【0】★★

 地面に設置された分厚い天板を開け、階段を下り、もう一枚扉を開けるとそこは地下シェルターというよりも、ごく普通の住居然としていた。白を基調とした内装で、テーブル、キャビネット、ソファなどの家具が並んでいる。入ってすぐは居間らしく、奥には別室もあるようだった。


「で、君はこんなサイハテ──いや、ナレハテくんだりまで、何をしに来たのかね」


 足の手当てをした後、老境の男は私にインスタント珈琲をふるまい──とはいっても、指図されて私がなんとか用意したのだが──、尋ねてきた。

 二人がけのソファにどっかりと足を広げて座る男と向かい合い、マグカップをローテーブルに置き、口を開く。


「あなたは惑星缶詰循環工場プラネット・プラントの責任者である博士ではありませんか?」

「質問に質問を返すとは、いい度胸だ」


 慌てて手を振って否定の意をジェスチャーし、思い出してソファの傍らに置いたトランクを半開きにしてさぐる。


「この〈宇宙の缶詰〉を惑星缶詰循環工場で受け入れてほしいのです」


 マグカップの隣に置いたそれは、一見して大振りな缶詰だった。桃やミカンのシロップ煮やトマトの水煮が入っているような、円筒状の。

 だが、いわゆる元々の缶詰──食品を缶に詰めて密封し、長期保存を可能とする──とは、別物である。私が持ってきたのは手紙や小さな荷物を宇宙空間に流す輸送ポットであり、この惑星のそちこちに転がっているものも同様だ。

 老境の男──博士は、ふんと鼻を鳴らした。


「どうせ、恋情がらみだろう。おまえさんのような若者は傷心旅行と称してたまにやってくる」


 そして、ぐびり珈琲を飲み干し、いかにも苦そうに渋面をつくり、


「恋は罪悪だ」


 そんなことを言ってきた。


「罪悪にならん程度なら、それは恋ではない。ひとり相撲だ」


 私は目を瞬いた。科学的でも、筋肉的でもない、いささか文学的な物言いに。


「どちらにせよ、惑星缶詰循環工場は満杯だ。一般の受け入れは断っている」


 博士は大儀そうにソファで脚を組み、その脚の上で頬杖を付いた。


「肩を貸してもらった恩義は返す。〈星休み〉中は滞在を許可するが、終わったらすぐに出て行ってくれ」


 まじまじと見つめていると、博士は居心地悪そうに、なんだとぶっきらぼうに返してくる。

 正直を言えば、いきなり恋の話をされるとは思ってもみなかったのだが。


「いえ、その……多分、私は博士が思っているよりも若くはありません」


 鈍い銀色に光る缶詰に貼られたラベルに触れる。白地に群青色のインクで書かれた宛先。


「ここに込められた感情は、きれいな、あかるい、ゆかいなものではありません。でも」


 何度も、破り棄て、削り取ろうとして、できなかったそれ。


「……もしか、恋というものが一番近かったのかもしれません」


 今度は、博士が私をまじまじと見る。


「〝ちひさな自分をくぎることのできない

  この不可思議な大きな心象宇宙のなかで

  もしも正しいねがひに燃えて

  自分とひとと万象といっしょに

  至上福祉にいたらうとする

  それをある宗教情操とするならば

  そのねがひから砕けまたは疲れ

  じぶんとそれからたったもひとつのたましひと

  完全そして永久に

  どこまでもいっしょに行かうとする──」※


 そこまで一息に言って、博士を見上げる。彼は、唐突なこちらの暗唱に目を丸くしていたが。


「「──その変態を恋愛といふ〟」」


 続く一文を、声を合わせて詠む。

 恋は罪悪──漱石を知っているのなら、賢治に通じていてもおかしくない。

 お好きなのですかと尋ねれば、こんな辺境惑星ですることもないから読んだけだとぷいと視線を逸らす。

 ますます懐かしい人を思い起こさせるさまに、微笑みが漏れた。


「私の父は、この童話作家の本をよく読んでいました。けれど、一作だけ、どうしても読もうとしない物語があった。私はずっとその理由を探していました」

「父親宛ての缶詰というわけかね」

「いえ、また別の人物に宛てたものですが、そうですね、父と無関係ではない。一切合切、私という個人は、父と切り離せないのです」 


 博士はむうと考えるふうではあったが、缶詰の受け入れを認めてはくれなかった。なかなかに手強い。


「〈星休み〉はどれぐらい続くのでしょうか」

「十二時間二十四分三十七秒だな」


 博士は壁に掛かった大小あまたの時計を見上げて言う。丸、三角、猫型とデザインも、指している時間もそれぞれ違い、どれを見ているのかわからなかったが。


「君は一人旅かね」

「……いえ、連れがいますが、」


 私は言い淀んだ。どう説明したものか迷ったのだ。人によっては嫌がられることもある。

 だが、博士は別の意味に捕らえたようで、空を見上げる仕草をする。


「まあ、わざわざ降りてきて、汚染されることもあるまい。船ならば〈星休み〉の影響もなかろう」


 連れは船で待機しているものと思ったらしい。

 そして、今夜は泊めてやろうと申し出てくれた。〈星休み〉が終わるまで。


「予定外の足止めだろうが、仕事は大丈夫なのかね」

「雇われではありますが、ほとんど自由業みたいなものです」

「閑職か」

「まあ、そんな感じです。本当は父の仕事を継ぎたかったのですが、とんと才能がなく」

「……継ぎたかったのか。今時、珍しいな」

「そうですか?」

「俺が昔、親の家業を継がなにゃらなんくなった時は、獄に繋がれる心地だったがな。まあ、結局その話は立ち消えたが」


 博士は、昔を懐かしむ遠い目をした。生々しい感情は過ぎ去ったそれ。身に覚えがなくもない。


「なんにせよ、就ける職業があるのはありがたいことです。実は、こちらに立ち寄ったのも仕事ついででして……」


 話しながら思いついて私は手を打った。


「では、宿代といってはなんですが、私の生業を披露しましょう」

「ナリワイ?」

「私は星から星へと旅して巡りました。色々な星と人の声──つまり彼らにまつわる物語を聴き、また、語ってきました。つまりは〝星語り〟です」


 博士は再び鼻を鳴らし、どこかで聴いたような、混じったような話だな、と呟く。


「〝星語り〟が面白ければ、缶詰の受け入れを認めろと?」

「いえ、そんな、まあ。受け入れていただければ助かりますが」

「いいだろう、時間はある。星間放送も途絶えるから良い暇つぶしだ」


 ──だが、一つ条件がある。


 博士は心なしか、声をひそめて告げてきた。


「珈琲のおかわりを淹れてきてくれ。今度はたっぷり、乳の道ミルキーウェイを描いてな」


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※引用「新編 宮沢賢治詩集 天沢退二郎編」/宮沢賢治 新潮文庫

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