第2話

 照光の言葉に、一同、呆然とした。感情? あるに決まっているだろ。と言うように。

 するとそれを察したのか照光は頷きながら生徒達を見た。

「ありますよね。そう、感情が無いということはありえないのです。例えば、誰しもご飯を食べるでしょう。その時、脳は快楽物質であるドーパミンを放出します」

 照光は身近な例を用いて、できるだけ分かりやすく、生徒たちに語りかけるように話した。

 令はというと、対照的に腕組をしながら生徒の方を確認するように睨みつけていた。生徒指導の教師よりも、ずっと厳しい瞳で。

「僕達の脳が放出する物質はドーパミンだけではありません。不安や恐怖を感じると出る、ノルアドレナリン。ドーパミンとノルアドレナリンを制御するセロトニンがあります」

 照光の口から羅列される専門用語は、生物の授業を彷彿とさせた。生徒たちもあからさまに、うへえという表情を浮かべる。

「ⅠEEAの名誉会長である朝比奈征士郎あさひなせいじゅうろう教授は『これらの感情を司る物質をエネルギー資源として利用する事ができないものか?』と感情のエネルギー化に着目しました。これが感情エネルギー科学の始まりだったのです」

 成り立ちから説明される照光の話は、徐々に講義らしくなっていた。少しずつ、船を漕ぎだす生徒も見受けられる。

「朝比奈先生は見事に人間の脳から放出される物質を抽出する技術を開発しました! その物質を感情エネルギーといいます」

 それでも、お構いなしに照光は、子供のように目をきらきらと輝かせながら話し続けた。

「感情エネルギーは僕たちの感情が動くたびに必ず放出されるものです。皆さんが過ごす家や学校、街中に備え付けられた収集機で回収されます」

 生徒たちは「ええっ?」と驚きの声を上げながらざわつく。彼らは感情エネルギーの収集機を見た事がなかった。

 自分達の感情エネルギーが知らない間に収集されていたことなど初耳であった。

「感情エネルギーは日常生活で使う電気に変換され、今や火力や原子力に代わるエネルギー資源となっているのです」

 感情エネルギーは環境に優しく、安全性も保証されている。それに、人間がいる限りは耐えることのない、まさに理想のエネルギー資源だった。

「その為、感情エネルギーの発祥の地である日本では、今や感情エネルギー発電が主流となり、オール電化の家庭や電気自動車などが主流になり──」

「おいそこ、寝るな!」

 居眠りをしていた生徒への生徒指導部の教員の怒号がこだまする。

 その様子をみて、照光は苦笑いを浮かべた。

「あはは、お話ばかりではつまらないですよね。それではここでひとつ、実験をしましょう!」

 照光は気を取り直すように両手を叩いて言った。

「今から皆さんには感情エネルギーの発生を体験していただきます」

 すると、令が、1メートル四方の筐体を台車に乗せて持ってきた。銀色のそれは、機械であると一目でわかるものだった。

「これは先程説明した収集機です。これから皆さんの感情エネルギーを収集します」

 実物の登場に生徒たちは目を向けた。

 案外、大きいな、という平凡な感想を陽一は抱いた。

「東海林先生。よろしくお願いします」

 照光はバトンを託すようにマイクを令に渡した。

 マイクを受け取ると令は一歩前に出る。大きく息を吸い、目を細めながら口を開いた。

「馬ー鹿」

 放たれたのは、罵倒の言葉。

「阿呆、畜生、糞野郎、最低、阿婆擦れ、陰険、どじ、間抜け、汚物、けち、根性無し、ごみ屑、金魚の糞、迂闊者、単細胞、木偶の坊、肉片野郎、人間加湿器、脳内幻想郷、ささくれ野郎」

 令の口からは低い声で淡々と罵詈雑言が並べられる。

 まるでロボットの様に語られるそれは、もはや生徒たちにとって悪口であるのかさえも分からないものであった。

 だが、その時、陽一の心臓が一際大きく跳ねた。

 ──なんだ、これ?

 心臓から内側をぞわぞわとなぞられるような気持ちが悪い感覚に、陽一は呼吸を荒げながら、胸を抑えた。

 ──よく、わかんねえけど、すげえムカつく!

「あの先生ヤバくない?」

「いきなり悪口とか意味わかんない」 

 体育館に居る生徒はひそひそ話をするだけで誰も令に対して抗議をする生徒は居ない。

「おまえ、ちょっと文句言って来いよ」

「えー、やだよ! こえーじゃん」

 皆、怖かったのだ。突然罵倒を放った、目立つ容姿をした外部講師が。

 ──なんだよ! アイツ! あああ!! ムカつく! ぶん殴ってやろうか!

 陽一を除いては。

「おい!」

 頭に、血が登った陽一は立ち上がった。

 そのまま、青筋を立て、烈火の如く怒り狂い、令に掴みかかる勢いで迫った。

「何なんだよお前! さっきから好き勝手言いやがって」

「お、おい。陽一! やめとけって」

 浩陸の静止をよそに、キレた陽一は、令の白衣の襟を掴み上げていた。

「どういうつもりだ! てめえ!」

 罵倒された事が思ったよりもずっと腹立たしく、陽一は叫ぶ。

 教師たちが「やめなさい!」「外部講師の先生だぞ!」「手荒な真似はよせ!」と叫ぶのもお構いなしだった。

 だが令はただただ陽一の方を影のある瞳で見つめていた。すると、白衣の胸ポケットに入れていたボールペンを陽一へと向けた。

「ひっ!」

 陽一はたじろぐ。取り出されたものはボールペンのはずだった。

 しかし、令が手にしているのは、浅葱色あさぎいろに輝く短刀であった。

「なんだよ危ねえな! 早くしまえよ!」

 まさか凶器を持ち出されるとは思わなかった陽一は強い言葉で令に言う。

 大体、どうして凶器を出しているというのに、他の生徒や教師は何も言わないのだろうか。

 すると、令が訝しげに陽一を見て、確認するように

「……見えるのか?」

 と訊いた。

「ああ? 見えるに決まって居るだろ。なんだよそのナイフ。変な色」

 それを聞いた瞬間、令は短刀を白衣の内側へとしまった。そして──

「来い」

 陽一に対して最低限の言葉で命令した。

「はあ?」

 ──来い? どこに?

 陽一には一体何が起きているのか理解できないままであった。

「来ないのであれば、強制連行だ」

 今度は令が陽一のワイシャツの襟に手をかける。

 首根っこを鷲掴みにされた猫のように、陽一はぐえと汚い声を出した。

「ちょっ……とおおおおっ!?」

 陽一はそのままずるずると引きずられながら連行されてしまった。

 口の悪い外部講師が生徒を攫った。異常な状況に生徒たちは勿論ざわつく。

「これはどういう事ですか! 西島先生!」

 教師陣も残された照光の方に詰め寄った。

 陽一と令の間に入る事が出来なかった彼らも、気の弱そうな照光に対しては強く出る。

「えっ……ええと、これは、皆さんの感情エネルギーを」

 しどろもどろになりながら照光は両手を振っていた。

「あのもう一人の先生、おかしいんじゃないですか?」

「生徒たちを罵倒したかと思えば拉致って」

 教師たちはご立腹だ。その内容は完全に令に対してだが、その責任を同僚である照光に問うている。

「あ、えっと……落ち着いて」

「いったい。どういうつもりなんですか!」

「説明してください!」

 混沌とする状況の中

「すみません! 本日の課外授業はここまで!」

という、照光の叩きつけるような声だけが体育館にこだました。

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