〈萌え出づる病〉後

 二年後に姉は亡くなり、けれどトルグは戻らなかった。こうなることは予想できていた。

 最期の二月の間、姉はよく喋った。いや、たんなる言葉のつぶてで気まぐれに虚空へと投げ、たまに落ちた破片が私に当たる程度か。あるいは断続的に天から舞い落ちる、儚いひとひら。脈絡はないようで、たまにある。私には見えない糸で繋がれ、紡がれ、文様を描いていたのかもしれない。それとも稚拙ならくがきか。どちらも同じだけの可能性があった。

 子ども時代の思い出を訥々と呟いたかと思えば、見舞客の様子について面白おかしく話し、エメニアの政治について厳しく論じる。四方八方、気ままな蔓草のごとく伸びゆく話に、私は返答しながらも随いていけなかった。

 後になって考える。一体、そのどれが姉の真実本当に遺したかった言葉なのか。それとも、生命維持の他、思考や会話に回せる活力は乏しいはずで、漏れ出た言葉は全て妄言や寝言と割り切ってしまって良かったのか。

 実際、姉の語りは矛盾、混沌、支離滅裂で、常人が理解できるものではなかった。 

 だから、姉がいなくなった後、思い起こされる言葉の数々には、私の無意識の選別が働いている。


 ――〝寄生〟ではなく〝共生〟よ


 死にゆく者の全てに意味があったと思うほどうぶ、、ではない。

 けれど正解の有無さえ不明瞭な謎かけは、年々、私を囚えて放さない。

 寄生生物のみが得をし、宿主が一方的に損をする〝寄生〟。互いに得をする〝共生〟。

 因果関係は解明されていない。だが姉が、寄星虫に苗床として身を差し出し、惑星を繁栄させる人身御供であることを受け容れていたなら。ならば、私は。

 埋骨にもトルグは現れなかった。現人神のまま姉は送られる。

 棺に入れることが躊躇われた彼との思い出の品々は、迷った末に〈缶詰〉に入れて、星々の彼方へと射出した。宛先には何も書かぬまま。



 トルグが帰ってきたのは十年後、大規模な二つ目の鉱床が見つかり、エメニア中がさらなる好景気に沸いた時だった。

 再会した彼は、私を前にして固まった。砂除けのため目元以外を覆う長いヴェールを被っており、頬骨の痣が隠され、モイラと見間違えたのだろう。

 高名な医者となり、故郷に錦を飾った彼は皆から歓迎され、宴が催された。愛想良く挨拶し、彼の硝子杯にはなみなみと赤酒が注がれる。

 宴もたけなわになり、トルグがまだ独身だと知れると、年頃の娘を持つ親たちは色めき立った。開業するのなら融資をしよう、いやさせてくれ、そのかわりぜひうちの娘を。おい、抜け駆けするな、おれの妹の方が似合いだと方々から声が挙がる。

 私は空になった杯と汚れた皿を下げるのに集中した。別段、命じられたわけではない。役割は時に隠れ蓑として有用だ。折を見て酒宴から抜け出し、風に当たりに外へ出た。

 銀の月と斑の月、世界を黄砂と二分する濃紺の夜空を背景に、どちらも美しく照り映えた晩だった。このまま帰ってしまおうか。さんさん歩けば、郊外の館まで一時間で着く。

 そう算段していると、アニマと呼び掛けられた。

 振り返れば主賓たる男が背後にいる。帰るのならば、砂車バギーで送ろう。代わりに泊めてくれないか。自宅は何年もほったらかしていたから、どこもかしこも砂が入り込み、とても寝られたものではないのだと。トルグの両親は、とおの昔に他星に移住していた。彼の帰る場所はすでにこの惑星ではない。

 砂車の運転は危なげなかった。多分、彼は赤酒には口を付けたふりをするだけで飲んでいない。私も酒は嗜まない。いつ何が起きるとわからない病人と暮らしていれば、自然と酒精は遠ざかり、その強迫観念のようなものは未だ根を張っていた。


 ――モイラが亡くなった時はすまなかった。どうしても研究を離れらなくて。


 彼が謝ることなど何一つない。家族でも親族でもなく、単なる隣人だっただけ。少なくとも私にとっては。二人にとってはまた違う色味があったのかもしれないが。

 館に着くと入浴を勧めたが、疲れたから眠ると言ってトルグはシャツを脱ぎ、長椅子にクッションを並べて早々に横になってしまった。

 一方の私は浴室へと向かった。石造りの室内にまず蒸気を充満させる。ヴェールを剥ぎ、衣服を脱ぎ、濛々たる白煙に包まれる。その中で湯壺から湯を桶に汲み、一房ごとに髪を洗い、丹念に身体を磨き、繰り返し湯を浴びた。浴室の戸口に人影が浮かんだのも気付かず。

 唐突に戸が開き、蒸気が逃げる。はっとして腕で身を隠そうとするが、足りるものではない。その腕を掴まれ、咄嗟に身を捩り、背を向けた。

 アニマ、はっきりと傷ついた声音が絞り出される。私は見た。濡れた髪が顔に貼り付き視界の半分を閉ざす中、骨張った手が緑の蔓草這う腕を掴むのを。


 トルグは私にそれまで就いていた教職を辞させ、療養生活に入らせた。周囲には夫婦になったと言い、しばらくは二人だけの生活を愉しみたいとうそぶいて。

 彼は留学先で寄星虫病の症例を収集しており、近親者が同病に罹る例が多数あることを突き止めていた。寄星虫は、ある種の魚が生まれた川に産卵のため遡上してくるのと同様、近しい血に還ってくるのだと。 

 エメニアは再びの好景気に沸き、私は全身をヴェールで覆い隠し、病にそれ以上の意味を与えたくはなかった。寄生するのもされるのもまっぴらだった。トルグは懺悔の機会を待っていた。あるいは報復かもしれない。

 トルグは私に治療を施す。かつて姉にしたように献身的に、そしてより高度に、適切に。恋人のために遠い星で学んだ医術で。

 私の涙は消えたが、癒えたわけではない。かつての貶めを許したわけではなかった。けれど今、目の下の痣には緑の蔓草が萌え、すっかり隠れている。消えてしまったと錯覚するほどに。


 ――〝寄生〟ではなく〝共生〟よ


 私は、その呟きに遺言のレッテルを貼り、都合の良い解釈をする。共に生きようとするのなら。

 トルグ、私は意識して甘い音調で呼びかけた。私は本当はモイラなの、と。


「あなたは立ち会ってないから知らなかったでしょうけど、は治って、アニマが入れ替わりに病に罹って亡くなったのよ」


 マッサージの手を止め、トルグは笑うような泣くような怒るような、曖昧な表情を浮かべた。

 緑の蔓草が萌え出づる。腕に、足に、痣に。いつかエメニア中を覆い、緩やかに朽ち、私たちも土に還って、再び大地は緑芽吹く――そんな夢想をする。

 果たして、彼が私の妄言を遺言とするかは、私が死んでみなければわからないことだった。

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