第7話

 エレベーターに乗り込み、小さな筺は再び六階へと到着する。

 三人は廊下を歩き、令が第六研究室と書かれた表札が掲げられている部屋の前で足を止めた。

 ドアの一部光っている部分に指を触れると「認証完了」という文字と共に電子音が鳴り、扉が開いた。

「おかえりなさーい」

 扉から迎えてくれたのは、露出の多いサマーニットを着た女だった。

 ふんわりとしたブロンドのロングヘアに豊満なナイスバディは、女性としての魅力を十分に醸し出している。

 女は令の後ろに隠れている陽一を見つけるなり「あら!」と声を上げた。

「もしかして、あなたがエモーショナー候補の?」

「あ、はい……木津陽一……っす」

 陽一は、しどろもどろに答える。

「よろしくねー! キヅちゃん」

 女は陽一の手を両手で握り、ぶんぶんと振った。

「アタシは室長の宍戸千幸ししどちゆき。チユキって呼んでね」

「本当はカズユキのくせに……」

 令はぼそりと呟く。

「もう! それを言わないでよ」

 千幸と書いてカズユキと読む。よく聴くと、声も甲高いものではなく、少し低い。

 陽一の中で合点がいった。

「えっと……という事は、この人、男ぉ!?」

「なんで言っちゃうの! 心は立派な乙女よ」

 千幸は豊満な胸を張って抗議した。予想通りの反応だと思ったのか、照光は口を手に当てて笑っていた。

「もう、室長に失礼しちゃうわね」

「あの、室長って?」

「ああ、この研究室の長よ!」

 ばちんっと音がしそうなウインクをしながら千幸は言う。

「チユキさんの役割はマイスター。E.Eの調整や、デモーショナーの特性を調べる役割なんだ」

 手を差し伸べながら捕捉するように照光が言うと、陽一は「なるほどな」と納得した。

「えっと、オペレーターのバクさんは……」

「呼びましたか」

 一見反社会的勢力のドンのような、黒髪でオールバックの厳つい男が現れた。

 陽一は「ひいっ!」と怖気づく。

「ああ、帰ってきていたんですか……そちらの方は?」

 男は顔に似合わない丁寧な口調で陽一の方を一瞥した。

「新人のオペレータ―候補。木津陽一くんだよ」

 照光が軽く説明すると、男は怯える陽一の方に手を差し伸べる。

「初めまして。オペレーターの忽那獏くつなばくですよろしくお願いします」

「は、はじめまして……」

 陽一は恐る恐る獏の手を取った。

 ──顔は怖いけど、悪い人ではなさそうだな。

 丁寧な対応をする獏の温かい手を握りながら、陽一は心の中で呟いた。

 すると、千幸が両手を合わせて、「さあ!」と切り出した。

「お腹すいたでしょ。晩御飯作っているわよ。今日は中華!」

 ダイニングテーブルには油淋鶏、回鍋肉、春巻き、中華粥と言ったメニューがずらりと並んでいる。

「うわあ、うまそう! これ全部チユキさんが?」

「いえ、俺が……」

 獏がおずおずと挙手する。

「研究室のメンバーは共同生活する事になるからこうやって、役割分担しているのよ。私の役割は掃除が主、令は洗濯だったわね。照光が洗い物よ」

「なあ、これ食っていい?」

 陽一は既に席に着き、油淋鶏を取り皿に取っていた。

 その様子を「やれやれ」といった表情で千幸は見つめた。

「テル、お前は早くチユキに診てもらえ」

「うん。分かってる」

「そうだったわね、じゃあ、あっちのメンテナンスルーム入りましょうか」

 壁で仕切られただけの奥の部屋へと千幸と照光は入っていった。

 陽一は覗き込もうとしたが強面の獏がいる手前、躊躇した。見る事は出来なくても、せめて何があったかは知る事が出来ないものか。陽一は獏に、照光がどういった状態なのか訊くことにした。

「テルさん……戦闘中にケガしたみたいだけど、大げさじゃね?」

「怪我、ではありませんね。器に傷が入ったんです」

「器って、たしか……心のことだっけ」

「そう。デモーショナーにとってE.Eが毒なのと同じで、エモーショナーにとっても大量のD.Eは毒なんです。D.Eに当てられたエモーショナーは器を損傷する。損傷したら、E.Eの色が白くなります」

 油淋鶏をほお張りながら、陽一はふむふむと頷いた。

 たしかに、萌黄色だった照光のE.Eは白色へと変化していた。D.Eを浴びたからであった。

「器に傷が入ったエモーショナーはどうなるんだよ」

「日常生活でも感情が動くたびにE.Eを放出すると傷が開きます。いずれ器が壊れて、デモーショナーになる……危険な状態です」

「そんなにしょっちゅうあることなのか? 器に傷が入って戦線離脱なんて」

「あまりないですね。+型と-型がバディを組んでいるので盾になるエモーショナーが必ずいるので」

「そっか。そのための、バディか……」

 陽一がぼんやりとしながら中華粥を口に運ぶと、獏は「それにしても」と切り出した。

「テル、どうして-型のD.Eを浴びたんでしょう……」

 -型のD.Eは明らかに、浩陸のものだった。

 照光は、陽一を庇ったあの時、確かにD.Eを浴びていた。

「……もしかして、俺を庇ったせいで!」

 その考えに行きついた陽一はレンゲをカランと落として、青ざめながら叫ぶ。

「それはちがうよ」

 だが、それを否定する声がした。

「僕が選んでやった事だ、君は悪くない」

 照光本人が現れた。検査が終わり、ダイニングテーブルについて、陽一の方をじっと真剣な眼差しで見つめた

 それでも、陽一は今にも泣きそうな顔をしていた。

「でも……それじゃあ、テルさんも浩陸みたいに」

 友人の名前を口にした陽一は、思い出した。ここに来た理由を。

「あ……れ? そういえば、浩陸は?」

「レイがサターンに連れて行ったんじゃないかな」

「サターン? 土星か?」

 陽一が首を傾げながら言う。すると照光は「ちがうよ」と首を横に振った。

「サターンは感情エネルギーの炉だよ。E.EやD.Eを回収し、エネルギー源に変換するんだ」

「なんで、そんな所に……」

「回収したデモーショナーの処理……だよ」

「処理って……」

 ──浩陸が危ない!

 その事実を察した陽一は駆け出そうとする。

「待って!」

 だが、照光に制服の襟を掴まれて制止される。陽一は「ぐえっ!」と苦しそうな声を上げた。

「何すんだよ!」

「サターンは大量の感情エネルギーを放出する。生身だと危ないから、これを貸すよ」

 そう言って、照光は自分の着ていた白衣を陽一に着せて、防毒マスクを託した。

「サイズは、うん、ちょうどいいね」

「でも、これはアンタの……」

「気にしないで! あのエレベーターでB10Fへ行けばいいから」

 照光は、陽一の肩をぽんと叩いてエレベーターへと送り出した。

「……よくわかんねえけど、ありがとな!」

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