らかそうな太もも。

「……な、なんだよ」

非難するような口調なのに、負い目があって目を逸らしてしまう感じ。

「ゴ、ゴキブリだけは苦手っつーか、その、キライだし……」

言い訳がましいのは自覚していて、段々と声が小さくなっていく感じ。

「まあ、そういうとこだ」

「い、意味わかんねぇよ!」

可愛いところを見せたのに恥ずかしがる、恥ずかしがるところを見られたくなくて強がる。

可愛いの連鎖なんですが。

「顔が赤いぞ」

憤怒ふんぬの赤面だよ!」

「憤怒の赤面がそんな可愛いわけないだろ!」

「かっ、可愛い!?」

「かわヨ」

「……お前、からかってるだろ」

「僕は大真面目だ」

真面目に可愛いと思っているが、からかえば可愛さが増すし、可愛さが増せばからかいたくなる。

睨み付けてくるその表情すら可愛らしく思えるから、つい微笑んでしまう。

「ふざけんな!」

ヤンキーちゃんはねてしまったのか、次の授業で使う教科書を、机に叩きつけるように鞄から出した。

……予習を始め出した。

真面目ちゃんかよ!

それもギャップ萌えだよ、と言ってやりたいところだが、怒られそうなので自重じちょうする。

……本当は、最初の時点で僕はギャップに萌えていたのだ。

虫を掴むときの優しい指先の動き、外へ逃がすときの、さ、もうこんなとこ来んなよ、みたいな表情。

僕自身は女性不信だと思うけど、可愛いものは可愛いと感じるし、人の良さとか、そういったものは男女の区別はしない。

いや、恋愛というものに懐疑的なのかな。

「……怒ったのか?」

何故か不安そうな視線で、こちらをうかがうように見るヤンキーちゃん。

「怒るようなこと、あったっけ?」

「いや、一方的に……話を切ったし」

律儀で真面目で優しい子だなぁ。

ギャップ萌えは、本人が可愛いと自覚していないところから始まる。

そして、恋なんてものも簡単に始まる。

でも、コイツが自分の可愛さに気付いたとき、僕なんかは相手にされないだろうな、なんて考えてしまう。

女性は可愛いと思うけど信用出来なくて、恋心は簡単に芽生えるけど恋愛には懐疑的だ。

だから期待も理想も持たないけれど、コイツが僕に見向きもしなくなることを考えると、それは何故か少し寂しいことに思えた。

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