センチメンタル・ファニー・ストーリーズ

坂水

【0】

【0】★

 見下ろして、鈍色のイガグリのようだと思った。

 球から突き出された無数の棘。母なる惑星でパンデミックを起こしたというウイルスの形状にも似ている。

 不気味な星だな、と呟くが返答はない。慣れたもので、虚しさを感じる域はとっくに越えていた。

 濁って底を見通せない河岸に小型船を係留し、その奇妙な星の地表に降り立った。

 いたるところから炉や煙突が突き出ており、もくもく煙が排出される。燃え切っていないせいだろう、悪臭が漂い、青みがかったガスがあたり一帯立ち込めていた。雨上がりなのか、水はけが悪いのか、そこかしこに鉛色の水溜まりができている。

 銀河航路に乗り、転送門ゲートを幾度もくぐり、遠路はるばるやってきた──天の川銀河唯一の惑星缶詰循環工場──通称プラネット・プラントへと。

 あまりの空気の悪さに咳き込み、清浄機能付きマスクを装着し、立襟コートのボタンを丹念に留める。そして、ぱんぱんに膨らんだトランクの取っ手を握り締めた。

 まずは受け入れの手続所を探さねば。惑星早見盤を取り出し、私は歩き出した。

 大樹の根っこじみて蔓延る銀色の風導管ダクトを辿ってゆく。人気はなく、ごうんごうんと、巨大な洗濯機じみた音が響く。

 処理待ちなのか、不適正缶として放置されたのか、そこかしこに古びた缶詰が転がり、積み重なっていた。時折、それら内包物が膨らみ泡を吹き出したり、ぶつかり合って火花を散らしたりしている。

 打ち棄てられ、土に還ることも許されない缶詰。届けられなかった、行き場のない想いたち。

 奇妙な感傷に囚われ、私はそれらの缶を形ばかりに並べ直した。己の目的を棚上げして。あるいは、罪悪感の払拭か。

 周辺の缶を整えて腰を伸ばしついでに空を仰ぐ。煙突群が杉林のようにそびえ、中天に輝く縞模様の衛星を突き刺すようだった。その合間を縫って、何台もの宇宙船がやってきては、船体を傾けて荷だけをぽろぽろと落としては去ってゆく。漂うガスも手伝い、奇妙な景観になんだか心細くなった、と。

 ふ、ふふ、ふふ、と忍び笑いが響き、私は声の方へと視線をずらした。

 巨大な銀色の塔の周囲に組み上げられた細い鉄骨階段の先。淡い虹色の光が過ったような。

 見間違えかと眼鏡のレンズを袖で磨き、眼を瞬かせれば、すぐ脇を這うパイプ束の影から少女がひょこりと顔を覗かせた。

 たまげた。

 階段は十メートルも先にあり、瞬間移動したかのような素早さに。そしてもう一つ、彼女の輝くばかりの美貌に。

 輝くばかりというのは伊達ではない。髪はオーロラ色になびき、肌は真珠色、瞳は瑠璃色、人間離れした外見にニッコリ愛嬌のある笑みを浮かべる。

 掃き溜めに鶴ならぬ、廃棄工場に妖精。

 見惚れていたのも束の間、はっとして尋ねた。


「あの、〈缶詰〉の持ち込みにきたのだけれど、受付はどこに、」


 と。突如、星まるごとを揺さぶるような重低音が鳴り響き、私の言葉は遮られる。


『警報発令、警報発令、ただ今から〈星休み〉に入ります。繰り返します、ただ今から〈星休み〉に入ります。全ての生物は屋内に退避し、〈星休み〉に入ってください』


 星休み──アナウンスに、そらを振り仰ぐ。煙突の隙間から、煙やガスをも貫く金色の尾が見えた。夜空を引っ掻く、華奢な猫の爪にも似たそれ。


「避難所はどこですか?」


 問うた先に、さきほどの少女はいない。けれど、未だに忍び笑いは辺りに響く。

 私は息を呑み、トランクを横抱きにして、走り出した。

 工場群はまるきり迷路だった。ダクトやパイプやタンク、炉やコンベア、クレーン、キャットウォーク、他にも用途が不明な設備が複雑に入り組む。

 だが、ふきっさらしの建物ばかりで、雨露をしのげる場所は見つからず、焦った。自分の小型船に引き返すべきだったかもしれない。後悔先に立たず、すでに帰り道は分からない。

 死ぬならば、あの小船が良かった。あの人が遺してくれた、唯一無二の居場所。ならば、生きて帰り着かねば──

 決意した瞬間、何かにけつまずき、盛大に転んだ。

 打ち棄てられた缶詰か、地を這うパイプか。起き上がろうとして、けれど何かに足をとられて動けない。首だけで振り返れば、缶詰というには大き過ぎる何かが横倒しになっていた。むしろドラム缶という風情か。

 足を無理やり引き抜こうとして、


「……待て」


 ドラム缶が喋った。


「案内するから肩を貸せ」


 よくよく見ると、地面に倒れた人だった。薄汚れた白衣をまとった男にぎっちり足首を掴まれていたのだ。とてつもない握力だった。

 こちらの沈黙に戸惑いを嗅ぎ取ったのか、彼は続ける。


「この先に地下シェルターがある」


 地下。なるほど、知らなければ、辿り着けるはずがない。

 上半身を起こすのを手伝い、肩を貸して、立ち上がらせる。こめかみから顎にかけて髭が生い茂る、老境に差し掛かった男。

 ああ、もしか、この人こそが。だが、質問は避難できてからでも遅くないだろうと呑み込んだ。


 ──缶詰に滑って足を挫いた。歳はとりたくないもんだ。


 ぼやきながらも、老境の男は身を起こしてしまえば、体重を預けつつもしゃんと背筋を伸ばして歩き出す。体格に差があるので、そうせざると得ないのかもしれないが。

 しばらく進み、ふ、ふふ、という忍び笑いを再び聴いた。顔を上げれば、灰色の景観の中、虹色の帯が過った、ような。

 足を止めた私に、どうしたと声が掛かる。


「今、虹が、」

「虹の足なぞ追うものではない」

「いえ、そうではなく。さっき、少女を見掛けたのです。彼女も避難させないと」


 言えば、男は顔に深々と皺の渓谷を刻み込み、


あれらは・・・・ほうっておけ、まずは己の身の安全だ!」


 叫んでくる。私は老人の大声におののきつつ、けれど同時に懐かしさも感じ、缶詰や水溜まりを避けて足を進めた。

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