〈星語りのダーシュ〉2

 名は親からの初めての贈り物とよく聞くが、〝ダーシュ〟とは私が私自身に付けたものだった。

 銀河特急鉄道小惑星群衝突災害からの生還者。だが、私は事故のショックのためか、過去の記憶を喪っていた。住所アドレスが貼り付けられた〈宇宙の缶詰〉を胸に抱き、彷徨っていたところを保護されたそうだが、なぜ〈缶詰〉を抱いて彷徨っていたのか覚えていない。


 父は私の生還を喜んでくれた。

 病院で顔を合わせた時──再会というべきなのだろうが、何しろ私には記憶がなかった──、彼の泣き出しそうな表情は、迷子の子どもを彷彿させた。さきほどの博士にもよく似ている。年経ると、むしろ涙腺は緩むのかもしれない。

 その率直な感情の発露に、だから私は迷いつつも硬い皮膚に覆われた手を握り返した。


 しかし、私は以前のサンと姿かたちは同じものの、中身がまるで違っていた。

 サンは秀才で、寄星虫の研究をするため、父の元を離れ留学までしていたというが、一方の私はからきし勉強ができない。かといって家業である猟師も向いていない。仕事について父は焦らなくて良いと言ってくれたが、やはり違和感を覚えていたのだろう。

 ある時、風呂上がりに髪を拭いていると、父の視線に気付いた。何度か同じことがあり、軽い気持ちで尋ねた。私の顔に何かついているのか、と。

 父は慌ててごまかそうとしたが、嘘のつけない人であり、サンの額にあった傷について白状した。

 後悔先に立たずとは、まさにこのことだった。父は傷があってもなくても私が自分の息子に違いないと言ってくれたが、これを境に、二人の関係はさらにぎこちなさを増した。

 傷の有無だけで個人を特定するのはあまりに大雑把だ。私は父に黙って二人分のサンプルを採取し、機関に提出したが、鑑定結果はサンプルが不足していたのか『鑑定不能』だった。結果を待つ間、心臓が潰れる思いをして、その後、二度と鑑定しまいと誓う。


 銀河特急鉄道小惑星群衝突災害の被災者の顔は、サイトにアクセスすれば誰でもわかる。他人の空似の私に、誰かがアドレスを貼り付けた〈缶詰〉を持たせたのかもしれない。例えば、本来の身内がデクノボーである私を厄介払いするために。

 自分が〝サン〟ではない可能性は纏わりつき、サンという呼び名は居心地悪かった。まるで盗み取ったようで。

 そこで私は自らの名前を考えた。サンとは似ているけれど非なる存在。いわば〝´ン〟──『サンダッシュ』だ。『´』は記号の右肩に付けて、もとの記号の示すものが変容した、あるいは近似するものであるとする記号だ。

 この記号と、父がいっとう好きな物語『セロ弾きのゴーシュ』かけて、〝ダーシュ〟とした(後になって〝──ダーシュ〟という記号も別にあると知り、ややこしいことこの上ないと気付くのだが)。

 父は少し硬い表情をしたが、おまえが望むならと新しい名を受け容れてくれた。


 そのことが本当は悲しかったなんて、今更、我儘を言う相手もいない。



 ★



 血痕は地下から地上へと続いていた。

 魔女がどこへ行ったのか。 

 未明の〈星休み〉中であり、極細の金針が間断なく降ってくる。下から見上げれば、ススキの金色尾花をシェード代わりに被されたようでもあった、 

 特定の流星群の微粒子は大気圏突入に耐え、人体に悪影響を及ぼす可能性がある。そのための〈星休み〉だ。だのに、彼女は、防流星雨合羽を着込んで外出までしていた。人体を犠牲にするに足る理由があったから。

 雨に濡れるのは好きではないけれど、濡れるに足る理由があるのは私とて同じ。

 聳え立つ何十もの煙突からは相変わらず煙が出ている。

 けれど、周囲のプラント群の様相は変わり始めていた。

 私はいつかの地球のとある兄妹がしたように、星休みのピクニックへと繰り出す。

 東へ東へと進む。プラント群に邪魔をされるけれど、そのたびに登り、飛び越え、くぐり抜ける。

 無器用な私だが、後天的に得た身体機能を活用すれば、さほどの苦労はなかった。マスクはどこぞに引っ掛けて失くしてしまったが、約半日前の着陸時より空気は大分ましになっている。どうやら相棒は寝こけていただけではなかったようだ。


 半時も歩けば、滔々と流れる銀河に行き当った。

 河辺で天を見上げると、上流の方が白く煙り、ぎゃあぎゃあと騒がしい。

 血痕はとっくに途絶えている。けれど、いくつもの白い影が、彼女の居場所を指し示していた。

 銀河が二つに分かれて、その中洲で小柄な人物が叫ぶ。


「二度とわたるなわたり鳥、二度とわたるなわたり鳥!」


 濡れて漆黒に見えるリンドウの束を旗代わりに振り回す小柄な姿。


「二度とわたるなわたり鳥、ここは呪われた星、死に絶えたく無くは、二度とわたるな、わたり鳥──!」


 鳥──いわゆる白鷺と酷似した──は、老女のいる中洲に降り立とうとするが、彼女は狂気のようにリンドウを振り回して阻止する。だが、鳥たちは中洲の端に移動するのみ。追い払っても追い払ってもきりがない。


「鳥たちは、よほどこの惑星が気に入っているようですね」

「……群れのリーダーが事故で死んじまって、意思決定ができないんだよ。古巣に居着いて離れない。それにしたって今夜は妙だ」


 黒曜石の輝きを放つ流れを挟み、魔女と向かい合う。


「あんたが来て、この惑星はおかしくなった。追い払ったはずの鳥たちがぞくぞくと戻ってくる」

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