〈銀河の播種〉9

 実家で新年を迎え、結婚はまだせんのかはよう孫抱かせてやらんかいと近所のおっさんに絡まれ、姉の子どもに後頭部のじゃりっパゲを指差し笑われ、ようようマンションに戻り、仕事が始まり、俺は淡々と日常を取り戻した。一か月後には後頭部も生え揃った。女と別れたぐらいで世界が変わるはずもなく。

 いや、その年の春いくつか変わったことはあった。元号が新しくなり、会社の書式はようやく和暦から西暦に差し替えられ、企業には従業員の有給取得が義務付けされた。

 そして、俺個人としては一点、やたらと募金をするようになった。

 駅で、病院で、コンビニで、ユニセフだろうが、あしなが学生だろうが、わんにゃん愛護募金だろうが、どこでもなんでもいつでも見境なしに。札か、あるいは小銭を数枚、時に近くのATMへ走ってまで、プラスチック箱の細い長い投入口にぐいぐい詰め込んだ。廻り巡って、いつかあいつに届くだろうかなんて、まるきりセンチメンタルか。別の星系へと廻り巡り辿り着くまで一体何世代、何世紀待たなけりゃならないのか。

 残業が多い職についており、これといった趣味もなく、募金ぐらいの小金でこの独身丸が沈むはずもなかった。しばらくすると周囲にも一風変わった趣味だと認知されるようになる。

 そして一年が過ぎ、俺は後輩からクリスマス異業種交流会に誘われた。ミヤコがいなくなってから、早々に女と別れたという噂が広まり、多方面から誘われていたのだが、俺は全てを断っていた。失恋の傷云々でなく、端的に言えば、性欲が枯れ果てていたのだ。ミヤコでありミヤコあらざる魔性の――いや、異星の女に絞り取られて以来、ずっと。

 後輩が俺を誘ったのは、人数合わせというより、修行僧じみた生活を送る俺を心配したからだろう。いつもは俺を離そうとしない会社の二代目もその日は快く送り出してくれた。もしかしたらぼんの差し金だったのかもしれない。

 お節介に違いなかったが、最近は冷蔵庫の箱も補充しておらず、一食分手間を浮かす心地で赴いた。

 クリスマスという時節に配慮してか、異業種交流会は瀟洒なダイニングバーで開催された。そして俺の向かいには、色も華も愛想もないパンツスーツで銀フレームの眼鏡をかけた、眼光炯々とした女が座った。ニュースで時折見かける、家宅捜査で白い手袋はめて真新しいダンボール箱を運ぶ地検の捜査員がそのまま抜け出て来たような風貌だ。思わず着席した瞬間、地検ですか、と尋ねてしまえば、なにゆってんだこいつ的な吹雪の眼差しブリザードに見舞われる。和やかな異種業交流はその時点で頓挫し、俺は飲食というか栄養摂取に専念した。

 外で飲むのは随分久しぶりで、ペースがわからなくなっており、思いの外早く酔いが回ってしまう。そんな中、礼の地検っぽい女が市の家庭児童相談係に勤める公務員だと聞くともなしに聞いた。市民からの通報、家庭からの相談、幼稚園や学校や児童館などの施設からも連絡を受けるという。さすが、しっかりしてる、ストレス溜まりそう、セクハラなさそう~という誉め言葉なのか野次なのかわからない声に、公務員はそんなことないですよとシャンパングラスを傾けながら『さしすせそ』を締めていた。

 俺はその『家庭児童相談係』とやらに興味を持った。一次会を終え、ダイニングバーから参加者がぞろぞろ出てくる両開きのドア脇に立ち、最後にお出ましした公務員を捕まえる。そうして二人きりの二次会に誘った。意外にも公務員は応じ、クリスマスイブのサイレンナイトに一組の男女が消えることになる。

 ――何がそんなことないですよ、だ。ぬるい仕事してんじゃねぇぞ。おそらくはあまり幸福ではなかったであろう子ども時代のあいつに、どうして誰も気付いてやれなかったのかと俺は勝手に憤っており、要は八つ当たりだった。自分は強姦しようとしたくせに、だ。 


 しかし、八つ当たりされたのは俺だった。 


 入り組んだ路地の先、もう少しだけ足を伸ばせばラブホ街に入るという立地の、清潔感よりも哀愁漂う飲み屋に拉致され、公務員は品書きも見ずに梅干し焼酎お湯割りを注文すると愚痴の弾幕を浴びせてきた。宣戦布告もなしに。

 ――市民だ、上司だ、マスゴミだ、老人の苦情、若者の無知、大人の無関心、子どもの不幸、責任のなすりつけあい、雀の涙の予算組み、死ぬほど面倒な他部署への根回し。手を出せば伝書鳩は引っ込んでろと怒鳴られ、問題を見つければ面倒なことをしたと疎まれ、何も起きていない『現状』保持がお前の仕事だと言われ、でも辞めるわけにはいかないじゃない、と。

 俺は心底後悔した。もう二度と関わるまいと心に誓うが、トイレに立った隙に、勝手にスマホをいじられ連絡先を交換されてしまう。

 公務員は男もいなけりゃ友だちもいないのか(俺と同じくだが)、度々、俺を呼び出して盛大に飲み、くだを巻き、嘔吐してスーツを汚した。四度目の飲みの後、一体どういう流れだったか酔っていて覚えていないのだが、ラブホテルへと出陣した。別に責任転嫁しようとしているわけではない。ミヤコとの一件以来、勃起不全だった俺が素面で行けるはずもないのだ。


 結論から言えば、俺は公務員を抱けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る