第3話 裏切り
「まずは手近なところからいこう」
返答は早い。まるで何から話すか、初めから決めていたかのようにシリウスは話し始めた。
「私は……毒を盛られた。暗殺されかけた、ということになる」
「ああ、存じ上げていますよ。同情するよ、心の底から」
「私を助けたのも同情のためか?」
「まあ……そうだな」
少し考えてみたが、クロダルリにはそれ以上の理由は無かった。明らかに面倒事のにおいがするにも関わらずよくやったものだ、という思いが、微かな溜め息になって口から出る。
「……もしかしたらあなた自身が、おかしなことをしたものだと思っているのかもしれない。それには私も同感だ。連中はそのうち、潮流からこの島を割り出すだろう」
「割り出して、どうすんだ? 地元じゃ竜の巣だって噂になってるはずなんだがな。普通の魔族はともかく、竜は未だに恐れられている――ってのは、俺の勘違いだったか?」
「いいや。魔族の中でも竜種は上位種……魔族、人族問わず、力も知恵も、寿命でも凌駕することの叶わない相手だ。しかし奴ら……いや、奴はそうは思っていない」
「ヤツ?」
「ストローハイム卿だ」
その名前を聞いて、クロダルリの顔は奇妙に歪んだ。両眉を跳ね上げ、目を丸くし、唇を開けたかと思うと引き結び、顔をしかめる。忙しく変遷した表情に、シリウスは苦さと嘲りがない交ぜになった笑みを浮かべる。
「そんなにもおかしいか。……コンタハヴェンとストローハイム、両領地の主が相争うなど」
「おかしいってか……うん、おかしい。だってあんた、領主様って王家の人間がやることだろ? だったら、ストローハイムの領主様ってのは」
「私の従兄だ。父の兄の子……本来ならば王位継承権第一だったはずの男。憎まれたものだ」
「何で。王位争いにしたって早すぎるだろ。現王様は生きてる」
「そこが分からないんだ」
長く息を吐き、シリウスは天を仰いだ。すがめられた目は、苛立ちを表している。たぶん、何か予想外のことが起きたのだろう。ますますクロダルリは、シリウスに同情していた。――ああ、こいつも同じだ。
「ズベンは……ストローハイム領主、ズベン・フォン・ストローハイムは私の旧い友だ。そう思っていたのだがな。まさか宴席に招いて毒を盛られるとは」
「理由が分かんないのか」
「見当もつかん……というほどではないんだ。しかし、私は失態を犯して静養という名の蟄居中。現状、継承権があったとて、将来において民に支持され戴冠ができるかというと、厳しい」
「あ、それ気になってたんだけどさ」
それ、というところで、空になったグラスに水を注ぎ、クロダルリは話を続けた。
「あんた、あの噂本当だったのか? 週刊誌のゴシップかと思ってたんだけど」
問いかけに、シリウスは仰向いたまま喉を鳴らして笑った。
「竜も週刊誌を見るのか」
「俺は人間寄りの竜なんだ。何ならあんたも読むかい。うさんくさい噂が山のように書いてあるぞ」
「いや、必要ない。私にはうさんくさい真実があるからな」
「じゃ、あの噂は」
「本当だ。神童だ、慧眼だともてはやされてきたが、結局のところ他者の心など見通せず、愚行を犯し、騙されたというわけだ」
クロダルリは視線をそらした。自嘲するシリウスを何となく見ていられなかったというのもあるが、噂を思い出し、自然と目が向いたというのもある。視線の先にあるのは、竹を組み合わせて作られた書棚の列。その並びの端に、天板の無い書棚、マガジンラックがある。背表紙などない雑誌が押し込まれているが、少なくともここ数週間の記事は記憶に新しい。
「知っての通り……私は、敵国のスパイを婚約者として迎え入れ、まんまと国の情報と多くの臣下をあの女狐に持ち逃げされたのだよ」
事の始まりは、二年前――父によって『彼女』と引き合わされたその時だった。シリウスは静かにそう切り出した。その当時のことはクロダルリも覚えがある。
「マインズバーグ領、シュプア州のある富豪の娘が、王子の婚約者に選ばれた……マスメディアは大騒ぎだったな」
雑誌こそ残していないが、記事の見出しに踊る文字はいまでもまざまざと思い出せる。州知事の娘だというのに、不釣り合いだ、分不相応だという言葉が遠回しに、そして意地悪く書かれていた。祝福する声も多かったが、どちらかといえば世間の目は冷笑的だった。
「どうしてあんな田舎の成金が、みたいな感じだったな。俺にしちゃ大金持ちってだけでメチャクチャ偉そうなんだけどさ」
「マインズバーグは我が国の重要な領地だ。鉱物資源を多数埋蔵した産業の根幹なのだ。その地で商業を営み、工業を、ひいては領地の産業を支えてきた。格式に劣るなどとは……少なくとも、私はそう思ってはいなかった。相手方は……どうだったか、もはや知る術は無いがな」
「ふーん……けど、実際何で結婚しようと思ったんだ? 王都の偉い学校で出会ったって聞いたけど。恋愛結婚?」
いや、とシリウスは首を振る。
「ワグネル家には王家の血が流れている。曾祖父の代、息女がマインズバーグの大商家に嫁いだ。莫大な富と王家の血を有するワグネル家――それを取り込む打算はあった。だが……打算以上に私にとっては意味がある結婚だった」
「意味?」
「ああ。いまにしてみれば馬鹿馬鹿しい。愛という名の意味だ」
