第8話

エレベーターでB10Fへと降りる。

 着いた先には、フロア全体を埋め尽くす一つの黒く丸い球体と、それを取り囲むように黒い輪がゆらりと浮かんでいた。

「これが……サターン?」

 まるで、漆黒の土星だ。サターンという名前が付けられたのにも納得がいく。

 そして、その横には浩陸入っているであろう袋を担いだ、令がいた。

「その白衣……」

「テルさんが貸してくれた」

「テルのやつ……それで、何の用だ」

 令は、陽一の登場にも動揺する事なく、鼻を鳴らした。

「浩陸を返せ!」

 陽一が叫ぶと、令は顔を逸らす。

「……返したところで無駄だ」

「は?」

「D.Eによって器を破壊された者の心は二度と戻らない。それどころか、脳の信号すらまともに動作しない」

「それ、どういう……事だよ」

 陽一が訊くと、令は袋の方を一瞥して、

「こいつは既に死んでいる」

と冷たく言い放った。

「そん……な」

 陽一はその場に崩れた。

 ──死んだ? 浩陸が?

 数時間前まで、くだらない冗談で笑いあっていた親友の死は、陽一にとって信じ難いものである。

「デモーショナーになった人間は必ず死ぬ。残ったD.Eを使用するために、この炉に送る。それが俺達の役目だ」

 令はそんな陽一の事などお構いなしに淡々と説明する。

「……炉に送られた人間は、どうなるんだよ」

「D.Eを完全に回収されるだけだ。命は既に無いからな」

 つまり、炉の中で浩陸は消えてなくなる。彼の最期はデモーショナーになった時点で決まっていたのだ。

「あくまでもD.Eの回収が優先だ。それが、エモーショナーおれたちの任務だからな」

 令が陽一を見下して言うと、陽一は立ち上がり、彼の胸倉を叫んだ。

「そんなのって、ねえだろ! なあ!」

「離せ。邪魔だ」

「嫌だ!」

「このっ……」

 令が陽一を突き飛ばして抵抗しようとしたその時だった。

「レイ」

 エレベーターの方から、照光がやってきた。先ほどまで冷静だった令はあからさまに目を丸くした。

「テル!? なんでお前までここに」

「それ、貸して」

 令の心配もお構いなしに、照光は、浩陸の入った袋を指差した。

「何を」

「最後の仕事をする」

 令から袋を奪い取り、照光はサターンへと近づく。炉の真ん中には大きな穴が開いていた。辺りには、WARNINGと危険を示す黄色と黒の標識が整列するように並んでいる。

「見ていてよ、レイ」

「やめろ! テル!!」

 照光は一歩、また一歩と足を進めた。

 サターンは高温の為、陽炎の様なものが見え、照光の髪の毛をチリチリと焦がす。

「これが、エモーショナーぼくたちの最期だ」

 そう、言い放つと照光は炉の穴へと飛び込んだ。

「なんで!」

「カミサマに使われるのなら、本望だからね」

 炉の中から照光の最期の言葉が聞こえ、とぽん、と重たい水の音がした。

 その時だった。真っ黒だったはずのサターンは真っ白に光る。

「な、なんだ! この光」

 陽一が狼狽える。令は、光を見ながら絶望した。

「……うそだ、うそ……」

 冷静に感情を抑え込むエモーショナーの面影もなく、令は子供のように涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。

 ただ、ただ涙が溢れていた。その時。

「う、うわああああああああっ!!!!!」

 令の叫び声がフロア中に響く。その声は、徐々に大きく、汚くなっていく。

 声と共に、浅葱色の粒子が放たれる。

 ──E.Eだ!

 相棒の死に感情が大きく動き、E.Eが放出されたのだ。

 だが、先の戦闘よりE.Eの放出量が明らかに多い。

「な……これは……」

 その上放出されたE.Eは音を立てながら凝固する。まるでラムネ瓶のような氷柱が出来ていた。

 凝固したE.Eは槍へと変化して、破壊行動を始めた。

「おい! やめろ! 暴れんな!」

 陽一の制止に聞く耳を持たない。令はひたすら、炉の辺りを壊していた。

「菴輔〒豁サ繧薙〒縺励∪縺」縺溘s縺?」

放つ言葉は意味が分からないものだった。

 ──もしかして、デモーショナーになった?

 相棒の死に、絶望し、抑制した感情が器を壊したのであれば、令はデモーショナーになったと考えられる。しかし──

「なんだ……これ?」

 令の放つE.Eは映像の様なものを見せつけた。

 二人の白衣の少年がいた。面影があるから分かる。令と照光だ。

 照光が温かい笑顔で令に「初めまして、よろしくねレイ」と言っている。

 それは、彼らが初めて出会った時の映像だった。

『縺ゥ縺?@縺ヲ縲∽ソコ縺ッ……テル!お前がいなければ俺は』

陽一の耳に、今度は意味まではっきりと聞こえた。

映像は、薄汚れた白衣を着せられた、痣だらけの水色髪の少年に切り替わっていた。

──これ、アイツじゃねえか? なんで、こんな格好に

幼き日の令の姿を見て陽一は驚愕した。

『ただの実験体だった俺に、喜びを教えてくれたお前なしで、どうやって生きろって言うんだ!』

 ──なんで、俺も奴の言葉が分かるんだ? っ……もしかして!

 彼が-型のエモーショナーであれば、-型のデモーショナーになっている。

 だとすれば、+型である陽一は──

 ──まずい、俺、当てられている!

 その時だった。

 強く心臓の鼓動が響く。

「あっ……あああああああああああああ!!!!!!」

孤独、喜び、妬み、恨み、嫉妬、後悔──幾何もの感情が、陽一の器に流れ込む。そして、橙色の煙が辺りを包み大爆発が起きた。

「ああああっ! うわああああっ!」

 陽一はただただ、喘ぎ苦しむことしかできない。

 ──なんだよ、これ!

 制御不能な程のE.Eが放出されて、集まり、ゴムのように伸縮性を持った触手へと変貌した。

 その時、令が放った浅葱色の氷柱が陽一の方へと飛んできた。

「くそっ! くそがああああっ!」

 陽一は、触手を自在に変化させ、氷柱を払った。

 それで終わればよかった。

 ──え?

 オレンジの触手は自ら意思を持っているかのように動き出した。令の方へと一目散に向かい、彼を拘束した。

「……かはっ!」

 徐々に触手がぎりぎりと力を込めている事がわかる。令は締め上げられ、苦しそうだ。

 ──待て、それは、だめだ!

 陽一のE.Eが、人として決して超えてはいけない一線を越えようとした、そのとき──

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る