婚姻においてはもっとも重要な意味だろう。だが、その気持ちは裏切られた。その怒りにシリウスは歯ぎしりをする。まだ力が入らないはずの拳は、握り込まれて指先が白くなり、震えていた。
「……何があったんだよ、マジで」
恐る恐る、クロダルリは声をかける。は、と荒く息を吐いてシリウスは笑った。琥珀の瞳が丸く見開かれている。
「あの女は売ったのだ、我が国を。王子の婚約者という立場を利用し、高官、特に軍の制服組に媚びへつらって誘惑し、将校ごと引き抜いて……魔族に下った」
「魔族……」
クロダルリは頭を抱えた。大手新聞社からゴシップ誌まで、確かにそういう筋立てで話は書き立てられていた。しかし王家はそれを真っ向から否定した。我がアンブライト王国は精強にして堅牢。魔族に内から崩されることなどあるはずもない――だが、それはやはり嘘だったのだ。
「……王様の言ってることと違うぜ。こんなとこで言ってよかったのか、そんなこと」
「もはや負債となった王子の戯れ言など、それこそ誌面を騒がせる種にしかならんだろう?」
「そりゃあそうかもしれないけどさ」
「それに、父上の言っていることもあながち間違いでは無い。将校を引き抜き、軍備や政策方針についての情報を得たところで、魔族は我が国に攻め入ることはできない。戦力としても、情勢としても」
その辺りの事情に、クロダルリは疎い。この島に引きこもって、たまに地元住民と遊んで暮らしているのだ。自給自足のセカンドライフを満喫しているところに、とんでもないものが流れ着いてしまったというのが実情だ。まさに風雲急だった。
「しかし、現状はどうであれ私は付け入れられ、国にとって重大な機密を知られた。どの程度知られたのかさえ定かではない。私は王と臣下の勧めにより、こうしてこのトラヴァに訪れた。廃嫡されていないだけ温情のある措置だ……もっとも、廃嫡となれば重大事が起きたと臣民が知ることになる。このまま体調を崩し、静養中に死亡したという筋書きなのかもしれないな」
「…………ん? 筋書き? ちょっと待て! それだと王様……あんたの親父さんが関わってるみたいな言い方じゃあ……」
「関わっていないはずが無いだろう」
大声ではなく、むしろ張りの無い疲れたような声だった。だが、顔を向けられ、射殺すような視線で吐かれた言葉に、クロダルリはひゅっと息を飲む。
「でなければ何故、ズベンがわざわざ私に対面した上で毒を盛る? そのようなことは暗殺者にやらせればいいだろう。ズベンが単身決起したとも思えん。王位争いから脱落した相手を、疑われる状況で毒殺する理由は何だ?」
「何だってそりゃあ……お偉いさんの考えなんて俺は分からないさ。あんたはどう思ってるんだ」
「父上からの命があったかは知らぬ。だが、少なくとも私を殺すことで生じる損益はほとんど無かったか、利益が莫大だったか……つまり最低でも、毒殺を王から黙認され、不問に処されるほどのことが無ければやらないだろう。ズベンは賢い男だ。勤勉でもあった。そして……勤勉なだけでは得られぬものがあるということを、嫌と言うほど知っている」
それが王位か、とクロダルリは問わなかった。むしろ別のことが気になり始めていた。聞いている内に、何かに引っかかりを覚えたのだ。
「毒殺ねえ……あんたのこと嫌いでも、そこまでして王位に就きたいのか? それにしたって、王様はいまピンピンしてるだろ。だいたい、あんたが継承者から外れるんなら、次はズベンなんじゃないのか」
「……それは私も気になっていた。だからこそ、奴が何を得るのかが知りたい。王位以外の……いったい何を、得ようとしているのか」
「王位、以外って」
王位を得たらもう全てを得たも同然なのではないかとクロダルリは思うのだが、裏を返せば王位でも得られない何かがあるということなのだろう。つまり、富も、地位も、名誉も超えた何かを。
「……マジで、いったい何が起きてんだよ」
喉奥ですり潰したような呟きを漏らすクロダルリに、シリウスは不思議そうに首を傾げた。
「何が起きようとも、あなたのような者が気にすることでは無いのではないか? 例えこの地に何が起きようと……竜ならば、翼を広げてどこへでも行けるだろうに……」
「そうなんだけどな。けど……なんか、嫌な感じだぜ」
「……ふ。あなたは……変わっているな」
それだけ言うと、ふうと深く息を吐き、シリウスは再び上体をベッドの上に寝かせた。
「話し疲れたな。しばらく、眠らせてもらう」
「あ、ああ……まあ、好きなだけ寝てろよ。追っ手とか、嗅ぎつけてもそうそう上がってこないだろうし」
「…………礼を言う」
そう言ってシリウスは目を閉じた。そして、目を閉じたまま、
「まだ……名乗っていなかったな。私は……シリウス・ルードルフ・コンタハヴェン。名乗り遅れ、失礼した」
「いまさら自己紹介かよ。てか、俺も名乗ってなかったわ。俺、クロダルリ。呼ぶ時はルリでいい」
分かった、という返事がもごもごと聞こえる。どうやら急速に眠りに近づいているらしい。そんな素振りはさっきまで無かったが、憤りから口が回っていただけらしい。シリウスはすとんと眠りに落ちていった。
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